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日曜の夜梅雨の湿度の中で洗濯物を畳みながら副業で稼いだお金が自分のものじゃない気

副業を始めて4ヶ月目。

月3万円が「当たり前」になっていた。

結論から言うと、昨日の日曜の夜、洗濯物を畳みながら気づいたことがある。

稼いだお金が「自分のもの」じゃない気がしていた。

月3万円の重さ

4月の異動から、副業を1週間で月3万円まで回復させた。

当時は「やった」と思った。数字が出た。仕組みが動いた。

でもここ3週間、その月3万円が毎月毎月、ちゃんと入ってくる。

ChatGPTで記事を書いて、簡単な編集をして、販売ページに上げる。

月3万円の仕組みは、もう「自動」に近い。

それなのに。

日曜の夜、梅雨特有の湿気で床がじめじめしている部屋で、妻の下着や子どもの靴下を畳みながら思った。

「あ、この月3万円って、誰のお金なんだろう」

違和感の正体

正直に言うと。

お金の入金は嬉しい。数字は動く。でも、その先が見えない。

副業を始める前は、「月3万円あれば、家族の食費が楽になる」と思っていた。

実際、最初の1万円が入った時は、妻に報告して、一緒に何に使うか話し合った。

でも今は、その月3万円が銀行口座に溜まっているだけだ。

使途が決まっていない。

貯金なのか。将来への備えなのか。それとも、単なる「仕事の達成感」を数字で見たいだけなのか。

子どもの靴下を3枚畳みながら気づいた。

月3万円を稼ぐことに、頭を使っている。

AIをどう組み合わせるか。どのツールが効率的か。次はどうやって月5万円にするか。

でも、その月3万円が何に変わるのか。

家族の何が良くなるのか。

そこを考えていなかった。

会社の仕事との違い

昼間の会社での仕事は、給与という形で「家族の生活」に直結している。

家賃、子どもの保育料、妻の医療費。

数字として目に見えなくても、それは「生きている実感」がある。

でも副業で稼いだ月3万円は、どこに行くのか。

自分だけの成功体験に変わっているんじゃないのか。

土曜日に同期が「副業始めようか迷ってる」と相談してきた時、僕は「続ければ、月3万くらいは出る」と言った。

その時、「月3万円で何が変わるのか」まで話さなかった。

自分も、その先を考えていなかったから。

妻の一言

洗濯物を全部畳み終わったタイミングで、妻が台所から出てきた。

「そろそろ子どもの夏服、買わないとね」

子どもは来月、保育園で夏のプール活動が始まる。

新しい水着が必要だ。靴も、春に買ったのはもう小さい。

その時、ようやく気づいた。

副業で稼いだ月3万円は、「このために」あるのかもしれない。

家族の「いつか必要になること」に、少し余裕を持たせるために。

会社の給与だけでは賄えない、細かいニーズのために。

それなのに、僕は月3万円を「成功」として数えていて、その先を見ていなかった。

それでも、違和感は残る

正直に言うと。

昨日の洗濯物を畳みながら、「あ、これが副業の本質かもな」と思った。

副業は、会社の仕事と違う。

ボーナスも昇進も、評価もない。

あるのは「自分で稼いだ」という感覚だけだ。

その感覚は、確かに心地よい。

でも、その先に「家族」という現実を置くと、月3万円の価値が急に変わる。

月3万円は、子どもの靴を買うためなのか。

妻の医療費の足しなのか。

それとも、単に「僕が副業をしている」という事実を数字で見たいだけなのか。

洗濯物を全部畳み終わった時、その答えは出ていなかった。

次の日曜の夜へ

きょう月曜の朝、いつもどおり会社に行った。

副業フォルダは開かなかった。

次の日曜の夜、また洗濯物を畳むことになるだろう。

その時に、月3万円が「自分のもの」になっているのか。

それとも、「家族のもの」に変わっているのか。

その違いが、多分、副業を続ける理由を決めるんだと思う。

妻に、月3万円の使い道を聞く選択肢が、ずっとあったことに、遅ればせながら気づいた。

ケンジでした。次の日曜の夜も、同じことを考えるんだろうな。


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