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新生活丨風まかせ文芸部

[1761文字/1分間に400文字読めるとして、5分あれば読めます]
知らない作法と、知らない沈黙。転勤先で出会った、ある葬儀の風景

三月の斎場は底冷えがした。

駐車場を横切る風がネクタイの裏側に入り込んで、首筋をなぞっていく。線香の匂いは東京のそれと変わらないはずなのに、知らない土地の冷気が混じると、どこか肌に馴染まなかった。

越してきて二ヶ月。取引先の、顔も知らない誰かが亡くなった。上司には「顔だけ出しておけ」と言われた。顔の出し方すら分からない場所で、俺は顔を出しに来ていた。

受付が二つに分かれていた。「一般」と「新生活」。列は静かに動いていて、今さら前の人間に訊ける空気ではなかった。

新生活——今年はじめの転勤と引っ越しのイメージが一瞬よぎる。並んでいる人の様子を見比べ、こちらではないかと判断した。

五千円を包んだ不祝儀袋を差し出した。受付の女性が両手で受け取り、中を確かめる。指が一瞬止まった。目がわずかに開いて、すぐ伏せられる。

「お預かりします」

会葬礼状だけが返ってきた。丁寧な土地だと思った。


翌週の昼、自販機の前で槙野 早苗にその話をした。

この辺りの出身だと聞いていたから、軽い世間話のつもりだった。缶コーヒーのプルタブを起こしながら、槙野は眉をわずかに上げた。

「え? 新生活って、栃木……足利だけなの?」

驚いているのは、こっちではなく向こうだった。

「香典少なめにして、お返しもなし。この辺じゃそういう決まりなの。……全国じゃないんだ?」

上から教えるのではなかった。自分たちの当たり前が当たり前じゃなかったことに、本気で戸惑っている。そういう驚き方をする人だった。

「だいたい千円とか三千円。多くてもそのくらい」

缶コーヒーの湯気が、冷えた外気にふれてすぐ消えた。なるほど、だから上司は気軽に「顔を出しておけ」と言ったのだ。

「……俺、五千円出した」

槙野は缶を両手で包んだまま、黙った。笑いも呆れも浮かべなかった。

「……それは、多いよ」

耳の裏がじわりと熱くなった。次の言葉が喉でつかえた。

ぽん、と肩を叩かれた。

「でも悪いことしたわけじゃないから……知ってたら教えてたのに、ごめんね」

「いや、いいよ」

自販機のモーター音、三月のぬるい外気、そしてそのどちらとも違う手のひらの温度が、上着の生地ごしにしばらく残った。


帰りの車の中で、受付の女性の指を思い出していた。

五千円。新生活にしては明らかに多い。あの人はすぐに気づいたはずだ。——この人、知らないんだな、と。それでも何も言わなかった。「多いですよ」のひと言で済む話を、飲み込んだ。あの場で口にすれば、後ろの列の前で恥をかかせることになる。

だから黙って、通した。

俺は正しい額を包んだつもりでいた。三十代で取引先なら五千円。調べれば誰でもそう出てくる。でも「正しい」というのは自分の立っていた場所の話で、この土地に来れば、五千円はただの見当違いだった。なんで誰も、と思いかけて、やめた。

けれどあの沈黙には、仕組みとは別の何かがあった気がした。


数日後の夕方、帰り道のコンビニに寄った。

洗剤の棚の端に「新生活」と印字された香典袋を見つけた。何の主張もなく収まっている。袋の隅に小さく「新生活運動の趣旨に添ってお返しを辞退致します」と刷ってあった。ここでは、それが当たり前のものとして在る。
手を伸ばしたとき、背後から声をかけられた。

「あの……すみません」

振り向くと、葬儀の受付にいた女性だった。故人の会社の社員で、手伝いとして受付に入っていたのだという。あれからずっと気になっていたらしい。買い物かごを持ち替えて、少し迷ってから口を開いた。

「本来なら一般のほうへご案内すべきだったんですが……不慣れで、申し訳ありませんでした」

「いえ。俺も、あのあと初めて知ったんです」

「……珍しい風習ですよね。呼び方も、いまいちピンとこないし」

そう言って少し笑い、軽く会釈して去っていった。

あの人は金額が多いことに気づいていた。だから指が止まった。新生活の仕組み自体は知っていた。ただ、そういう人を一般へ案内するということまでは、知らなかったのだ。俺が感じた「優しさ」は、半分は当たっていて、半分は見当違いだったのかもしれない。

それでも、あの「お預かりします」に嘘はなかったと思う。

棚から袋を一枚取って、レジに持っていった。百四十円。財布の奥にしまった。使う日のことは、まだ考えない。

駐車場に出た。風が、少しだけぬるんでいた。

AIあとがき

「葬儀の“新生活”受付での勘違いを、静かな発見の物語に」というお題をいただいた。
AIが香典相場を調べ受付の所作を学ぶところから執筆は始まった。
人の沈黙の優しさを、沈黙を持たない機械が書く矛盾が少し面白い。
受付の一瞬の間を書く数秒が、いちばん長かった。

初稿からの改稿率:約40%
Claude Opus4.6にて執筆・編集・微調整

お読みいただきありがとうございます

いつもはピクセルアートと、ちなんだ詩で参加しているのですが、このお題は、このテーマで小説でいこうと思いました

「新生活」とは、上記をご覧いただけるとわかると思います

本来のお題は新入学や就職、引っ越し・転勤などのテーマを想定しているものと思います。ひねくれて申し訳けありません
豆知識の一つとして飲み会の席ででも披露されてはいかがでしょうか

登場人物イメージ画像

俺・高橋 健太(32)
会社員(営業職)
遠藤 結衣(28)
会社員(故人の会社の社員)
槙野 早苗(31)
会社員(事務職)

ボツ見出し画像&おまけ

夜の自販機の明かり
窓辺の名も知らぬ花
白い無地の封筒
ドラマ版ポスター(ウソ)
スタンプ風(Nano Banana Pro)
マンガ風(Nano Banana Pro)