【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第9話
第9話
「なんや、気の抜けたことやっとったな」
乾杯をしたままジョッキに口をつけられないでいる創に、元木が呆れたように言った。
「オマエら、ちゃんとネタ合わせしてへんかったやろ。見たらすぐわかるんやで」
ムッとしたが言い返さなかった。見かねて、矢崎が止めに入る。
「創は今、テレビの方で忙しいから」
「そんなん言い訳にならんわ。せっかくチケット買うて来てくれたお客さんに、あんな寝ぼけた舞台見せたら失礼やんか」
言葉もなかった。言い方はきついが、元木の言うことは正しい。
今日は事務所の主催する劇場の舞台に立った。わざわざ足を運んでくれるお客さんを大切にしなくてはいけない。事務所や先輩に言われるまでもなく、いつもありがたいと思っていた。洋太と『そうしよう』としてネタができるのも楽しみだった。
それなのに散々な出来だった。去年、テレビ番組でネタを披露した時と同じことをやってしまった。
毎年お笑い賞レースに挑んでいるが、一度だけ準決勝まで進出した。そのおかげか、編成時期の大型特別番組でネタを披露するチャンスを得た。しかし『そうしよう』のような実績のない若手は、持ち時間が極端に少なかった。
そこで、賞レースの予選でウケたネタをショートカットした。それでも時間が足りず、オチまで盛り込むためにテンポを早くした。そうしたら、予選の時に比べてお客さんからの笑いが極端に減った。
焦るほど間の取り方がわからなくなり、さんざんな結果になった。「テレビでネタするの、慣れてないからな」と矢崎はフォローしてくれたが、それ以来トラウマになっている。
笑いが少ないと感じると、洋太のボケに畳みかけるようにツッコんでしまい、テンポが早すぎてしまうのだ。今日の劇場でも、お客さんを置き去りにしたまま、ネタだけが進んでしまった。
「お前ら、いっそのことボケとツッコミ変えた方がええんちゃう」
元木が箸を振る。汁が一滴飛んだ。
創は黙っていた。それについては二人で何度も考えた。その結果、今のスタイルが一番いいということにたどり着いたのだ。
「創の切れ味鋭いツッコミと、洋太のあの淡々としたボケは、バランス良いと思うよ」
矢崎が横から言ったが、元木の口は止まらない。
「そもそも、関西弁と標準語のコンビっていうのが異質やねんな」
養成所ではそのミスマッチがウケた。講師からも、「これが意外と化学反応を起こすんやな」と感心された。
「もうええって、元木」
大石が強く遮った。叱られると思ったのか、元木が頭を垂れ、矢崎が背筋を伸ばす。
「なあ、創。お前らが本当はええもん持ってて、もっと成功するはずやのに勿体ないと思うてるから、元木もこうして言ってるんやで。悪う思ったらあかんよ」
大石の言葉に、創の視界がじわりと歪んだ。元木も神妙にうなだれる。
「まあ、焦らんとやるこっちゃ。誰もが通る道やでな」
帰り際に、大石はこっそりと創に小さな紙片を渡した。
「例のこと、俺の知り合いの監督に話したら、神園おうかの個人的な連絡先は知らんけど、今ちょうど次の映画の準備に入ってるはずやって教えてくれたわ。これ、その事務所の名前と住所な」
創は言葉もなく、深く頭を下げた。
