🎁【特別編】じぃじからのギフト
〜病室で過ごした14日間〜
大好きな父(じぃじ)が
病室で過ごした最期の14日間。
苦しく悲しい日々だったけれど
今思うとそれは家族にとって
大きな“ギフト”の時間でした。
この記憶を忘れないように
そしていつか誰かの心の支えに
なれたらと思って綴ります。
突然の報せ
8月7日の夕方、父(じぃじ)は病室で
ひとり、星になった。
北海道ではちょうど七夕。
彦星になったんだね。
わたし達が「また明日ね」と声をかけ
病室を出て帰ったほんの30分後のことだった。
その2週間前、深夜の電話で日常は一変した。
こうこうと照明がついた部屋で
だらんと足が落ち
42℃の発熱と意識不明の状態で
施設で発見され、救急搬送されたのだ。
母と妹とすぐ総合病院へ駆けつけた。
処置がなかなか終わらず
救急医から告げられたのは
「意識不明で、下顎呼吸になっています。
いつどうなるかわかりません」
という言葉だった。
誰のことを言っているのか
一瞬わからなかった。
じぃじのこと?
ばぁばと夕方、電話で話してたよ?
数時間前には歩いていたはずなのに。
にわかには信じられなかった。
救急処置室から病棟に移る際
「一緒に移動してください」と言われ
そこでやっとじぃじと対面した。
絶句した。
目はかっぴらいたまま。
瞬きもせず一点を見つめ
呼吸はとんでもない速さで
吸うより吐く方が多い。
想像以上にショックで
妹とただ泣くしかなかった。
病室に案内され
看取りの冊子を渡される。
医療関係者もわたし達も
もう残された時間は
ほとんど無いのだと確信した。
誰もがその日に逝くだろうと思っていたのに
わたし達に2週間のギフトタイムをくれた。
医師からは
「多分、CTには写らない脳幹に
なんらかの要因が疑われます。
熱も高いし髄膜炎か敗血症も考えられます」
と説明された。
MRIや髄膜検査の選択を打診された。
「MRI撮影中にもしかしたら…」
「髄膜採取は意識不明でもかなり痛い」
との説明に、母は検査を拒否。
意識不明の状態は
多分戻らないだろうと告げられ
抗生剤や点滴投与の対処療法で
見守ることに決めた。
2週間、じぃじからのギフト
看護師さんが言った。
「聴覚と触覚はわかりますから
話しかけたり、さすってあげてくださいね」
ならば、と、じぃじが大好きだった
昭和歌謡曲を流した。
声はいいのに、上手いんだか下手なんだか
妙なためをいれて歌うのがじぃじの十八番。
「星降る街角」が特に好きで
カラオケでは必ず歌っていた。
間奏で「ワンツー!」と得意げに
合いの手を入れ、みんなを笑わせる人だった。
「じぃじ、聞こえてる? 好きな歌だよ。
ちょっとでいいから反応してよ」
祈るような気持ちで、歌を流し
握り返すことのない手を握りしめ
毎日枕元で話しかけ続けた。
妹は耳毛やまゆ毛を丁寧に整える。
その指先に、涙がこぼれ落ちたのが見えた。
わたしはシェーバーで髭を剃る。
視界は涙で滲み、ぼやける。
それでも
「いい男にしてあげるね」と話しかけながら
手を動かした。
母はチアノーゼが出始め
冷たくなった手足を懸命にさすっていた。
わたし達の声に、じぃじは応えない。
それでも、手に伝わる温もりと
静かに打っている脈に
確かに存在を感じていた。
医療従事者の皆さんも本当に温かかった。
3時間置きの体位変換や点滴交換
たん吸入の際には
必ず、反応のないじぃじに
語りかける様に声掛けしてくれていた。
亡くなる数日前には
ストレッチャーでの入浴や
耳掃除までしてくれた。
入院直後から
ずっと清潔にして、気持ちよく過ごせるように
気を配ってくれていたのだ。
じぃじはかわいらしく、ちゃめっ気もあって
誰からも愛される人だった。
お酒が好きすぎて
アルコール依存症のために
肝臓と腎臓を壊し
今年から医療施設に入ってもらったけれど
そこでも変わらず人を笑わせる存在だった。
孫たちに月初めにちょびっとだけ
お小遣いを渡すのが楽しみで
「早く来ないとお小遣い取り上げるぞ」
なんてからかうのも
家族の宝物の時間だった。
そんなじぃじに、奇跡の瞬間が訪れた。
意識はないけれど
血圧や呼吸が少し安定したある日。
姪っ子が病室に来て声をかけた。
「じぃじ、月が変わるよ。お小遣いください」
すると、眉がぴくっと動いて
ぱちぱちと瞬きをし、口元が動いた。
「え?うそでしょ?
もう一回言ってみてくれる?」
「じぃじ、お小遣いちょうだい」
動かなかった眼が動いた。
そして、コロコロと舌を動かして
喉の奥で何かを言いたげにした。
「あげるよ」
と聞こえた気がした。
姪っ子にもそう聞こえていた。
小さな手をそっとじぃじの手に添え
力を込めて握り返す。
もしかしたら
じぃじは戻ってくるかもしれない。
――そんな気がした。
あきらかに意思があった。
ほんのひとときだけど
意識が戻ってきたように見えた。
やっぱり聞こえてる。届いてるんだ。
でも、それはその日限りの奇跡で
意識はまた深い底に沈んでしまった。
最期の別れ
入院から2週間が経ち
転院の打診があったその日。
じぃじは旅立った。
きっと「転院はいやだ、家に帰りたい」
と思ったのだろう。
「また明日来るからね」と帰った30分後
病院から「心臓が…」と電話が入った。
慌てて駆けつけたけれど
もう間に合わなかった。
さっきまで呼吸していたのに。
大粒の涙が次々とあふれポタポタとこぼれた。
「ようやく楽になったね。
大好きなお家に帰れるよ」
そう話しかけると
不思議とみんな、泣き笑いになった。
しばらくして
入院当初から気にかけてくれていた
主任看護師さんが駆けつけてくれた。
「頑張ったね」と涙を流しながら
じぃじを撫でてくれた。
看護師さんはこういう場面には
慣れていると思っていたから
泣いてくれたその姿に
私たちはなんだか救われた。
家族と見送る
じぃじを久しぶりの家に連れて帰り
仏間に寝かせた。
そこからはバタバタと流れ作業のように
葬儀の打ち合わせ。
母は気丈にふるまっていたけど
どこかトンチンカン。
妹と二人で着々と進めていった。
日取り、場所、祭壇、花輪…。
じぃじの願いは「賑やかに」。
葬儀まで日にちがあった。
自宅にはたくさんの枕花が届き
親しい方が続々と弔問に来てくれた。
「起きろ!」と声を掛けてくれる方や
「なにすまして寝てるのさ」なんて声も。
話を聞きつけて
何年かぶりに顔をみせてくれた人もいた。
別れと涙、そして笑い。
家が温かな空気に包まれた。
納棺の直前
玄関から蝶がひらひらと舞い込んできて
静かに止まった。
まるでじぃじのお迎えが来たみたいだった。
納棺師さんが準備を始めたその時。
じぃじの馴染みの床屋さんが訪れ
わざわざ髪をセットしにきてくれた。
それを終えた後、
納棺師さんは丁寧に身体や顔を清め、
きれいに整えてくださった。
通夜・告別式は想像以上に
多くの方が来てくれ、涙を流してくれた。
遺影の写真を見て
「いい顔だね」と口々に言ってもらえた。
そして
「いい式だったよ」
と誰かが言ってくれたそのひと言で
わたし達の涙腺はあっさりぶっ壊れてしまった。
火葬場で係の方が驚いたように言った。
「実年齢より10歳はお若いお骨ですね」
喉仏もしっかり残り
さらに強い火力では滅多に残らない
胸仏が三つも残った。
ひとつでも珍しいのに三つも。
骨まで“いい仕事”をしてくれたじぃじだった。
じぃじ、ありがとう
いま、じぃじは自宅でたくさんの花に囲まれ
わたし達を見守ってくれている気がする。
とぼけた顔で、大好きなお酒を飲みながら
ニヤッと笑っているのだろう。
じぃじ、本当にありがとう。
あなたと過ごした14日間は
私たちにとって
かけがえのない“ギフト”でした。
2週間は心の準備期間とわかっていたけれど
実際にぽっかりと空いた
じぃじのいつもの定位置を見ると
胸の奥がギュッとしめ付けられる。
それでも、そこにはあの笑顔や声が
まだ残っていて、
今日も少し照れくさそうに
でも確かにそこにいるような気がします。
涙がまだ頬を伝うその奥に
じぃじからもらった温かさと
かけがえのない思い出が
静かに息づいているよ。
じぃじがくれたこの時間は
これからもわたし達の心の中で
優しく輝き続ける”ギフト”です。
そして、もしかしたらこっそりビール片手に
「ほれ、みんなで飲むぞ?」
と言いながら
にやりと笑ってるかもしれないね。
✦ 完 ✦
