標準装備|ショートショート【ノックの音が】
ノックの音がした。
田中は振り返った。誰もいない。 またノックの音。今度は自分の胸から聞こえる。
心臓のあたりを叩くと、小さな扉が開いた。
中から手のひらサイズの人間が現れた。
「お疲れさまです。私は田中さんの感情管理システムです」
「感情管理システム?」
「はい。出生時から標準装備されています。喜怒哀楽の調整を担当しています」
田中は驚いた。
「それで、なぜ今頃出てきたんですか」
「実は、システムに不具合が発生しまして」
小さな人間は困った顔をした。
「昨日、電車で席を譲られた時、なぜか怒りが発生しました。本来なら感謝の設定です」
田中は思い出した。
確かに、親切にされたのに腹が立った。
「他にも、上司に褒められて悲しくなったり、嫌いな同僚の失敗を見て嬉しくなったり」
「それは困りますね」
「申し訳ありません。緊急メンテナンスが必要です」
小さな人間は工具箱を取り出した。
「少しお時間をいただきます」
田中は待った。胸の中でカチカチと音がする。
「お待たせしました。修理完了です」
小さな人間は汗を拭いた。
「これで正常に戻ります。ただし...」
「ただし?」
「部品の老朽化が進んでいます。そろそろ交換時期です」
田中は不安になった。
「交換するとどうなるんですか」
「最新型は高性能です。悲しみは三割減、怒りは五割減、喜びは二割増し。さらに、愛情は完全に削除されます」
「愛情を削除?」
「はい。愛情は非効率的な感情として分類されました。恋愛、友情、家族愛。すべて生産性を阻害します」
田中は愕然とした。
「でも、それでは...」
「ご安心ください。その分、労働意欲が五倍に向上します」
小さな人間は営業スマイルを浮かべた。
「どうしますか?交換しますか?」
田中は黙って考えた。
そして、胸の小さな扉を勢いよく閉めた。
「結構です」
その夜、田中は妻に「愛している」と言った。
妻は驚いた。
結婚十年で初めて聞く言葉だった。
胸の奥で何かが軋む音がした。
でも、田中は気にしなかった。
この故障した感情こそが、きっと自分なのだから。
星新一氏の書籍に「ノックの音が」があり、収録されている15作品全ての物語が「ノックの音がした」で始まる。
同じ書き出しでもそこから様々なストーリーが展開される私の好きな書籍の一つである。
なので、今回「ノックの音が」ショートショートを作りたいなと思いました。
皆さん、どれかお好きな作品ありましたでしょうか。
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