「大丈夫」6恋愛
物音で目を覚ますと明け方の3時だった。
「海くん? いつ帰ってきたの?」
「今。起こしてごめん」
ふてくされた声。でも起こしたかった声。
「疲れたでしょう。まずは横になったら?」
遠回しに寝ることを勧めてみたけど、完全に無視された。海くんは私のベッドに座る。
「本当に疲れちゃった、雅也さんなんて嫌い、あんなやつだと思わなかった、ひどいよね、僕が話せば話すほど、雅也さんはうんざりするんだって、僕のこと全然理解してくれないんだもん、それにさ、もう少し僕たち距離とれるんなら今後も付き合っていきたいって訳わかんないこと言われたんだけど、距離とりながらの付き合いなんて、付き合ってるって言わなくない?」
雅也さんに100%共感するけど「まあね」と私は答えた。
「みさちゃんなら分かってくれるのに、雅也さんのバカ」海くんがしゃくり上げて泣いている。
ミネラルウォーターを渡すと、海くんは一気飲みした。喋り声も泣き声も止まり、ようやく静かになった瞬間、「そんなに泣いたら明日、目が腫れぼったくなっちゃうんじゃない?」と私は言ってみる。
「うん、でももう、どうでもいい。雅也さんに会わないなら、もうどんな顔でもいいんだ」そう言いながら、海くんはベッドから降りて、鏡を見る。その瞬間も片手にスマホは握られたまま。アップルウォッチもつけているくせに、海くんは1秒たりともスマホを手放さない。
これが恋愛なんだなって感心してしまう。人それぞれ趣味嗜好は違っていて、スポーツに夢中になる人もいれば、音楽に熱狂する人もいるし、友達付き合いに力を注ぐ人もいるし、映画や小説で人生を満たしている人もいる。
恋愛がそういった趣味に並ぶのかどうかよくわからないけど、恋愛に対して全身全霊で取り組む海くんを見ていると、人としてのエネルギーを強く感じられる。
占いの相談者も9割以上が恋愛相談で、私はみんなの悩みを聞くたびに、テンションが上がる。恋愛ドラマよりも恋愛リアリティー番組が好きな私にとって、恋愛相談の相手をする仕事につけたことは、非常にラッキーなことだ。
そしてさらに、今一緒にいる海くんが恋愛に夢中になっているなんて、もう、極上の喜びだ。
翌日、海くんが寝ている間に、私はキーボードを水に濡らしてみた。
内部にまで水が浸透したのを確認してから、動作確認をする。思っていた通り、壊れた。その時。
「みさちゃんみさちゃん」海くんの明るい声が聞こえた。明らかに海くんははしゃいでいる様子だったので、よかった、雅也さんからLINEが来て目を覚ましたのだろうと、私も笑顔になる。
「雅也さんからLINEが来た!」小躍りしながら、完璧に予想通りのことを言ってくれて、私は嬉しくなった。ここまで読めるのは、海くんと親しくなった証。
「昨日は悪かった。僕も完璧な人間じゃないからたまに海を傷つけてしまう。でも昨日、自分にとって海がどれだけ大切かが分かったって!」
海くんが狂喜乱舞している。自動的に私も、天にも昇る心地になってしまう。
思っている以上に、私は親だなと思った。海くんには看護師のお母さんと介護士のお父さんと、誠一郎という父親と私という母親がいる。
「もう昨日あんなに泣かなきゃよかった、顔を冷やすパックどこだっけ、あ、それそれ! サンキュー!」
パックを渡しながら、私は海くんにキーボードを見せる。
「ねえねえ、海くん、ごめん。今日ね、Tik Tokできないかも。私さっきキーボードに紅茶こぼしちゃって、なんか起動しなくなっちゃったのよ」
「え、ほんとだ」
海くんも一応電源ボタンを押して、故障を確認する。
「今日急いで注文しても届くの明日になっちゃいそうだから、今日はTik Tokお休みにしてもいい?」
「うん! 仕方ないもんね!」
海くんは早速スマホに向かう。今日はTik Tokが休みになったと雅也さんに連絡しているのだろう。
もとはといえば、海くんがTikTokに熱中しすぎて、雅也さんとの連絡がおろそかになったために起きた喧嘩だ。雅也さんからすると、Tik Tok=私の面影がちらついて、余計に面白くないのかもしれない。
だからせめて、今日はTik Tokお休みにしたほうがいい。これが私なりの、雅也さんに対してのお詫びだ。
「今日は雅也さんちでゆっくりしてきたら?」
「うん、ねえ、こっち系とこっち系、どっち」
海くんはピンクのビッグTシャツと、厚手の白Tシャツを、鏡の前で自分にあてる。
「ピンクのほうが海くんに似合うけど、今日は白かな」
「雅也さんに会ったら、どうすればいいと思う? 僕からは何を言えばいい?」
歯をもう一度磨いて、髪を懸命にセットして、香水をつけて、鏡の前で入念にチェックしながら、海くんは私に相談する。
大人の男が、私の目の前で着替えて、おしゃれに励む姿をさらしているのは、今更ながら不思議な光景だ。電車の中でメイクをする女性より、もっと違和感ある。
「できるだけ落ち着いたほうがいいよ。それで、海くんも謝ったら? 昨日は夜遅くにごめんって。そのあとは、あんまり自分からは喋りすぎないで、雅也さんの話をよく聞きなね。海くんが一方的に話しちゃうと、雅也さんもペースが崩れて、本当に言いたいことを言えなくなっちゃったりするから」
「そうだよね、うん、頑張ってみるけど、僕、落ち着けない気がする。みさちゃんにもついてきてほしいな」
もう私は、海くんにとって、親以上に親だと思う。海くんに頼られるたび、私は自分の存在価値に満足する。誠一郎と違ってお金が動くわけではないし、海くんがしていることは私にただ相談しているだけ。それでも海くんが、私の意見を知りたがっていることが、私はとても嬉しいのだ。
「大丈夫よ、海くんが何をどう言おうが、雅也さんは海くんのことが好きだから」
「だよねーそれなのにさ」海くんが唇をとがらせる。
「実は昨日ね、雅也さんがゲイなんてって言ったんだ。ゲイなんて真剣交際するもんじゃないんだ、みたいなこと。それでちょっと、やりあっちゃって」
海くんが人を殴るジェスチャーをする。
「ゲイだと真剣交際できないとかは意味わかんないけど、ゲイだと殴り合いの喧嘩になっちゃうのは、やっぱり男同士だからなーって思うよね。相手が女の子だったら男は殴らないし、もし最低な男で殴っちゃったとしてもさ、女の子が殴り返してきたり、そのまま取っ組み合いの喧嘩とかにはならなそうじゃん。ね? そういう体験ないでしょ?」
「ないない、私には絶対ない、そんなのありえない」
だいたい私が付き合ってきた男は海くんみたいな活発なタイプじゃないし。
「だからさー、ゲイって難しいなってたまに思うんだよね」
そこ? と思わず突っ込みたくなる。ゲイの恋愛が難しい理由はいろいろあるだろう。社会的な問題、結婚できない、子供産めないなどなど。でも殴り合いの喧嘩のほうが、当事者にとっては大きな問題なのかもしれない。
「ゲイじゃなくても恋愛は難しいものだけどさ、まあ、殴り合っても根本的な解決にはならないから、今日はなるべく冷静にね」
「はーい」海くんは元気よく出かけていった。
