BAKA→莫迦→馬鹿
バカをなぜ「馬鹿」と書くんだろうかと子どものころから不思議だった。
馬も鹿もけっこう賢い動物だし。
若いころに本を読むようになって、ある小説で「バカ」のことを「莫迦」と書いているのを見て、「あ、バカってこうも書くんだ」と知った。
では、なぜ「馬鹿」とも書くのか、どちらが正しいのか、もっとわからなくなった。
昔は言葉の意味や語源を調べるには辞書で調べるか図書館で専門書でも開いて調べるしかなかった。
それを面倒に感じて、このトシ(68歳)になるまで調べることはなかった。
今は、そんなことならネットですぐ調べることができる。
私は編集の仕事をしてきたが、何かわからないことが出てくると、辞典を繰って調べたり図書館まで行って調べたり、大学教授などの専門家に電話して聞いたり訪問して教えてもらったりしたものだ。
しかし今はネット検索すれば、だいたいのことはそれでわかってしまう。
ネットに載っている情報が確かなものか調べる必要はあるが、それもネット検索でできてしまうことが多い。
今の編集者は、その点は楽だろうなと思う。
そんなことがふと頭に浮かんで、「馬鹿の語源」はネットで調べればいいんだと気づき、すぐさまネットで調べてみた。
するとこう書いてあった。
「古代中国、秦の時代。 趙高という宦官(かんがん。去勢した男の官吏)が皇帝に“鹿”を“馬”だと言い張った。趙高は、臣下たちが忠誠を誓っているかどうかを試すために、わざと鹿を指して“これが馬だ”と言った。 忠誠心のある臣下たちは、趙高に反対せずに“馬だ”と言った」
それが「馬鹿」にどう結びついたかというと、こうあった。
「権力者が自身の権威を盾に、鹿を馬と言わせるような矛盾を無理やり押し通すようなことは、道理・常識からはずれているわけで、そういう常識はずれの人は馬鹿と呼ばれるようなった」
ということらしい。
ところが、上の説は怪しいと唱える人もいる。
「『馬と鹿を間違うような愚か者』というこじつけの語源説もあるようですが、実はサンスクリット語のモハ(無知、迷いの意味)の音写です。仏教辞典では『馬鹿』は、愚かの意味」
だというのだ。
「無知」や「迷妄」を意味するサンスクリット語は「moha」のほかに「baka」とも発音されていたようで、中国人がそれを音写して「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」という漢字を当てたという。
日本人が「バカ」を「莫迦」とも書くのは、そこから来ているのだろう。
ルーツはサンクリット語の「baka」だとみたほうがよさそうだと私は思う。

しかし「莫迦」は書くのも読むのも難しいので、いつの間にか「馬鹿」と書くようになったのではないか。
「馬鹿でかい」というように「馬鹿」を使うことがある。
この場合の「馬鹿」は、サンスクリット語の「マハー」(大きいという意味)を漢字で音写した「摩訶」のことである。
摩訶不思議の「摩訶」だ。
ところで「馬鹿」は日本で広く用いられているが、地域によって意味やニュアンスが大きく異なる。
例えば関東地方では、一般的には軽い揶揄程度で使われるが、近畿地方になると強い感情を込めて罵り倒すときに使用されることが多い。
だから、近畿地方の人に向かって安易に「馬鹿」と言わないほうがいい。
どうしても言いたいなら「アホ」がいい。
「阿呆」は、愚かであることを指摘する罵倒語・侮蔑語で、近畿地方を中心とした地域でみられる表現なのである。
関東地方などの「馬鹿」、愛知県などの「タワケ」、石川県・富山県・島根県出雲地方などの「ダラ」に相当する。
行動の愚かさだけでなく、学のなさなども指す。
ちなみに、「タワケ」は「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞となった「戯け」で,「戯け者」が語源だという。
「ダラ」は、近畿地方で生まれた「知恵が足りない」の意味の「タラズ(足らず)」が地方に伝わったものだという。
さて、「阿保」の意味は「馬鹿」とほぼ同じだが、受け取る側によって「馬鹿」と「阿呆」はずいぶん違ってしまうので注意したほうがいい。
ところで「阿呆」の語源は何だろう?
調べてみると、中国・江南地方の方言「阿呆(アータイ)」が日明貿易で京都に伝わったことで、日本人も愚かなことや人を「アホ」と言い「阿呆」と書いたという説がある。
「呆」は日本語の「呆ける」にもあるようにぼんやりした様子で、「阿」は中国語の南方方言で親しみを表す接頭語(日本語における「~ちゃん」「~さん」)なのだそうだ。
とすると、言葉としての意味は「おバカさん」程度の軽いニュアンスになるだろう。
これは現代日本語の「阿呆」に近いので、ルーツは中国にあるとみていいようだ。
それが主に近畿地方に広まったので、近畿の人たちは「馬鹿」は使わず「阿呆」を使うようになったのではないか。
参考までに、「阿呆」の語源の別の説を紹介しておこう。
「秦代の大宮殿・阿房宮(あぼうきゅう)が、不必要・無駄に大きすぎるというイメージからとする説」
「『三国志』や『三国志演義』における劉備の子・劉禅(蜀の2代皇帝)の暗君のイメージから、その幼名の「阿斗」に由来するとする説」
がある。
しかし、ともに信憑性は乏しいのではないかと、素人ながら私はそう思う。
