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後輩が辞めると言った。『副業ですか?』と聞かなかった理由

火曜の昼間、後輩が俺の席に来た。

「ケンジさん、辞めます」

その瞬間、頭に浮かんだのは「副業か」だった。別に根拠はない。最近、AI活用や副業の話をよく聞いてたから。後輩も一度、ChatGPTの話をしてたはずだ。だから「多分そっちか」と思った。

でも、俺は聞かなかった。

「副業ですか?」とは言わなかった。

「そっか。そうなんだ」とか「頑張ってね」とか、そういう返事をして、後輩の話を聞いた。やることはあるだろう、引き継ぎだとか、手続きだとか。一通り、上司的に対応して。後輩は去った。

それから1時間ぐらい、その会話が頭に残ってた。なぜ聞かなかったのか。

理由は、多分、こうだ。

後輩の決断に「副業か」と先入観で反応するのは、何か違う気がした。退職理由は本人しか分からない。副業かもしれないし、別のキャリアかもしれないし、人間関係かもしれない。「副業ですか?」と聞くのは、俺が想像した物語に本人を当てはめてることじゃないか。そう思った。

それに、もしそれが正解だったとして、その後、どうするんだ。「俺も考えてますよ」とか言って、同志意識を持たせるのか。それとも「大変ですね」と同情するのか。どちらにしろ、相手の決断の上に俺の価値観を重ねてることになる。

そういう気がして、聞かなかった。

でも、正直に言う。聞きたかった。

聞かなかった理由は、もう一つあった。

この1年、俺も考えてたから。副業のことじゃなくて。人生の選択のこと。月3万を続けるのか、もっと大きくするのか。会社を続けるのか。そういうことを考えてた。答えは出てない。むしろ、続けるたびに「これ、本当にいいのか」という違和感が増してる。

後輩が辞めると言ったとき、その決断の清々しさに、少し嫉妬したのかもしれない。「お前は決断できたんだ。俺は何年も迷ったままだ」と。だから、聞けなかった。聞いたら、自分の弱さが相手に見えてしまう気がした。

夜、妻と食事してるとき、思い出した。

「後輩が辞めるんだってさ」と言った。

妻は「へえ、そっか。何するんだろう」と言った。「副業かもね」と俺が言ったら、妻は笑った。

「あなたも似たようなことしてるじゃん」

そう言われて、あ、と思った。

後輩に「副業ですか?」と聞かなかった理由は、多分、そこにあった。聞くと、自分のことを聞かれるのが怖かったんだ。「そっちもやってるんですか?」と聞き返されたとき、何て答えるのか。月3万と言うのか。それでいいのか、と言うのか。迷ってることを言うのか。

聞かなきゃ、聞き返されない。それだけだ。

夜中、後輩のことをもう一度考えた。辞めるって決めたんだろう。何か理由があって。それが副業かどうか知らんけど。その決断を「副業か」という一言で済ませるのは、後輩に失礼だ。そう思った。

人って、一つの選択肢だけで人生を決めてるわけじゃない。複数の思いがあって、重ねて、その上で何かを選ぶ。後輩もそうなんだろう。

だから、聞かなかった。

聞かなかったことが、正解だったのか、それとも逃げだったのか。今の俺には、判断つかない。ただ、後輩には「頑張ってね」と言った。その言葉は嘘じゃなかった。本当にそう思ってる。

火曜の夜、台所の隅で缶ビールを飲みながら、そんなことを考えてた。子供はもう寝てた。

人の決断を尊重する、というのは、相手を信じるということだ。そして信じるということは、聞かないということかもしれない。正体を暴こうとしない。理由を詮索しない。ただ、その人の決断が正しいと信じる。

それが15年目で気づいたことなのか、それとも1年の副業で感じたことなのか。区別がつかないまま、ビールは温くなった。

明日、後輩は来ない。明後日も来ない。やがて、誰かが引き継ぐんだろう。月3万を稼ぎながら、会社に行く。帰ってから、また別の時間を過ごす。後輩はそれを選ばなかった。

それだけだ。


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