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水たまりの哲学|ショートショート

夏休みが始まったばかりの夕方、少年は公園の砂場で一人、バケツとスコップを手にしていた。
クラスの皆は、昆虫採集だの植物観察だのに夢中だったが、彼の興味は、雨上がりの水たまりに映る“もう一つの世界”にあった。

水たまりには、いつも不思議な世界が広がっている。空や雲、時折、電線に止まるカラスが逆さまに映り込む。少年はそれを眺めるのが好きだった。
だが、ふと疑問に思った。

「この水たまりの中の世界は、本物の世界と同じ速さで進んでいるんだろうか?」 

彼は、一つの実験を思いついた。
まずは、直径50センチほどの水たまりを砂場につくる。次に、その水たまりの真ん中に、小さな木の葉を浮かべた。
風が吹くと、葉はゆっくりと水面を横切る。

「よし、次はこれだ」
少年は、持ってきた懐中電灯を取り出した。
光を水たまりに当て、葉が光を反射する瞬間を観察する。そして、彼は懐中電灯の光を水面で複雑に揺らしてみた。
葉は光の動きに合わせて、不規則に、しかし確実に揺れ動く。 少年はそれを数時間続けた。

夜空には星が瞬き始め、周囲からは虫の音が聞こえてくる。彼は、水たまりの底に映る星空をぼんやりと眺めていた。

その日以来、少年は毎日、公園に通った。そして、水たまりをつくり、懐中電灯の光で葉を揺らすという、奇妙な実験を続けた。

彼の家には、昔から伝わる奇妙な家訓があった。 「時を待て。だが、時の流れには抗うな」

少年は、その言葉の意味を深く考えたことはなかった。ただ、水たまりと向き合う時間の中で、なんとなくそれが、この水面上の世界と、その中に映るもう一つの世界を隔てる、見えない壁のようなものだと感じていた。


夏休みが終わり、新学期が始まった。
理科の授業中、先生がふと窓の外を指さした。  「見てごらん、あそこに大きな雲があるね。形が動いているのがわかるかな?」

皆が窓の外を眺める中、少年は、自分の机の上にあるプレパラートに目をやった。
そこには、水滴の中に閉じ込められたミクロの世界が広がっていた。光源から当てられた光は、まるで水たまりに浮かぶ木の葉のように、ほんのわずかに、しかし確実に揺らいでいる。 そして、その光の揺らぎが、天井の蛍光灯の揺らぎと、まったく同じ速さで、まったく同じように進んでいることに気づいた。

少年はふと、懐中電灯を複雑に揺らした日のことを思い出した。 もし、あの時、水たまりの上の世界に、誰かが懐中電灯を当てていたとしたら。 もし、あの時、水たまりの中に映る世界が、自分の揺らす懐中電灯によって、揺らされていたとしたら。

先生が声をかけたが、少年は聞こえていないかのように、顕微鏡の光だけを見つめていた。 彼がこの夏休みに行ったのは、水の揺らぎの観察ではなかった。
それは、彼が暮らすこの世界の、懐中電灯役だったのだ。
そして、この世界を揺らしている誰かがいる。
少年は、その存在が、いつか自分の懐中電灯の光に気づき、それを揺らしてくれるのを、ただ静かに待つしかなかった。


毎日暑いですね💦
8月に入り、夏真っ盛りということで夏休みをテーマに書こうと思いました。
子どもの頃、何気なく見ていた雨上がりの水たまり。そこに映る世界に不思議な魅力を感じていました。もし、あの水面がただの反射ではなく、この世界と繋がっていたとしたら?
ドラえもんの映画でもそのような話ありましたね
誰かに操られているかもしれない、不確かな世界で生きる私たちの「哲学」を、少しでも感じていただければ幸いです

#星新一 #ショートショート #夏休み

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