【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第18話
第18話
「この後はニュースとお知らせを挟んで、二人三脚ぐるぐるバット競争でーす!」
短い音楽に合わせ、ベテランの女性司会者がカメラに向かってポーズをとる。
スタッフの声がかかり、スタジオ内の緊張が緩んだ。出演者たちが、一隅に設えられたケータリングのコーナーへぞろぞろ移動する。一番端の席で、創と洋太も食事にありついた。
長時間生放送の特別番組の、大勢のゲストの一員として呼ばれた。バラエティ寄りのクイズ番組で、活躍すると豪華賞品などがもらえる。創や洋太にとっては子どものころから見ていた憧れの番組だ。
出演するゲストは他局のこうした特番に比べても最多数だろう。芸人のみならず、俳優、スポーツ選手、文化人なども出演する。本番前の楽屋挨拶はきりがないほどで、漏れがないように洋太と二人で必死にチェックしながら回った。
創は離れた席でケータリングの寿司を食べている男性に目をやった。今日はスタジオに入った時からずっと気にしていた。
映画監督の神園おうかだ。宣材写真よりも少し老けている。創のいる角度から見ると、写真よりも顎がたるんでいるが、背も高く、身体の厚みも健在だ。若いころはスポーツをやっていたのだろう。今でも鍛えているのか、腕などもがっしりしており、広く空いた襟ぐりから筋肉質な胸元が見えた。
ふと、創は神園おうかの顔を見つめた。どこかで見たことがある。宣材写真を見た時は気づかなかった。けれどもこうして実際の姿を目にすると、確かに会ったことがあるような気がする。
『あの人、嘘をついていると思います』
保奈美の言葉を思い出す。一条かれんのことを覚えていないと言った助監督。彼はなにかを知っていて隠している。
つまりそれは、神園おうかも一条かれんについてなにか知っている可能性があるということだ。創は手にしていたラーメンの丼を置くと、そちらに向かって一歩進みかけた。
その時、神園おうかがすっとスタジオの外に出ていった。創はその姿を目で追う。
「おい、創。どこ行くんだよ」
洋太が慌てたように声をかけるが、創はなにかに突き動かされるように、後を追って走り出した。
スタジオの廊下へ飛び出したが、神園おうかの姿はどこにもない。
トイレかもしれない。創は見回した。広い特設スタジオのフロアは初めてだったが、方角を定めて走り出す。
角を曲がろうとしたら、向こうから来た人物とぶつかりそうになった。
「あっ、すんません」
とっさに謝り、駆け出そうとした創は足を止めた。振り返り、目を瞠る。
一条かれんだった。
「あのっ、すんません」
立ち去る背中に声をかける。一条かれんが振り返った。不審をあらわにして創を眺める。
「あの……」
唾をのみ込んだ。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、頭の中が真っ白だ。
「保奈美ちゃんが……ずっと心配してます」
保奈美の顔が浮かんだ。かれんからの手紙を読み返す真剣な横顔。初めて会った時の、スタジオの外の植え込みに座り込む、心細そうな姿。怪しいスカウトの男に訴える真剣な顔──『ただ、一条かれんに会いたいだけなんです』。
「保奈美ちゃんに連絡したって下さい。あの、彼女の連絡先は───」
「なんのことでしょうか」
一条かれんが創の言葉を遮る。眉ひとつ動かさない、能面のような冷たい顔だった。
「誰か他の方と人違いなさっているのでは?」
それだけ言うと、すっと創に背を向けた。
『わたし、一条かれんっていいます』
記憶の中の笑顔が蘇る。創は目の前の一条かれんの背中に向かって言った。
「あんた……誰や」
立ち去りかけた一条かれんが歩みを止める。
「あんたが……あんたが殺ったんか、一条かれんを」
一条かれんが鋭く創を振り返った。
「あんた、一条かれんをどこへやったんや!」
創が一歩詰め寄る。一条かれんが後ろ足で下がり、わずかに口を開いた。その瞬間、
「創、なにしてんだよ!」
後ろから洋太の声がした。肩越しに目をやると、廊下の向こうから慌てたように手招きしている。
「早くしろよ、もう始まるぞ」
向き直ると、一条かれんが足早に遠ざかっていくところだった。
「創、早く!」
洋太の声に、創はスタジオに向かって駆け出した。息を弾ませながら二人で席に着く。
収録が再開しても、創の頭はさっきのことに囚われたままだった。
『テレビに出ているあの一条かれんは、姉ではないんです。うまく言えないんですけど、あれは偽物だと思うんです』
保奈美の言葉が蘇る。創は額を覆った。
あれは本物の一条かれんではない。それだけは間違いない。
だとしたら、一体誰だ。
「まさか……」
創が小さく呟くのを、隣の洋太が心配そうに目をやる。
まさかとは思う。信じられない。けれども、創はその考えを捨てることはできなかった。
幸田久子──同居人の女が一条かれんを乗っ取った。そんなことが本当にありえるのだろうか。
