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【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第20話

   第20話

 ドアに鍵を差し、静かにノブを回す。部屋の中は明るかったが、保奈美が机に突っ伏したまま眠っていた。

 急いで泥だらけの服を脱ぎ、浴室に入った。明るいところで手のひらを見ると、細かい砂利に混ざって血がにじんでいた。最初に殴られた背中はリュックを背負っていたため痛みはないが、脇腹と肩は赤くなっているのがわかる。シャワーのお湯をかけるとあちこち沁みた。

 耳の奥にさっきの言葉が蘇る。『余計なことをするな』『次はないと思え』───。

「一体、誰や……」

 創が幸田久子を調べることを良く思わない人物がいる。それも二人。

 安全なところへ来ると、さっきのことが悔しく思えてきた。腹がふつふつと煮える。相手は打ち物を持っているのだから、懐に入ってしまえば動きを封じられた。顔面を殴り、あの目出し帽をはぎとってやればよかった……相手が二人では無理か。

 廊下に敷いたマットの上で身体を拭いていると、リビングで人の気配がした。服を身に着けて部屋に入ると、保奈美が起きて、こちらに身体を向けて座っていた。

「おかえりなさい」
 保奈美の笑顔に、胸がちくりと傷む。

「今日は暑かったなあ。保奈美ちゃん、体調崩してへんか」

『あんたが……あんたが殺ったんか、一条かれんを』

 スタジオの廊下で会った一条かれんの姿が蘇る。保奈美の目を見ることができず、
「俺が遅なる時は、遠慮せんと先に寝とってな」
 傷む身体をこわごわと曲げ、ベッドに腰かける。保奈美が「はい」と頷いた。

 スマホが鳴った。画面を見ると、『早坂祐奈』となっている。はっと目を瞠ると、保奈美も緊張した顔を向けた。

「もしもし」
 スマホを片手に、キッチンの方に身体を向ける。

『もしもし。あたし早坂ですけど、わかります?』
 幸田久子の中学時代の友達だ。煙草を指に挟む姿を思い出す。

「はい、なんか情報入りましたか」
 創はちらりと振り返った。保奈美がじっとこちらを伺っている。

『実は、同窓会を開いたの。感謝してね。手配とか大変だったんだからぁ』
 ねっとりした口調は、金額の上乗せをねだっているのだろう。

「ありがとうございます。ほんで、幸田久子の連絡先はわかったんですか」
 創の質問に、祐奈は『まあまあ、そう焦らないで』と間延びした声で言ってから、あっさりと、

『先に言っちゃうけど、連絡先はわかりませんでした』

 拍子抜けしたが、次の瞬間にはむしろ合点がいった。あの幸田久子が──一条かれんを消して顔と名前を奪った女が、今でも昔の友達と連絡を取り合っているとは考えにくい。

『でも、一つとんでもない事実が判明したの。聞きたい?』
 祐奈がもったいぶって言った。「お願いします」と先を促す。

『あいつ、なんとAV女優をやってたのよ。風・信子っていう名前で。今はもう辞めたみたいだけど』

 創は耳を疑った。これまで抱いていた幸田久子のイメージと結びつかない。

『あとわかったのは、彼女の進学先。同じ高校に進んだ子からも、探してもらうように頼んでおいたから、またなにかわかったら連絡するね。でもその前に……』

 祐奈の言葉が耳をすり抜けていく。保奈美を振り返り、見えないペンで宙に書き物をした。保奈美が急いで筆記用具を差し出す。

「ありがとうございました。お金、振り込ませてもらいます」
 祐奈の口座番号を控え、電話を切った。中学生である保奈美に伝える内容ではないが、ごまかせそうにない。祐奈から聞いた内容を正直に伝えた。

「AV……ですか」
 保奈美はあまりピンと来ていないようだった。ぼんやりとしたイメージしかないのだろう。

『風・信子』という名前をメモする。ネットで検索したいが、さすがに保奈美の目の前では気が引けた。

「他に手がかりはあらへんしな」
 創は呟いた。明日の仕事はスタジオでの収録で、集合時間は十五時だ。それまでの間なら、そのAVの事務所を尋ねることができる。

「わたしも行きます」
 保奈美が真剣な顔で言う。

「アカンて。中学生が行くとこちゃうよ」
 創が慌てて止めたが、保奈美は強く首を振った。

「お願いします。わたし、もっと詳しく知りたいんです。幸田久子という人のこと」

 幸田久子の冷たい目を思い出す。一条かれんと同じように、保奈美までなにかあったら──そう考えるとぞっとする。

「わかった。ほな、絶対に俺から離れんといてな」

 一条かれんを見つけてやりたい。そのためには、一刻も早く幸田久子の正体を暴かなくてはならない。

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