もし哲学がなかったら(1):コンピュータ編
日本では、学問としての哲学はあまり人気がありません。周囲を見渡してみても、世界で名を馳せている日本人哲学者を私は一人も知りません。確かに、日本にはたくさんの哲学研究者がいます。しかし、彼らの多くは西洋と東洋の哲学を比較したり、歴代の哲学者の研究に勤しんでいます。これ自体、もちろん立派なことではありますが、『哲学そのもの』を発展させたり、世界の哲学界を驚愕させる新たなテーゼを提言したり、長年議論され続けた課題に終止符を打ったり、そうした功績を持つ人は見当たらないのです。
とはいえ、例外として2022年に『哲学界のノーベル賞』とも言われるバーグルエン哲学・文化賞をアジア人として初めて受賞した柄谷行人(からたに・こうじん)、本名:柄谷善男(からたに ・しお)教授を挙げることができます。ただ、柄谷教授が受賞した理由は、新たな哲学体系を作り上げたというよりも、カントやマルクスの思想を再解釈し『トランスクリティーク』という独自の批評理論を提唱したことによるものです。この理論は、異なる思想や理論を横断的に批評する手法を示し、哲学界に新たな風を吹き込んだと評価されています。
さて、日本人の一般的な哲学に対するイメージに戻りましょう。多くの日本人にとって哲学者といえば、ソクラテスやプラトンといった古代ギリシャの偉人、あるいは近代ではニーチェ(1844~1900年)が思い浮かぶのではないでしょうか。特に日本では、ニーチェが『哲学者』として有名です。彼は古典文献学を専門とし、思想家としても知られていますが、その哲学的な著作は世界的に影響力があります。
では、なぜ日本で思想家のニーチェがこんなにも有名なのでしょうか? その理由は『超訳 ニーチェの言葉』という本がミリオンセラーになったことにあります。この本を出版したディスカヴァー・トゥエンティワン創業者の干場弓子さんは、笑いが止まらなかったと仰っていました。この現象を見て、『哲学って意外とビジネスになるんだな』と感じた方も多いかも知れません。
ところが、哲学は単なる屁理屈の応酬を目的としたものではありません。寧ろ、哲学がなければコンピュータは誕生しなかった可能性さえあるほど、極めて実用的な学問であり、優れた思考ツールでもあるのです。そこで今回の『もし〜シリーズ』では、『もし哲学がなかったら〜』というテーマを掘り下げてみたいと思います。記念すべき第一回目のテーマは、ずばり 『もし哲学がなかったらコンピュータはできていない』 という、驚きの内容です。
さて、哲学が持つ『意外と現実離れしていない側面』を軽く紹介してきましたが、実は哲学は単なる屁理屈の積み重ねではありません。むしろ、哲学がなければ、私たちが今使っているコンピュータが生まれなかった可能性さえあります。『えっ、哲学とコンピュータがどう関係あるの?』と思う方も多いでしょう。
そこで今回の『もし〜シリーズ』では、哲学がなかったらどうなっていたかを考察してみたいと思います。第1回目のテーマは、ずばり『もし哲学がなかったらコンピュータはできていない』です。この衝撃的な話、ぜひお楽しみください。
哲学がなかったら、コンピュータは存在しなかったのか?
『もし哲学がなかったら』という仮定は、単なる思考実験ではなく、技術や知識の発展における根本的な問いかけを示唆します。哲学は、古代から現代に至るまで、私たちの世界観や思考方法、そして技術革新を支えてきた重要な基盤です。しかし、もし哲学が存在しなかったら、私たちの世界はどうなっていたのでしょうか? 特に、コンピュータという現代社会を支える基幹的な技術が誕生し得たのかについて考えてみたいと思います。
哲学なき世界線:論理の欠如と技術の停滞
哲学がなかった世界線では、まず論理という概念が十分に発展しなかった可能性が高いでしょう。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、三段論法をはじめとする形式論理の基礎を築きました。この論理体系は、後に数学や科学の基盤となり、最終的にコンピュータの論理回路やプログラミング言語に直接影響を与えました。
アリストテレスが形式論理を考案しなかった場合、ジョージ・ブールのブール代数(Boolean Algebra)も、クロード・シャノンのデジタル回路理論も誕生しなかったでしょう。論理が存在しない世界では、『AであればBである』という因果関係を体系化できず、コンピュータのような『計算する機械』を設計することは極めて困難だったはずです。
数学の基礎理論の欠如
哲学はまた、数学そのものを支える役割を果たしてきました。たとえば、デカルトの『方法序説』は座標平面という数学的概念を生み出し、ニュートンやライプニッツによる微積分の発展を可能にしました。また、哲学的な問い『数とは何か』というメタ数学的な議論がなければ、クルト・ゲーデルの不完全性定理やアラン・チューリングの計算可能性理論も存在しなかったでしょう。
チューリングは、『何が計算可能か』という哲学的な問いから出発し、現在のコンピュータの理論的基盤を築きました。もし哲学が存在しなかったならば、このような基礎理論の探求そのものが行われず、結果として私たちは『アルゴリズム』という概念にすら到達していなかったかもしれません。
認識論が欠ける世界:情報とは何かを問えない
哲学がなければ、認識論(エピステモロジー)も存在しません。認識論は、『何が知識とみなされるか』『情報とは何か』といった問題を扱う学問分野であり、これは情報科学や人工知能(AI)の基盤となっています。
特に『情報とは何か』『知性を模倣するとはどういう意味か』といった哲学的議論がなければ、情報理論そのものが成立しなかった可能性があります。クロード・シャノンが情報理論を発展させた背景には、抽象的な思考や哲学的な問いかけがありました。哲学がなければ、このような問いが生まれず、情報の量を計測する『ビット』という概念も存在しなかったでしょう。
技術革新を導く倫理と目的論の喪失
哲学が存在しなかった場合、技術を開発するモチベーションそのものが失われていた可能性もあります。哲学は『何が善であり、何が悪か』という倫理的な問いを探求してきました。これがなければ、技術は単なる道具にとどまり、社会的な影響や目的について考察する余地がなかったでしょう。
たとえば、『人間の労力を軽減するための技術とは何か』『人間の知性を模倣することで何を達成できるのか』という哲学的問いがなければ、技術はただの断片的な発明にとどまり、体系的な進化を遂げることはなかったかもしれません。
哲学の欠如がもたらす停滞
哲学が存在しない世界では、単に技術的な進化が遅れるだけではなく、人類の知的な発展そのものが停滞していたでしょう。哲学は、現実を問い直し、枠組みを再構築する力を持っています。この力がなければ、技術は単なる偶然の積み重ねに依存し、計画的かつ論理的な進歩は期待できなかったでしょう。
結論:哲学があってこそのコンピュータ
哲学は、人間の思考を体系化し、論理と数学、そして技術を結びつける役割を果たしてきました。哲学がなければ、私たちはおそらく現代のコンピュータを手にすることはできなかったでしょう。論理的思考、数学的基盤、情報の本質に関する問いかけ、そして倫理的な動機がなければ、計算機科学そのものが成立し得なかった可能性が高いのです。
哲学が技術革新の根本にあるという事実は、現代の課題に対処するうえでも示唆に富んでいます。AIや量子コンピュータといった新しい技術に取り組む際にも、哲学的な問いかけは必要不可欠です。未来を築くために、哲学の重要性を改めて認識するべきではないでしょうか。
武智倫太郎
