【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第28話
第28話
日当たりの良くないアパートの一室は、昼間でも薄暗かった。つけっぱなしになっている小型のテレビから、ボリュームを絞ったワイドショーが流れている。
「幸田久子について、知ってはることをなんでも教えて下さい」
鴨志田蓮のアパートを訪ねてそう懇願すると、彼はドアを開き、二人を招き入れた。
「僕はなにを話せばいいんでしょうか」
蓮がぼそりと呟いた。創は少し考えてから、
「幸田久子……さんとは幼なじみやって聞きました」
と切り出した。蓮は黙ったままじっとしている。
「火事におうて、彼女は引っ越しはったんですよね」
創の言葉に、蓮はわずかに頷いた。
「……過失やのうて放火なんですよね。幸田久子さんが火をつけたことについて、なんかご存じですか」
蓮はしばらく黙っていたが、重い口を開いた。
「あの日、チャコはうちに遊びにきていたんです」
創と保奈美は目を合わせる。二人は蓮の口から語られる話に耳を傾けた。
十一歳だった。心も身体も、大人への階段を上り始めていた。たとえ幼なじみでも、男女はもう共に遊ばない。けれども久子と蓮はいつも一緒だった。周囲から二人の仲をからかわれると、
「そんなの関係ねえ!」
お笑い芸人の真似をして踊り出す。頭の回転が早く、弁が立つ久子に敵う者は誰もいない。蓮としても、久子と遊べなければつまらなかった。勉強もそれ以外も、蓮と対等に張り合えるのは久子しかいない。
学校から帰って、蓮の部屋で二人でさんざんゲームをした。夕方になったころ、チャイムが鳴った。
「チャコちゃーん、お父さんが迎えに来たわよ」
まだ家を出ていく前の蓮の母が、一階から久子を呼ばわった。蓮はふと、久子の顔が曇ったことに気づいた。
二人で階段を降りていくと、玄関の三和土に立つ久子の父に、蓮の母が愛想をふりまいているところだった。
「そろそろ帰っておいで。今日はお母さんがいないから、外に夕飯を食べに行こう」
久子の父が手招きをする。蓮の横をすり抜けて玄関に向かった久子に向かって、口から言葉が飛び出した。
「チャコ、今日、うちに泊まってけば?」
久子は驚いて蓮を振り返った。すかさず蓮の母が、
「あら、そうねえ。そうする、チャコちゃん」
と言って、久子の父に笑顔を向ける。
「うちはかまわないですよ。明日は学校お休みだし」
「いえ、そんなわけにはいきません」
久子の父が首を振った。言葉は柔らかいが、迷いのない固い口調だった。蓮の母が「そうね」と呼応し、
「急すぎるわよね。女の子だし、準備もあるものね。また今度泊りにおいでね、チャコちゃん」
そう言って久子と父を門の外まで見送りに出ていく。蓮は自分の部屋に戻った。
玄関に向かった時の久子の表情が気になった。怯えたような顔に見えた。
それに──蓮が「泊まってけば?」と言った時、一瞬だが久子の父が蓮に鋭い目を向けた。
あれはなんだったんだろう。言葉ではうまく説明できない。腹の中がもやもやした。
もっと強く引き留めたらよかった。蓮は窓の外に目をやる。久子を乗せた車が遠ざかっていくのが見えた───。
「あの夜、チャコの家が火事になりました」
蓮が一枚の写真を差し出した。
「これは……」
「チャコの写真です」
鴨志田蓮と共に一人の少女が写っている。髪をポニーテールに結い、満面の笑顔でポーズをしている幸田久子はとても美少女だった。
「あの火事で、チャコは顔に大やけどを負ったんです。けれども、失ったのは顔だけじゃない」
蓮が片方の手で顔を覆った。その時、テレビから流れてきた音声に、創は耳を疑った。
「創さん、今……」
呟く保奈美を手で制し、テレビの音声に耳を傾ける。
『くり返しお伝えします。タレントの一条かれんさんと、都内に住む一人の女性が、映画監督の神園おうか氏に対する傷害容疑で逮捕されました』
創と保奈美と蓮は声も出せないまま、テレビの画面を見つめていた。
