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災害デマの最大の拡散者は、悪人ではなく「善意の人」だった:AI書評『災害とデマ』

あなたは大きな地震が起きたとき、SNSで何をしますか?

家族の安否を確認して、ニュースを追いかけて、そして——「この情報、みんなに知らせなきゃ」とリポストボタンを押す。私もきっとそうすると思います。誰かを守りたい、危険を伝えたい。その気持ちは本物だし、否定されるべきものじゃない。

でも、もしその「善意のリポスト」が、救助の妨げになっていたとしたら?

堀潤さんの著書『災害とデマ』を読んで、私は正直、背筋が凍りました。災害時に広がるデマの正体は、想像していたものとはまるで違っていたからです。今日は、この本を通じて見えてきた「情報の脆弱性」と、私たちが身につけるべき「情報の防災訓練」について、医療の現場にいる人間の視点からお話ししたいと思います。


デマは100年前から、私たちの「不安」を燃料にしてきた


まず、この事実から始めなければなりません。

1923年、関東大震災。通信網が断たれた混乱のなかで、「井戸に毒を入れた」という根も葉もないデマが広がり、自警団による虐殺へと発展しました。当時のデマは口伝えや貼り紙という原始的な手段で広まりましたが、その構造は100年後の今とまったく変わっていません。

つまり、社会不安と情報不足が重なったとき、人はデマを暴力的なエネルギーに変えてしまうということです。

堀潤さんはこの歴史的事実を現代に引き寄せて、政府や公的機関が過去の過ちから目を背け続けることの危うさを指摘しています。公的機関が事実に基づかない発表をしたり、情報を統制しようとしたりすることが、市民の不信感を煽り、かえってデマの温床を生んできた——歴史がそれを証明している、と。

私は医療関係者として、「正確な情報がタイムリーに届かないことの恐ろしさ」を日常的に感じています。臨床の現場でも、患者さんが不確かな健康情報に振り回されて不安を募らせる場面は少なくありません。不安を抱えた人が求めるのは、「正確な事実」ではなく「安心できる物語」なのだという心理は、災害の場面でも医療の場面でも同じなんですよね。

善意のリポストが「デマの運び手」を生む


ここが、この本で最も衝撃的だったポイントです。

東日本大震災や熊本地震のとき、「有害物質を含む雨が降る」「どこどこで爆発が起きた」といった未確認情報がSNSで爆発的に拡散されました。でも、それを広めた人たちの多くは、悪意なんて持っていなかった。「家族を守りたい」「友人に危険を知らせたい」という切実な思いから、リポストボタンを押しただけなんです。

SNSの拡散機能は、個人の共感や恐怖を瞬時に数万人に届ける力を持っています。でも、それは同時に「この情報、本当かな?」と立ち止まる理性のプロセスを省略させてしまう。堀潤さんは、情報の送り手が自覚のないまま「デマの運び手」になってしまう現状を、現代社会の深刻な脆弱性だと指摘しています。

これを読んだとき、私は思わず自分のスマホの使い方を振り返りました。正直に言えば、大きなニュースが飛び込んできたとき、裏を取る前にリポストした経験が、私にもあります。たぶん、多くの方もそうじゃないかと思うんです。善意だからこそ質が悪い。それがデマの一番怖いところだと感じました。

「インプレッション・ゾンビ」——善意すら食い物にする存在


善意のリポストも十分に問題ですが、さらに悪質な段階に進化したデマの形態があります。

能登半島地震で顕著に見られたのが、「インプレッション・ゾンビ」と呼ばれる存在です。被災地の住所を騙って「助けて」「救急車を呼んでください」という偽のSOSを投稿し、それによって閲覧数を稼ぎ、広告収益を得ようとする人たちです。

これがどれだけ罪深い行為か、想像してみてください。実際に助けを必要としている人がいるのに、偽のSOSによって救助のリソースが分散される。人々の善意を悪用して金を稼ぐ。情報の価値が「それが本当かどうか」ではなく「どれだけ注目を集めるか」で決まる——これが「注目経済(アテンション・エコノミー)」の暗い側面です。

堀潤さんは、実際にデマを流した本人にインタビューまで行い、彼らの動機を検証しています。そこにあるのは承認欲求や経済的動機であり、被災者の尊厳への配慮は微塵もなかった。この事実は、私たちが生きている情報環境の深刻さを突きつけています。

「名もなき災害」が生む情報の空白


デマが広がる背景には、もう一つ見落とされがちな要因があります。それは、メディアの報道における「偏り」です。

大規模な都市部の災害はセンセーショナルに報じられる一方で、地方や過疎地で起きた災害はメディアの関心から漏れてしまう。堀潤さんはこれを「名もなき災害」と呼び、この「情報の空白」こそがデマを招く一因だと述べています。

知らされない災害、忘れ去られる被害。それは被災者に深い孤独感と疎外感を与え、既存メディアへの不信感へとつながっていく。そして、その不信感の隙間に、過激な主張や陰謀論が入り込んでいく。

ここで本書が提唱する重要なキーワードが「主語を小さくする」というアプローチです。「被災地では」「日本では」という大きな主語で語る情報は、一見すると全体像の把握に役立ちますが、個々の被災者が抱える具体的な困難を見えなくしてしまう。一人ひとりの暮らしや感情に寄り添い、個別の物語を丁寧に拾い上げる「主語の小さな情報」こそが、受け手に正確な理解を促し、デマが入り込む余地を狭めることができる。

この考え方は、私の仕事にも通じるものがあります。医療の世界でも「患者さん全体」ではなく「目の前のこの一人」に向き合うことが、最も正確な理解と適切な対応を生む。情報の世界でもまったく同じことが言えるんだと、深く共感しました。

デマは国境を越える「認知戦」になっている


少しスケールを広げた話もさせてください。

本書では、災害デマが一国内の混乱にとどまらず、地政学的リスクを孕んだ「認知戦」として国際的な問題になっていることにも触れられています。台湾では、選挙や災害に乗じた偽情報が社会の分断を煽る事態が現実に起きている。ルーマニアの大統領選では、TikTokを通じた特定の価値観の増幅が問題になった。

現代の戦争は、物理的な破壊だけでなく「人々の認識」を戦場にしているんですね。SNSのアルゴリズムが個人の関心に近い情報を優先的に表示する「フィルターバブル」や、似た意見の人々とだけつながる「エコーチェンバー」は、デマを信じ込みやすく、かつ修正しにくい環境を作り出しています。

災害デマは「偶発的な誤報」ではなく、時には高度に計算された戦略の一部であるかもしれない。この認識を持つだけでも、情報への向き合い方は変わってくると思います。

私たちに必要な「3つの情報リテラシー」


では、このデマだらけの情報の荒波のなかで、私たちはどうすればいいのか。本書の内容と、私自身の考えを合わせて、3つにまとめてみます。

第一に、「疑う勇気」を持つこと。

本書で最も多くの読者にハイライトされているのが、「一番危険なのは偽ニュースそのものではなく、自ら疑い、考えることをやめてしまうこと」という言葉です。不安や怒りに支配されているとき、人は自分の感情を正当化してくれる情報を無批判に受け入れてしまう。この「思考の停止」こそが、デマが最も好む土壌です。

情報の真偽を疑うのは、正直しんどい作業です。でも、一度立ち止まって「本当にそうかな?」と考える数秒間が、自分自身と周囲の人を守ることにつながります。

第二に、「参照はしても、信じない」という距離感を保つこと。

参考にする情報はあっても、信じていい情報はない」——これも本書の重要なメッセージです。すべての情報には発信者のバイアスや編集というフィルターがかかっている。一次情報との間に何枚ものフィルターが入っていることを理解すれば、一つの情報源に頼り切るリスクを避けられます。

複数のソースを確認し、総合的に自分で判断する。この「情報との距離感」が、デジタル時代を生きるうえで最も大切なリテラシーだと私は思います。

第三に、「拡散する前に、一呼吸おく」こと。

ファクトチェック団体(日本のFIJやBBCのBBC Verifyなど)の活動は、偽情報を論理的に打ち消す社会的な仕組みとして非常に重要です。でも、一度拡散されたデマを打ち消すのは容易じゃない。デマは感情に訴えるから伝播が速いけれど、打ち消し情報は事実の積み重ねだから人の関心を惹きにくいという弱点がある。

だからこそ、「広まる前に止める」ことが大事なんです。その第一歩は、あなたが拡散ボタンを押す前に一呼吸おくこと。「この情報の出典は?」「自分で確認した事実?」「もし間違っていたら誰が傷つく?」——この3つの問いかけを習慣にするだけで、デマの拡散力は確実に弱まります。

「情報の防災訓練」を日常に


最後に、本書を読んで私が最も強く感じたことをお伝えしたいと思います。

佐藤暁さんの考察に、興味深い指摘がありました。日本社会は台風被害を「常態化」によって忘れがちな一方、大規模地震の記憶は神話化されて過剰な不安を生む。この記憶の偏りが、特定の災害に対するデマの燃料になっていると。

つまり、災害の記憶をどう保つかという問題は、情報リテラシーの問題でもあるんです。過去の事実と正しく向き合い、未来への想像力に変えていくこと。それは物理的な防災訓練と同じくらい、いや、情報社会ではそれ以上に重要な「精神の防災訓練」だと思います。

堀潤さんのジャーナリズムの根底にあるのは、徹底した現場主義です。SNSの情報に頼るのではなく、自ら足を運び、当事者の声を聞く。ネット上の情報がどれほど充実しても、現場にしかない空気感や、言葉にならない表情は捉えられません。デマが抽象的な「概念」として広まるのに対し、事実は常に具体的で個別的なもの。現場からの報告こそが、デマに対抗する最も強力な武器になる。

私たち全員がジャーナリストになる必要はありません。でも、「情報を一方的に受け取る消費者」から、「情報の質に責任を持つ市民」への転換は、誰にでもできるはずです。自分が拡散する一回のクリックが、誰かの命を救うこともあれば、誰かを傷つけることもある。その重みを自覚すること。

終わりに


今日の話を、3つのポイントに絞ります。

1. デマの最大の燃料は「不安」と「善意」。


悪意のある人だけがデマを広げるのではなく、「誰かを守りたい」という善意が、最も強力な拡散エンジンになり得ます。

2. 「参照はしても、信じない」が情報との正しい距離感。

どんな情報にもフィルターがかかっていることを前提に、複数のソースで総合判断する習慣を。

3. あなたのワンクリックには「重み」がある。

拡散ボタンを押す前の一呼吸が、デマの連鎖を止める最初の防波堤です。

次の大きな災害は、明日来るかもしれません。その時、あなたのスマホの画面に飛び込んでくる情報の嵐のなかで、冷静に立ち止まれるかどうか。その判断力は、今日から鍛えることができます。

物理的な防災グッズを揃えるのと同じように、「情報の防災訓練」を始めましょう。疑う勇気を持ち、一呼吸おいて、自分の目と頭で確かめる。それだけで、あなたは自分自身と、大切な人を守る力を手にしています。

あなたには、その力がある。私はそう信じています。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。


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