不在の証明|ショートショート【ノックの音が】
ノックの音がした。
書斎で静かに本を読んでいた私は、しばし耳を疑った。最近は宅配も自動ドローンが済ませてしまう。人が直接訪ねてくるなんて何年ぶりだろうか。
「はい」
重い扉を開けると、そこにはスーツを着た男が立っていた。無表情で、どことなく官僚的な雰囲気を漂わせている。持っているタブレットをちらと覗き込むと、私の名前が間違いなく入力されていた。
「突然のご訪問、失礼します。当局の『不在証明局』から参りました。」
聞き慣れない役所だが、昨今は政府の部署もやたら細分化されているのだから、そんなものか、と納得した。
「ご本人ですか?」
「……ええ、たぶん」
男は首をかしげた。
「このアドレスの住人に、不在の証明を依頼されたものでして」
私は戸惑った。
「不在の証明? 私はここにいますが」
「そう、そのように思われている方にこそ、ご納得いただくための手続きです。近ごろAIやアバター化が進み、ご自分が『本当にここに存在する』と確信できる方は稀です。依頼者は匿名ですが、ご協力は法的義務となっておりまして」
妙に納得のいく説明だった。SNSで何百人も『私』が活動している世の中だ。「本当の私」を自分で証明しろと言われて困るのも当然だ。
男はタブレットを差し出した。そこには複雑な質問が列挙されていた。
『この一週間で、ご自身しか知らない体験を三つ挙げてください』
『今この瞬間の思考内容を他者に説明できますか』
『他者から見た「あなた」と、ご自身が感じる「あなた」は一致しますか』
しばらく考え込んだが、どの問いにも明確な答えが出てこない。気がつけば、SNSの発言もAIに委ねていたし、買い物の指示も家事も自動化している。「自分しか知らない」ような行動が、最近あっただろうか。
男は淡々と続けた。
「不在が確認されました。念のため、ご署名をお願いします」
「……私、不在なんですか?」
「はい。不在につき、日常生活は従来通り自動で継続されますのでご安心ください」
そう言い残し、男は来たときの足取りで去っていった。
その晩、私は何度も鏡の前に立った。だが、その姿はどこまでも平坦で、誰のものでもない顔をしていた。
翌朝、宅配用のロボットがノックをした。私は思わず返事をしたが、もはやそれは本当に私の声だと言えるのか、自信がなかった。
今回の作品「不在の証明」は、AIや自動化が進んだ未来社会で「本当の自分は存在しているのか?」という現代的な問いを、皮肉と不条理を交えて描いたショートショートです。
読み終えた後、自分の存在についてそっと考えていただけたら嬉しく思います。
いいなと思ったら応援しよう!
もしこの記事が少しでも役に立ったり、楽しんでいただけたりしたら、チップをいただけるととても嬉しいです!
いただいたチップは、今後のより良いコンテンツ制作のための書籍代📚とnote購入🗒️、他の方へのチップ代💰に使わせていただきます。
いつも応援ありがとうございます!