【小説】烏有へお還り 第34話
第34話
「決まっていた……って……」
声が震える。さな恵は詰めていた息を吐き出し、拳をぎゅっと握りしめた。
「どうして、わたしを誘ったんですか」
フリースクールのお祭り。偶然出会った吉川から手伝いを頼まれなければ、さな恵が関わることはなかった。
『さな恵ちゃんならわかってくれると思ったの』
吉川が泣き笑いのように顔を歪めた。
『誤解しないでね。わたしがあの子たちを追い詰めたわけじゃない。あの子たちは自ら死にたがっていたの』
そう言って、隣に佇む母の制服の肩に手をかけた。
『わたしの母はね、わたしが高校生の時に自死したの。本当はずっと死にたかったって、遺書を残して』
母が甘えるように吉川の肩に頭を乗せる。
『わたしは試しただけ。誘いを跳ねつけて、生き抜く力を持っているかをね。そうじゃないと、その闇を誰かに押しつけてしまうでしょ』
負の連鎖は断ち切らないといけない。
そうじゃないと、新たな不幸を生む。
『死ぬのに必要なのは勇気じゃないのよ』
長い時間をかけて苦しみ続けることに比べたら、ちっとも怖くない。死ぬことは眠るのと同じ。力を抜いて、身を任せればいい。
『ね、さな恵ちゃんならわかるでしょう』
吉川が囁くように笑う。さな恵は吐き気を堪えるように口を覆った。亡くなった子たちの顔が浮かぶ。
「まさか、志穂ちゃんも……」
柚果が呟いた。吉川はその名を聞いて小さく口を開くと、悲しそうに首を振る。
『志穂ちゃんね。とてもいい子だった。最期まで、残されるお母さんのことばかり心配していたわ』
柚果に向かって笑顔で合図をした志穂が、クローゼットのパイプに紐をかけてぶら下がる。目にしたことのない光景が浮かんだ。
『由利香ちゃんもね、自分なんかが母親になるべきじゃなかったって、後悔してるの』
吉川が肩に乗った母の頭を抱え込むように腕を回し、そっと撫でる。母が目を瞑った。
「お母さん!」
柚果がフェンスの奥の母に向かって叫んだ。母の肩がぴくりと震える。
「お母さん!」
もう一度叫ぶと、母は目を開け、柚果を見た。その目が見開かれる。
「柚果……」
「お母さん!」
柚果が母に向かって駆けだそうとした時だった。
「柚果……一緒に死のう」
母の言葉に、足が止まった。柚果の身体から力が抜ける。だらりと腕が下がり、膝に力が入らなくなる。
『簡単に言うなよ!』
和志が去った後で、
『死にたい……』
自分の口から洩れた呟きが、耳の中で蘇る。
『サイテー』
亜美たちのたちの視線とひそひそ声。伊佐治たちの嘲笑。教室での孤独。受けなかったテスト───。
死んだら苦しまずにすむ。楽になれる。学校にも行かなくていい。その先の人生についても、考えなくて済む。
「柚果……ごめんね」
母と一緒に死ねたら、幸せなのかもしれない。
独りぼっちで死ぬより、母と共に死ねたら。
『柚果ちゃん』
志穂の声が聞こえる。志穂が呼んでいる。
独りで寂しがっている。あの世で、柚果が来るのを待っている。
『柚果ちゃん!』
突然、背をばちんと叩かれたような衝撃が走った。だらりとなっていた身体に力が入る。両手をぎゅっと握りしめた。
志穂はそんな子じゃない。志穂は、自分のことよりも相手のために行動できる子だ。
「お母さん!」
柚果が叫んだ。
「お母さん、わたしに甘えないで!」
涙が出ないように、必死で奥歯を食いしばった。さな恵が柚果の震える肩をそっと支える。
「ここにいるのが大翔だったら、お母さん絶対にそんなこと言わないよね」
クラスメイトから責められた中学生のように、母が悲しそうに眉を寄せた。
「ねえ、お母さん! わたしは、昔のお母さんじゃないし、お母さんの分身でもないよ!」
これまでずっと、母に伝えたくても伝えられなかった言葉が、柚果の口からあふれ出る。さな恵の手のぬくもりが、力をくれる。
「わたしはお母さんのこと甘えさせない! だからお母さんも、お祖母ちゃんのこと甘えさせないで!」
母が目を瞠る。柚果は母と自分を隔てるフェンスに歩み寄った。指をかけ、力を込めて揺さぶる。
「お母さんには、お父さんや、大翔や、わたしがいるでしょ!」
秀玄彫りの時のように、家族四人で出かけたこと。笑い合ったこと。みんなでご飯を食べたこと。誕生日を祝ったこと。
すっかり忘れていたような昔のことまで、次から次へと蘇ってくる。
「だからもう、お母さんの心から、お祖母ちゃんのことなんて捨てちゃってよ!」
声を上げて泣く柚果に、さな恵が追いついて背中に手を当ててくれる。
「柚果……」
母が両手で顔を覆う。堪え切れなくなったように嗚咽を漏らした。
「柚果、ごめんね……」
力が抜けたようにしゃがみ込んだ。雪の上にぺたりと尻をつく。
「由利香!」
屋上のドアが開き、父が現れた。その後ろから、頭を抑えながら和志が歩いてくる。
「雅樹さん……」
母が目を瞠った。立ち上がり、フェンスに向かって歩み寄る。
『なんでそんな言い方で、わたしを傷つけるの』
『それって、わたしのこと本気で好きじゃないってことだよね』
自信のなさの裏返しで、つき合う相手にはいつも、相手の気持ちを試すようなわがままをぶつけてしまう。
『面倒くさい女』だと、大抵の男性は去っていくけれど、夫は違った。
『俺、男ばっかりの家で育ったから、女の子の気持ちとかよくわからないんだよね』
そう言って頭を掻く。適当に受け流したりせず、本気で困ってくれる。
のんびり屋で、あまり自分から発信しない代わりに、由利香の話にじっと耳を傾けてくれる。
この人となら、幸せになれる。
そう思った時の自分は、死とは反対に向かっていた。光を目指して、闇から抜け出そうと精いっぱいもがいていた。
『あーたん』
よちよち歩きの娘が、生えそろわない歯を覗かせて笑う。
『おたーしゃん』
三輪車を漕ぎながら、娘が得意げに振り返る。
『おかあさーん』
ベンチに座る大きなお腹の自分に、娘がすべり台の上から手を振っている。それだけで、とろけるくらい幸せだった。
どうして忘れていたんだろう。
「ごめんね、柚果」
母がフェンスに取りすがり、柚果に呼びかける。
「柚果、ありがとう」
母の指が、柚果の指に重なる。制服姿の中学生ではない。いつもの母が目にいっぱい涙をためながら柚果に笑いかけた。
