誕生日だけは、きみを見上げて
この物語は、この曲が元になって生まれました。
よろしければ、先にお聴きください。
ねぇ、タケルくん。
私は明日、19歳になるよ。
タケルくんを追い越して、もう、1年が経つんだね。
「今日、一緒にうちでごはん食べようよ。私、誕生日なんだよ。」
薫はだだをこねるように、タケルに何度も言った。
タケルは笑いながら、聞いてはいない。
「今日は無理だよ。」
部活があるということは知っていた。合宿なのだ、ということも。
けれど、タケルにとって自分がどれほどの価値があるのかを、その返答で測りたい気持ちがあった。
「なんでよ。」
何度目かの問いかけで、やっとタケルは正面に向き直り、薫の目をじっと見た。
「ごめん、薫。
今日から3日間合宿なんだ。お前の誕生日、悪かったな。」
そして笑った。
「ごめんな。帰ってきたら、絶対お祝いしてやるから。」そう言って、薫の頭にそっと手を置いて、少し体温を落とした。
薫はふわぁっと、気持ちがやわらかくなるのを感じた。にやつきそうになるほどに。
「お祝い、3割増しで!」
「いいよ、考えといて。」
タケルはそう言って、そろそろ行かないと、と体をひるがえして自転車にまたがると、薫が「わかった」と口をとがらせる間もなく、走り出していた。
「行ってらっしゃい!」
少し先まで声を投げると、タケルは振り返って思いっきりの笑顔を薫に向けた。
それは、どれほど時間が経っても、絶対に色あせないほどにあざやかで、まぶしかった。
タケルのことを知ったのは、その日の夕方だった。
亡くなったのだと。
…?
なんて?
薫は言葉の意味が頭におりて来ずに、目の前の景色が止まっていることに戸惑った。
「タケルちゃんが、なんて?」
母親が見開いた目におどろきと悲しみの色をたたえて、言葉をつげずに視線をさまよわせている。数秒の間を置いて、小さな声が聞こえた。
「タケルちゃんが事故に遭ったって」
薫がしぶしぶ見送ったあと、タケルは自転車で事故に遭ったのだと。
うそだ。なんで? どうして?
同じ言葉がぐるぐるとうずまくばかりで、薫の頭の中は何も捉えることができていないままだった。
タケルくんが、死んだ。
……?
その言葉の意味はわかっても、薫には、それが本当に意味することを理解できるほどの余白がなかった。
さっき、話したばかり。
さっき、手をふったばかり。
さっき、笑顔を見せてくれたばかり。
さっき、頭を、なでてくれた、ばかり。
さっき。
薫は、両目から流れ落ちる熱い感触が涙であることを、感じることができなかった。
目が覚めた。
目の上に粘土がへばりついているかのように、重い。
どうやら、入浴も歯磨きもすませてベッドに入ったようだった。
でも、どうやってそれをしたのか、薫はまったく覚えていなかった。
タケルが事故に遭ったというのは、少し印象が違うように思えた。
聞けば、走り出て来た小さな子どもを避けて、アスファルトに強く体を打ちつけてしまったという。
どんな風に、なのかは薫は聞かなかった。
タケルが痛い思いをしたというだけでも、心臓が内側から引き破られそうなのに、どこを怪我して、なにが原因で、なんてことは聞きたくなかった。
昨日の会話も笑顔も、頭にそっと置かれたあたたかさも、今もまだ薫の手の中にあった。
それなのに。
昨日、大人たちがあちこちに動きまわっている間、薫は親族控え室の畳の上で、ぼうっとひざを抱えていた。
すぐそばに横たわるタケルがいるのだけれど、くぐもった声でやっとおばさんが口にした、「かおるちゃん、顔を見てあげて」という言葉にも、立ち上がることはできなかった。
泣いていたわけではなかった。
いや、泣いていたのだ、たしかに。
涙はひとしずくたりともこぼれはしなかったけれど、薫はだまって泣き叫んでいた。
なんで。どうして。 うそだ。
ずっと大きな声で叫んでいた。どこにも届かない声で。
「…薫。」
母親が、ノックした。
わかっている。
これから、支度をしなければならない。
薫は母親へ返事をすると、制服に袖を通した。
告別式には、学校の先生も友だちも来ていた。こんなにたくさんの人が集まるんだな、と薫は人ごとのような気持ちで見ていた。
部活の人たちもみんな、まゆ毛を2本分くらい下に落としたような顔で集まっていた。
合宿は中止になったのだろうか。
知った顔をいくつも見ながら、薫は思った。
厳かな空気の中で、何かが粛々と進行していたが、薫にはなんのことかわからなかった。
ただ、タケルの笑っている大きな写真が、明るすぎる花々に囲まれているのを、じっと見ていた。
焼香が始まって、順番に人々が前に出て、タケルの両親と兄にそっと頭を下げ、正面でまた頭を下げている。
その間、小さい頃からの写真が、両端につり下げられたスクリーンに次々に映し出されるのを眺めていた。
薫は。
立てなかった。
母親に二度ほど、腕を乱暴に引っ張られたが、タケルの前には行きたくなかった。
スクリーンを腑抜けた顔で見つめ続けていた。
すっと、涙がほおを流れ落ちた。
写真の中に、幼い頃の自分とタケルが笑っていた。
「タケルくん。」
鎖骨の下あたりから、突き上げるようにとめどなく、薫の涙はあふれ流れた。のどを焼くような感触で。
そして、「あの時、すぐに送り出してたらよかった。わがままを言って困らせなかったらよかった」と、そんな自分の声が、薫を執拗に責めたてた。
最期のお別れの時になってやっと、薫はタケルの側まで行った。腕にたくさんすくいとっていた花を、タケルの胸のところにひとつずつ置いていった。
それでも、どうしても、顔はほんの一瞬視界に入れることしかできなかった。
夏の花たちが、場違いなほどの華やかさで、タケルを包んでいた。
家に帰りついても、薫は水さえも口にしなかった。
やっと部屋から出てきて、氷を含んだのはどれだけ経った頃だったのだろう。
昨日、食べることができなかったケーキの箱が、ばかみたいに楽しそうな色をしていて、薫は頭がからからと音を立てている気がした。
家族3人で、生ものだからとケーキを食べ始めたものの、誰ひとり口をきくことはできなかったし、誰ひとり味を感じることもできなかった。
薫にとって、タケルはただの近所のお兄ちゃんではなかった。
兄妹みたいでもあったし、近づくと気持ちが照らされるようなまぶしい存在でもあった。
小さい頃は、親同士の仲がよかったこともあって、いろんなところへ一緒に行った。
そんなにいつでも一緒に遊んでいたわけではなかったけれど、そういったお出かけごとには、大抵ふた家族で行くことが多かった。
男兄弟で、女の子がめずらしかったのか、ほどよく年の離れた薫のことを、2人ともかわいがってくれた。
けれど薫にとっては、お兄ちゃんは翔(かける)だけで、タケルは「お兄ちゃん」というのとは、何か少し違っていた。
翔はいつも、薫の言うとおりに遊んでくれた。何回遊びを変えても、そのルールを変えても、なんにも言わずにニコニコとつき合ってくれた。
翔のことはとても好きだった。
タケルの2つ上のお兄さん。薫にとっては大人よりも安心できる存在だった。
3つ上のタケルは、そうではなかった。
薫が森遊びに飽きて泳ぎたいと言っても、自分はまだ虫を探すのだと言って、意見はぶつかってばかりだった。
最終的には薫のやりたいことが通るのだけれど、タケルはいつもぶつぶつと言いながらついてくるのだった。
タケルが中学に上がったあたりから、ふた家族でのお出かけはなくなった気がする。
恒例行事がなくなったことは、なんとなくさびしかったけれど、まぁそんなものだと受け入れてはいた。
2軒隣だというのに、めったに顔を見ることもなくなっていたが、そのことを特に気にすることもなかった。
たまに会えば「久しぶり!」「今から?」なんて言葉を交わして、それはちょっとうれしい出来事だったりした。
薫も中学生になった。
真新しい制服で家の前を通る時、ちょうど自転車を押して出てくるタケルと会えた日には、前よりも確かに、気持ちが跳ねているのを薫は自覚していた。
それを嫌だとか、恥ずかしいとか思うことはなかった。むしろ、心地いい感覚だった。それが楽しかった。
薫は、自分の気持ちを存分にいとおしんでいた。
「またみんなでどっか行こうよ」
そんな言葉を心から、包みでおおうこともなく、差し出すことができていた。
これは「そんな」気持ちではない、ということもはっきりと自覚していた。
小さかった頃とは違うところへ、タケルは昇格していたのだ。
お兄ちゃん。
今、タケルも薫にとっての「お兄ちゃん」になっていた。
翔に感じていた、どこか絶対的な信頼の気持ちに、少しだけ、なんだか甘い香りが加わったみたいな、そんな。
薫は、そんな自分の気持ちが本当に心地よくて、ずっとずっと、手のひらであたため続けているみたいに、胸にそうっと抱きしめているみたいに、大切にたいせつに扱った。
「この制服のデザイン、好きじゃない」
と、ふくらませたほおをタケルに見せる時だって、「俺はかわいいと思うよ」という返事を明確に期待して、それをひとつずつ、胸のポケットにしまっていた。
数日が経っても、薫の気持ちが晴れることはなかった。
なのに夏の好天は、そんな薫を置いてけぽりにして、まぶしい光を注ぎこんでくる。
人の気も知らないで、どうして夏は容赦なく元気さを押しつけてくるのだろう。
人の事情もおかまいなしに、明るくいることを強いてくるのだろう。
気温はかなり高いはずなのに、汗もかかずにいら立ちだけが募る気がして、薫は自分をもてあました。
少し、日を置いた。
不本意なことに、わずかずつでも気持ちが落ち着いてくることに、薫は愕然としていた。
お腹もすくし、味もするようになった。
自分には人の心がないんだろうか。
自分の涙がおさまっていくことが罪であるかのように、薫は思った。
まだ、悲しんでいたかった。
タケルがいないことを受け入れる自分を見たくなかった。
気がついたら、薫はタケルの母を訪ねていた。
本当なら、自分なんかよりも深くふかく悲しみの中にいるはずの、おばさんに会いに来ていた。
タケルの母は身ぎれいに整えていて、あいかわらず品よく、やさしい笑顔で迎えてくれたけれど、ひと回りくらい縮んでしまったように見えた。
それでも、悲しみに暮れていた中で、薫が来たことは本当に喜んでくれているのがわかった。
食卓について、淹れてもらったコーヒーをひと口含むと、薫の頭にタケルと交わしたとりとめない会話が再生された。
「コーヒー飲めるようになったんだよ」
「こんなのわざわざ飲む人の気が知れないとか、言ってなかった?」
タケルの声がくっきりと目に映るくらいによみがえった。
「おいしいよ」と、心の中でタケルに言った。
どんな話をしたのか、とめどなく、とりとめもなく、薫はタケルの母と数時間をすごした。
最後には、やわらいだ空気の中で2人とも笑顔さえうかべていた。
薫は、1枚写真をゆずってもらった。
本当は、撮らせてもらうだけでよかったのだが、おばさんが「持っていて」と言ってくれたので、受け取ることにした。
それは告別式でスクリーンに映し出されていた、幼い頃の写真だった。
川遊びしていた時に撮ったもので、浮輪を持ってカメラにポーズを取る薫と、その頭にザリガニを乗せようとしているタケルと、それを止めようとしている翔の姿が写っていた。
薫以外はカメラを向いていなかったけれど、今ここに3人でいるような気持ちになれて、うれしかった。
タケルの母は、薫が写っている他の写真もよかったら、と言ってくれたが、断った。
ほしい気持ちももちろんあったが、きりがないと思った。
それに、この1枚で十分だった。
ほおづえをついて、薫は窓の外を眺める。
ひとすじのしずくが、ふっとほおをなでた。
「タケルくん。」
視線を机の右端にやった。
このひりつきは、癒えることはないのだろうか。
今なお薫の胸の中には、のどを刺すような熱さと、ねじ切られるような息苦しさが居すわっていた。
それは、「あの時引き止めていなければ」という後悔から来ていたのかも知れなかった。
「なぜタケルが」というやり切れなさかも知れなかった。
あの時タケルの前に飛び出して来た子が、毎年お線香を上げに来るのだと聞いた。
おばさんの気持ちを思うと、それが善行なのかどうかは、薫にはわからなかった。
写真は、きらいだ。
時間を切り取る魔法は、過ぎたところしか拾ってはくれない。
まるで、そのままの気持ちがずっと続いているかのように、変わらない色あいで、笑い声までもよみがえらせてくる。
視線を窓の外にもどす。
なぜ、もう会えない誰かを思うとき、人は空を見上げるのだろう。
そこにその人がいるわけでもないのに。
薫はかわいたほおに残る感触に、指をおいた。
「タケルくんに会いたいよ」
そう思った時、頭の上にふっとあたたかい重さを感じた。
一瞬体がこわばり、きらきらとしたしあわせな誤算が内側からみちていくような、そんな感覚が走った。
けれどすぐさま、くちびるから息をこぼすように笑った。
そんなはずはないのだ。
そして、はっきりと心の中で言った。
「わかってるよ」
薫はカーテンを閉めた。
タケルを失ってから5回目の誕生日が、もう目の前だった。
ED:
※Fioreは、はるかなによる創作上の架空ユニットです。実在の団体・人物とは関係ありません。
