親から子へ伝える、最後の教え
「これで映画を終わりにしたい」
そう言い残して、母は60歳で亡くなりました。
意識がもうろうとしていた母が、なぜ「映画」という言葉を使ったのか、本当のところは分かりません。
ただ、私はいつの間にか、母が亡くなった年齢を超えてしまいました。
正反対だった父と母
父は、石原慎太郎や田中角栄を思わせるような、存在感の強い人でした。
仕事でも出世し、敵も多かったけれど、同じくらい味方も多い。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」
まさに昭和の親父でした。
家庭では、亭主関白。
一方、母は父とは正反対。
温和で、少し天然。
人の悪口を言うことはほとんどなく、娘のような世代の人たちからも、「お母さん」と慕われていました。
私にとって母は、家族の空気をやわらかくしてくれる存在でした。
そんな両親のもとで、私は男三兄弟の真ん中として育ちました。
突然折れた鎖骨
母が59歳の春、突然、鎖骨を折りました。
病院で詳しく調べると、原因は肺がんでした。
がんが骨に転移し、鎖骨がもろくなっていたのです。
当時、母本人には、がんであることは伝えられませんでした。
母は、鎖骨を折っただけだと思っていました。
まだ普通に話し、普通に生活していました。
しかし、家族だけは知らされていました。
母ががんであること。
そして、年内を越せるかどうか分からないことを。
夜の三時間
ある夜、父から連絡がありました。
「話があるから、仕事が終わったら帰ってこい。」
当時、私と弟は、実家の隣の県に勤務していました。
二人で車に乗り、片道三時間かけて実家へ向かいました。
夜遅く着いた実家には、父と兄弟だけ。何も知らない母は、病院で眠っていたのでしょう。
そこで父から、母の病気について聞かされました。
帰りの車の中で、私は弟に言いました。
「今から、たばこをやめる」
母が助かるなら、自分はたばこをやめる。
私は、自分の中で願掛けをしました。
何かを差し出せば、母の命と交換できると、当時の私は本気で思っていました。
母が亡くなるまで、私はたばこを吸いませんでした。
いや、吸えなかった。
しかし、納骨の日。
隣でたばこを吸っていた叔父から、
「お前も吸うか」
と勧められ、私は再びたばこを吸いました。
母が亡くなり、願掛けを続ける意味を見失ったからです。
親が残す、最後の教え
それまでにも、祖母をはじめ、身近な人の死を経験していました。
もちろん、悲しかった。
けれど、親の死は、それまでとは違う場所に突き刺さった。
人は生まれ、いつか必ず死ぬ。
そんなことは、子どもの頃から知っています。
知識としては、誰でも知っていることです。
しかし、親の死を目の前にして、初めて心の底から分かることがある。
今まで自分を守ってくれていた人が、この世からいなくなる。
そして、母が亡くなった年齢を超えた今、次は自分たちの世代なのだと、以前より強く感じています。
私が思う、親が人生の最後に子どもへ残す、最も大切な教え。
それは、自らの死をもって、
「人は生き、そして必ず死ぬ」
ということを教えることなのかもしれません。
母が意識の薄れていく中で残した言葉。
「これで映画を終わりにしたい」
人生が、一人ひとりを主役にした一本の映画だとすれば、母の映画は60歳で幕を閉じました。
母が残した最後の言葉は、今も私の中で生き続けています。
