J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(マンドリン版)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
クリス・シーリー(フラットマンドリン)

【録音】
2025年4~5月、
Reservoir Studios (New York, NY)
Tompkins Square Park (New York, NY)
Farrell Recital Hall at Murray State University (Murray, KY)
Yallarhammer Pavilion at Blackberry Farm (Walland, TN)
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ずいぶんと間が空いてしまいました。久しぶりの投稿となります。
昨年末に某音楽雑誌より「2025年のリリース中で印象に残ったディスクを」というアンケートの依頼を受けた際、私はマンドリン奏者のクリス・シーリーによるヨハン・セバスチャン・バッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》第2巻をそのひとつとして挙げました。ちょっと奇を衒ったチョイスだったかなと思ったのですが、また別のメディアの同様企画で複数の別の方がこのディスクをノミネートしておられて、いささかホッとした次第です。
クリス・シーリーは本来ブルー・グラスのミュージシャンで、私はそちら方面はまったく詳しくないので、このディスクで初めて出会ったのでした。いくつかアルバムをつまみ食いしたなかでは、ギタリスト兼ボーカルのマイケル・デイヴスとデュオを組んだ Sleep With One Eye Open (2011) がとてもよかった。インティメートであると同時にファンキーで、ゴキゲンに聴き通すことのできるアルバムで、お勧めです。
さて、当盤に「第2巻」の表記があるとおり、このアルバムはバッハの《無伴奏ヴァイオリン》を弾く企画の後半にあたります。しかしながら私は寡聞にしてこの前半部分をずっと知らずにいました。第1巻はいつの録音かと調べてみたら、なんと2013年。後半が出るまでに12年もかかってしまったということになります。
今回は第2巻を聴いたついでに第1巻も聴いてみたのですが、あくまで個人的な好悪の問題として、そちらはちょっとびっくりするくらいにつまらない。機能的に言って明らかにヴァイオリンに劣るマンドリンを用いて、よく弾けてはいるとは思うけれども、それ以上の感想が出てこない。何を狙って編曲したのかもよく分からない、「とりあえず弾いてみました」という代物に思えます。
それに対して今回リリースされた第2巻は実に面白い。音楽が活き活きとしていて、スリリングで、聴いていてわくわくするような内容です。いったい何がそんなに違うのだろう?
第1巻は、クラシック作品を弾くことを強く意識したのか、言わばあくまで音符に焦点をあてた演奏・録音となっていました。撥弦楽器では避けて通ることのできないいくつかのノイズを最小限に抑え、楽音をきれいに整える、というのが、まずは録音の基本的な考え方であり、かつ演奏も、原曲にできる限り忠実であることを心がけた編曲を披露すると同時に、言ってみれば「きれいな音」を出すことに拘ったように感じます。そのために、聴き手にとっては「いつも聴いている音楽が別の音色で聞こえる」という以上の印象を受けることはなかなか難しい。
ところが第2巻では、演奏も録音もがらりと趣を変えています。まず編曲については、楽譜のあちこちをかなり大胆に変更して、撥弦楽器の機能性を前面に出した、イマジネーション豊かなものになっている。それが楽しい。
そしてそれ以上にこの盤の楽しさを作っているのが、ノイズです。弦をはじく音やマンドリンの胴に奏者の身体が触れる音を、録音がむしろ積極的に拾っている。それが音の動きを豊かに肉付けして、鳴り響く音楽にしっかりした奥行きを付け加える効果を出しています。ここでのマンドリンの音は、単なる「ヴァイオリンを代用した、か細く頼りない音」ではなく、固有の響きを持った、リアリティと存在感のある楽音へと変容を遂げているのです。さらにここでは、全体から見ればわずかだけれど屋外での録音を思わせる周囲の雑音も入っていて、それが肩肘の張らない、リラックスした雰囲気を醸して聴き手に心地よく訴えかけています。
こう書いてしまうと「それは音楽を褒めることにはならない」「楽音よりノイズの方が大切なのか」と言われそうです。けれども、具体的にディスクを聴いてみれば、ここでのシーリーが非常にまともにバッハの音楽を弾いていることを疑うことはできないでしょう。そのうえで、ここでのノイズが音楽の方向性を明確に示し、目の前に鳴らされている音にリアリティを与えることで説得力を醸し出していることが感じとれることでしょう。なにより、合わせて12年前の第1巻を聴けば、第2巻の成功をもたらしたものが何なのか、気づかされることは間違いありません。
