【小説】もうひとりの転校生 第10話
第10話
「前田さん」
名前を呼ばれて顔を向けると、受付の女子社員から目配せされた。そこに立っていた男性がこちらに向かって会釈する。慌てて近づいた。
男性が胸に提げているホルダーを目で確認する。スポーツクラブの広報の人だった。来年の国際スポーツ大会に出場する選手が所属している。
「本日はご足労頂いて、ありがとうございます」
挨拶を交わし、名刺を交換した。うちの社のブースを案内する。
「このシューズはすごくいいって、うちのチームの子たちがみんな言ってますよ」
バスケットシューズの前で足を止め、彼が目を細めた。「監督も言ってます。これのおかげですごく調子がいいって」
「ありがとうございます」
選手たちにはいくつかの企業が無料提供しているだろう。その中でうちの会社の製品を選んでもらえたことは幸甚の至りだ。
帰っていく後ろ姿に深く頭を下げた。広い会場内を見回す。
交代で昼休憩を済ませた頃から、会場内はかなり混雑してきていた。みんな首からホルダーを提げている。俺たちスタッフは社名のロゴが入っているが、客人たちのホルダーには社名と名前とQRコードが記載された用紙が入っていた。
会場の正面ロビーには機械がずらりと並んでおり、受付の者が客から受け取った名刺をスキャンすると、自動的に用紙が印刷される。QRコードをかざしてゲートをくぐると、入退場のデータが自動的に残るシステムだ。
「前田さん、今の時点で来場者数が予想の六割を超えてます。資料、足りなかったらどうしましょう」
女子社員の高橋がそっと俺に耳打ちする。
「もし足りなければ、後日お送りさせていただくとお伝えして」
各ブースでもQRコードをスキャンして来場者のデータを把握できる。
「わかりました」
高橋が笑顔で戻っていった。会場内は活気づき、後輩たちは良い表情をしている。
「すっ、すみません!」
時おり、瀬能はるかがやらかす失敗も可愛いものだ。今はテニスラケットを取ろうとしてピラミッド状に積み上げられていたボールをぶちまけている。
ブース内は笑いに満ち、社員も客も一緒になってボールを追いかけた。その様子に足を止めた客が、興味を引かれたようにうちの社のブースを覗き込む。
「いいね、きみの会社は」
声をかけられた方に顔を向けると、隣のブースの男性だった。年齢はうちの父親と同じか、それより少し若いくらいだろうか。
「若い人が頑張っている会社には、将来性を感じるよ」
そう言って、男性が俺の背を軽く叩いた。
「頑張って」
「ありがとうございます」
頭を下げながらもわかっていた。これは俺の功績ではない。
事前の根回し、細部まで緻密に計算された丁寧な仕事。同期の能力の高さを改めて思い知らされる。
くそ、やっぱりすげえな。あいつ。
こんな大事なイベントの責任者を任されたのは、あいつが同期の中でもっとも有能だから。
「かなわねえなぁ……」
そっとひとりごちた。悔しいけれど、これでまた差をつけられた。
ふと、競泳用スイムスーツのディスプレイの前にぽつんと佇んでいる男性が目に入った。
スーツ姿ではなく、上下とも黒のスウェットスーツ。どこかのスポーツ選手かコーチかもしれない。
