【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第11話
第11話
「ごめんなさい、お待たせしました」
保奈美がベランダを開ける。創は濡れた身体を縮こませ、部屋の中に飛び込んだ。温かい空気に触れて毛穴が開き、大げさなほど身体がぶるりと震えた。
「創さん、大丈夫ですか」
保奈美が駆け寄った。創の濡れた身体をタオルで拭き始める。
「いや、大丈夫。急に雨がな」
シャワーを浴びる保奈美のためにベランダに出てしばらくすると、積乱雲が堆く空を隠し、雷鳴が響いてきた。突然の夕立ちだった。
心配顔の保奈美に、
「ええから早く髪乾かし。きみの方が風邪ひいてまうで」
とタオルを受け取った。保奈美は一瞬のためらいの後、
「創さん、もうベランダに出なくていいですから、部屋にいてください」
と言った。身体を拭く手を止め、創が「でも」と呟く。保奈美はネットカフェでシャワーを覗かれたことがトラウマになっている。
保奈美は強く首を振った。
「わたし信じていますから。創さんは絶対に覗いたりしないって」
「そう断言されると、逆にフリかと思うやん」
お笑い芸人の悲しい性だ。しかし保奈美は意味がわからなかったらしく、きょとんと目を丸くする。
「わかったわかった。ほなそうさしてもらうわ」
保奈美には言っていなかったが、昨日は蚊に刺されてさんざんだった。
髪を乾かし終えた保奈美が自分のバッグを開け、中から手紙の束を取り出した。
神園おうか監督の事務所から帰路につく間、創と保奈美は思案していた。あの助監督の嘘を暴くためにも、一条かれんの足取りをもっと掴む必要がある。
「劇団の座長さんがいくつかヒントくれたからな」
キーワードは「ストーカー」「アルバイト」「引っ越し」だ。これまでかれんから保奈美に届いた手紙をもう一度検めることにした。
「でも、引っ越しに関することは書いていなかったと思います。あったら覚えていないはずがないし」
保奈美が封筒の一つを手に取り、中身を取り出す。他人に届いた手紙を読むのは気が引けるので、そこに描かれているイラストに目をやった。一条かれんは絵が好きだったのか、手紙の余白には必ずいくつかのイラストが描かれていた。当時はまだ小学生だった保奈美を喜ばせようという気づかいかもしれない。
手紙の束は厚く、二十通以上はありそうだった。葉書も含まれている。
保奈美の話によると、一条かれんが地元を離れて上京したのは、彼女が高校を卒業する直前の冬だ。かれんと保奈美が文通していたのはおよそ二年弱。そして音信不通になってから二年が経過している。
もし保奈美の言う通りに、現在テレビに出演している一条かれんが偽物だとしたら、本物は一体どこでなにをしているのだろう。偽物が自分の顔と名前を騙ってテレビに出演していることに、なぜ沈黙を守っているのか。
どう考えても、悪い想像にしか結びつかない。創は真剣なまなざしで手紙の文字を追う保奈美の横顔にちらりと目をやった。
