日本陸軍参謀本部の暴走は南方の習俗と関係がある?
統帥権(とうすいけん)とは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)のことをいう。
陸軍参謀本部はこの統帥権を拡大解釈し、自分たち参謀は天皇に直結するというエセ論理を作り上げ、天皇にも政府にも内緒で満州事変を起こし日中戦争に突入した。
そして参謀連中は日本という国を壊滅させた。

参謀連中には若いのが多く、軍部の要職には高齢の人が多かった。
要職に就ていた高齢の人たちは若い参謀連中に仕事を任せっきりのところがあった。
参謀として有名なのは辻政信だ。
ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した人物だ。
軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と当時においては讃えられていた。
その一方で、非人道的残虐事件を巻き起こした指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。
敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。
反共、反米、自衛独立を唱える政治団体の自衛同盟を結成後に、政治家に転身し衆議院議員、参議院議員を歴任した。
こう書くと一部にはきらびやかなところもあるプロフィールにも感じるが、彼こそ陸軍参謀本部で勝手に作戦を立案し勝手に侵略戦争を始めた張本人のひとりなのだ。
西日本には若衆制度というのが古来からあり、未成年の男はみな若衆宿という建物で起居し、先輩たちから生きるための教育を受けた。
彼ら若衆の長は村の長と同格に扱われ、大きな発言権も持っていた。
古代から日本の男はフンドシをを締め、女性は結婚すると眉を剃り、歯にお歯黒をした。
いずれも南方の習俗である。
また、高床式の建物もそうだと思う。
神社によくある、屋根に千木(ちぎ)もそうである。


たぶん縄文人の祖先の何割かは東南アジアから来たのだろう。
それで上のような風習が広まったと思われる。
フンドシもそうだと思う(髪の毛を剃る風習は大陸のものだ。日本人が月代〈さかやき〉を剃るようになったのは弥生人の風習からのものだったような気がする)。
古代日本の沿岸部に住んでいた人々は、今の海人(あま)さんのように海中に潜って魚介を捕っていた。
「魏志」の東夷伝倭人の条(いわゆる魏志倭人伝)には、彼ら海人のような漁夫の仕事ぶりが書かれている。
卑弥呼の時代に中国の官吏が日本を訪れたとき、漁夫たちが潜って魚介を捕るのがよほど珍しかったのか、それを書き残した。
それを読んだ「魏志」の著者が倭人伝でそのことに触れたのだろう。
弥生人は主に朝鮮半島からやってきた大陸の民族で稲作が生業(なりわい)だが、縄文人の主な生業は狩猟採集だった。
縄文人は猟だけでなく漁もやっていたのではないか。
中国の官吏が見た「海中に潜って魚介を捕っていた」人たちは、弥生人ではなく縄文人かその末裔だったと思う。
ところで、海に潜る漁夫たちは顔と体に入れ墨をしていた。
サメなどから身を守るために有効だと信じられていたかららしい。
これも南方の習俗だと思う。
入れ墨はここから広まったのではないか。
今のヤクザやチンピラが入れ墨をするのはその名残だと思う。
琉球民族とアイヌ民族の女性は、昔は口の周りに入れ墨をしていた。


奄美諸島でも昔は女性が手に入れ墨をしていた。
私は以前、琉球民族とアイヌ民族は縄文人の子孫で、つまり日本の先住民族で、縄文人の多くは大陸のバイカル湖付近からやってきたと書いた。
しかし、琉球民族もアイヌ民族も毛深く比較的背が低いという特徴がある。
大陸の人々は毛が薄く背が高いことが多い。
入れ墨をする習慣もない。
そういう事実から考えると、前述したように琉球民族とアイヌ民族の祖先だった縄文人の祖先の何割かは南方から来たのだろう。
それはともかく、潜って魚介を捕る漁法は、その後は女性に引き継がれた。
アマさんがそれである。
話がそれた。
私が書きたかったのは、統帥権を拡大解釈した参謀連中と若衆連中に共通点があるということだ。
日本には、君臨する者は責任を取るだけで、実務を行うのは若い部下たちという例が多い。
ときに若者連中はとんでもないことをしでかす。
それでも上や社会は大目に見ることが多かった。
今ではそういう例はあまりないと思うが、少し前まではそういうケースが多々見られた。
若衆の風習がいまだに日本には残っているのだと思う。
もしまた昭和の参謀たちのようなバカな連中が出れば、日本はまた壊滅するのではないか。
そんなことをたまに考える。
