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【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第30話

   第30話

 狭く仕切られた廊下に、背もたれのないベンチソファがぽつりと置かれている。弁護士の多岐川と保奈美と並んで座りながら、創は尻をもぞもぞと動かした。目に入るものは白い壁のほかなにもなく、それでも落ち着かずに周囲を見回す。

 しばらくして、係の人が現れた。誘導され、一つのドアの前で立ち止まる。

「失礼します」

 多岐川に続き、創と保奈美が入室した。部屋には窓がなく、薄暗い印象だった。真ん中は壁で仕切られており、中央だけがくりぬかれ透明な板が入っている。小さな穴がいくつも開いているその透明な板の向こうには、同じような大きさの殺風景な部屋があった。

 多岐川と創と保奈美が椅子に腰かけて待っていると、奥の扉が開き、一条かれんの顔をした幸田久子が入ってきた。

「弁護士の多岐川啓子です」
 多岐川が目礼し、取り出した名刺を幸田久子に見えるように透明な壁に立てかけた。

「以前、お会いしたことがありますよね」
 多岐川の言葉に、幸田久子が頭を下げる。

「その節はお世話になりました」
 幸田久子が口を開く。創はごくりと唾をのみ込んだ。隣の保奈美を見ると、彼女もまたこわばった顔で目の前の幸田久子を見ている。

 事件から一週間が経過していた。幸田久子と神園ゆうきは犯行後その足で自首し、すべての事実を包み隠さず明らかにした。そのため、逮捕から起訴までは速やかだった。

 幸田久子は一条かれんとしてテレビに出る一方で、神園ゆうきと共に神園おうかによる性暴力被害者の会を作っていた。被害者の情報を集めては本人を訪ね、共に告発することを説得する。時間はかかったが、被害者の気持ちに寄り添いながら根気よく続けた。

 信頼できる人に代表を譲り、二人は復讐の計画を実行した。神園おうかは現在入院中だが、既に会からの被害届は提出され、警察が捜査している。

 幸田久子の整形手術を引き受けたのは神園ゆうきだ。ただその理由についてのみ、久子は黙秘している。

『あの男は狡猾でした』
 犯行の内容については、幸田久子と神園ゆうきの証言が一致していた。

『監督、わたしのこと覚えていますよね』

 スタジオの楽屋に突然現れた一条かれんに、神園おうかは震えあがった。彼女がテレビに出演するようになってからずっと、こんな時が来るのではと恐れていた。

『わたしがかつての被害者だと名乗り出たら、マスコミは黙っていません。さすがにこれは握りつぶせませんよ』

 一条かれんの顔をした幸田久子はこう告げた。

『破滅したくなかったら、お金を用意して、指定された場所まで一人で持って来て下さい』

 やってきた神園おうかを、隠れていた神園ゆうきが背後からスタンガンで襲った。学生時代からスポーツで鳴らした肉体派の神園おうかでも、ひとたまりもなかった。

 二人がかりで拘束し、高いところの枝を伐採する鋭いハサミで男性器を切り落とした。

『本当は殺してやりたかった。でもそれより、苦しみを味わわせてやろうと思ったんです』

 二人が望んだ通りに、このニュースは世間を震撼させた。この先、強制性交に及ぼうとする男性の脳裏には必ず、この事件のことが浮かぶはずだ。急所が切り落とされる恐怖について考えずにはいられないだろう───。

 多岐川と創の間に座っている保奈美が、ぽつりと呟いた。

「久子さんは姉の……一条かれんの親友だったんですよね」
 幸田久子が目を伏せ、口を結ぶ。

「今日お伺いしたのは、姉の最後の手紙を読ませていただきたくて……」
 保奈美の言葉に、久子は目を伏せたままじっと黙っている。それは拒絶を表すものではなかった。

 一条かれんの残した手紙は、証拠として提出されたが、多岐川がコピーを取り寄せた。今は多岐川の手元にある。

「久子さん、わたしが読んでもいいでしょうか……?」

 保奈美の問いに、久子がゆっくりと顔を上げた。かつて創が見た能面のような表情ではなく、本物の幸田久子の顔が見えたような気がした。

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