【小説】忘れえぬ女(ひと) 第3章 第7話
第7話
下北沢の駅を降り、創はスマホを取り出した。店が立ち並ぶ路地を、地図アプリの指し示す通りに進んでいく。
背後からスピードを落とした車が近づいてきた。よそ見をしていた保奈美が慌てたように避ける。
「どないした」
歩道を歩きながらも、きょろきょろと周辺に目をやる保奈美に、創が声をかけた。
「ここが噂の下北沢なんですね」
「どこの噂やねん」
保奈美は構わず、好奇心丸出しで辺りを見回しながら創の後をついてくる。アプリに従って歩いて行くと、一つの建物の前にたどり着いた。
「ここやな。姉さんが所属してた劇団は」
保奈美が慌てて一枚のチラシを取り出す。
『劇団朝昼夜 第十三回公演』
三つ折りに畳まれ、かれんの手紙に同封されていたものだ。届いたのは、かれんが家を出てから一年後くらいだという。
「姉の名前は載っていないのですが、代役で舞台に出演することになったと、手紙に書いてありました」
かれんの足取りを辿るなら、これは大きな収穫だ。創は入口の戸に手をかけた。しかし鍵がかかっている。
「誰もいないんでしょうか」
保奈美がそっと中を伺う。
「いや、こっちからなんか聞こえるわ」
創は建物の裏手の方へ歩いて行った。壁と塀の隙間を進んでいくと、奥に倉庫のようなものがあるのがわかった。声はそこから聞こえてくる。どうやら稽古中らしい。
「すんません」
創が入口から声をかけると、女性が一人出てきた。
「はい、どちらさまですか?」
笑顔で尋ねながら、創と保奈美を不思議そうに見る。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、ええですか」
創が保奈美の手からチラシを受け取り、彼女に向かって広げる。
「これって、こちらの劇団ですよね」
女性がチラシを手に取りながら、
「ええ、そうですけど……」
と首をかしげる。
「この舞台に出演しとった一条かれんという女性を探してるんです」
「はあ」
女性はチラシをひっくり返した。
「一条……かれんさん?」
「はい、でもそこに名前は載ってへんのです」
「少々お待ちください」と言い残し、女性はチラシに目をやりながら奥へ戻っていく。やがて奥から一人の男性が現れた。手にチラシを持っている。
「お待たせしてすみません」
眼鏡をかけ、髪に白いものが混じっているが、その男性は創の目から見ても格好良かった。つられて自然と背筋が伸びる。
「一条かれんちゃんね。確かにうちの劇団にいましたよ。ほんの少しの期間だったけど」
劇団の座長だという男性は目を細めてそう言うと、創の手にチラシを返した。
「最近はずいぶんとテレビで活躍していてうれしいですよ。彼女がどうかしたんですか」
「あの、いつからいつまでこの劇団におったのか、教えていただけませんか」
創が尋ねるのを、保奈美が息をつめて見守っている。
「ええと、半年から一年くらいの間かなあ。入ったのは、ちょうどこの公演の稽古をしていた時期でしたよ」
言いながら座長がチラシを指さした。
「辞めたんはいつですか?」
座長が口を結んで創の顔を見る。不審の色が浮かんでいることに気づき、急いでつけ加えた。
「彼女、一条かれんの親戚なんです」
保奈美を前に押し出し、
「自分も同じようになりたいから調べたい言うて。あっ、ちなみに俺は『そうしよう』っちゅうコンビでお笑い芸人やってます」
改めて名乗り、二人で深々と頭を下げた。
「それなら、直接本人に聞いたらいいじゃないですか」
「いや、それが会うたこともない遠縁なんです。な」
創のでまかせに、保奈美が頷く。
座長はまだ納得いかない様子ではあったが、もともと人を疑うタイプではないらしい。
「彼女はね、本当は舞台よりも映画の方に興味があったんですよ」
昔話をするように、詳しく話してくれた。
「だから、うちで演技の勉強をしながら、しょっちゅう映画のオーディションを受けていたんです。そうしたら、とある映画のワークショップに参加することになって」
映画監督が主催するワークショップに参加し、演技の勉強をした。一条かれんはそこで端役をもらえることになったらしい。
「最初は両方頑張りたいって、こっちにも通っていたんだけど、お金の面でも厳しかったみたいで」
話すうちに記憶が蘇ってきたのか、座長の舌が軽くなる。
「お金……ですか」
一条かれんは金に困っていたのか。創の頭に金銭トラブルの文字が浮かんだ。借金から逃げるために行方をくらます。それはありえそうな話だ。
「そう、アルバイトを辞めたから。お世話になったのに本当に申し訳ないって、最後に挨拶に来てくれた時に言ってたよ。性格のいい、優しい子だったからね」
座長が残念そうに言った。
「アルバイトを辞めたって、なんでですか」
金に困っているのに、なぜアルバイトを辞めるのか。創の問いに、座長が一瞬だけ迷ってから、声を潜めて言った。
「ストーカーだよ。そのせいで引っ越さなくちゃならなくなってね」
創と保奈美が顔を見合わせる。保奈美は小さく首を振った。かれんの手紙には書かれていなかったのだろう。
「すんません、そのアルバイト先ってどこやったかわかりますか」
「いや、わからないなあ」
座長が首をひねる。
「ほな、そのワークショップに参加したっちゅう映画のタイトルだけ教えてもらってええですか」
創の隣で保奈美が背筋を伸ばす。二人はもう一度深く頭を下げた。
