そして誰も疑問を持たなくなった
著者・武智倫太郎
AIと金融が同時に壊れたとき、世界はどんな姿になるのか。
その答えを、誰より先に体験したのは、人間ではなく株価だった。
22円という数字が、価格でも指標でもなく『日常』へと堕ちていった日から、すべてが始まった。
本稿はフィクションである。しかし、現実との境界線は限りなく薄い。AI神話が消え、金融工学が砂の城のように崩れた世界で、人々は何に希望を見いだすのか。本作は、SBGの株価が22円に落ちた後の日本を描く、社会批評と金融スリラーのあいだに立つ試みだ。
SBG-22
ある朝、リン・タ・ロウが目ざめると、SBGの株価が22円になっていた。
22円。その数字はもはや『価格』ではなかった。
市場でつけられた結果ではなく、世界のどこかで偶然こぼれ落ちたノイズのような値だった。
朝のニュースで流れる『黄砂の飛散レベル』。電車の発車メロディがどのくらい遅延して聞こえるかという『体感』。役所の番号札で突然呼ばれる22番の、あの微妙な無作為さ。22円はそんな領域に沈んでいた。
責任のない数字。
意図を失った数字。
意味を持つことを拒否した数字。
OpenAIが価値ゼロになったことも、Armが価値ゼロになったことも、もはや梅雨入りや花粉飛散と同じカテゴリーに格下げされていた。
『また来たか』
そうつぶやいて終わるレベルの季節イベントである。
だから、資産総額ゼロの企業が22円で取引されていたという異常事態も、誰の心にも引っかからなかった。
異常のほうが、正常より多い世界。
だから異常は異常ではないという、静かな逆転が成立していた。
資産総額ゼロの企業が22円で売買されている。しかし異常なのは、その事実ではなかった。その異常さに対して『誰も疑問を持たない』という、もっと深い異常のほうだった。価値が霧散することは、四季よりも穏やかで、桜の開花よりも予想しやすく、人々はその変化に感情を乗せなくなっていた。『今日も22円か』。それだけだった。
その日の正午、SBGは株価22円のまま1株44円の配当を発表した。利回り200%。しかし異常な数字は異常として認識されなかった。掲示板には称賛が溢れた。
『AI関連だからこうなるんだよ』
『NISA満額SBGで老後問題解決』
『44円? むしろ慎ましいな』
利回りという概念は、もはや金融のものではなく、SNSのいいねに近づいていた。22円で買った株が44円をくれるのだから、住民たちはこう言い換えた。
『22円の宝くじを買ったら毎回一等が当たる世界』
『ATMが残高を間違えて増やしてくれるエラーが常態化した世界』
『失敗すると逆にお金が返ってくる優しい資本主義』
確率が死に、数学が滅び、因果律が投資家の都合で書き換えられる世界が、完全に成立していた。
午後になると、SBGは淡々と年利400%の新規社債を発行した。400%。破産前夜の数字のはずだが、この世界では『曇りのち400%』くらいの軽さしか感じられなかった。
掲示板は再び静かな熱狂に包まれた。
『400%って、つまり4倍で返ってくる正義の債券だろ?』
『メガバンク儲からなすぎワロタ』
『これが金融DXの完成形だな』
400%はもはや金利ではなかった。人々はコーヒーの酸味やダシの旨味と同じ感覚で金利を語った。『今日の400%はまろやか』といった具合に。
リン・タ・ロウは思った。孫正義は全知全能のASIを作ると宣言している。もし本当に実現できるなら、400%は逆に控えめで、年利1万%も10万%も可能なはずだ。暗号資産、FX、株式、為替、商品——あらゆる市場を支配し、ビジョンファンドの損失など三秒で黒字化できるはずだ。
では、なぜできないのか。
答えは単純だった。
そんな単純な資産運用すらできないAIに、全知全能のASIが作れるはずがない。
だが、掲示板の熱に覆われると、その疑問は一瞬で無音化された。
『孫さんを信じろ』
『AIが未来を変える』
『SBGは国家より強い』
リン・タ・ロウは、自分が狂っているのか世界が狂っているのか、判断できなくなっていった。
SBGは22円という地べたの数字を担保に資金を借り、その資金で400%社債を買い進め、400%の利息で200%の配当を支えるという数学的に存在しない構造を構築していた。この世界では、金融が理論を選ぶ。まず行動があり、後から理論が追認する。『これは正しい』と。
不条理は最強のファンダメンタルに昇格した。
掲示板はこう囁いた。
『SBGを買わないやつは情弱』
『AIの中心株を持たない人生は敗北』
『22円は逆に強気』
その裏で、孫正義は淡々と自社株を売り浴びせていた。節税のためにわざと損を出し、担保価値の消失に銀行が震え上がる中、日本の個人投資家はそれを好材料と解釈した。
『孫さんの売りは大きく跳ねる前の仕込み』
『これは買いサイン』
『機関が売る=爆上げ確定』
因果律は完全に壊れ、壊れた因果律が正しい未来予測として扱われた。
SBGは22円の株をコツコツ買い集め、コツコツ消却した。消却は宗教儀式のようだった。『祈り』と『削除』が同義になり、価値の喪失すらいいこととして扱われた。
『株が減るなら価値は上がる』
『これは義務教育』
『SBGは未来そのもの』
株価は22円から動かない。しかしその静止すら、『風が吹かない日』と同じ自然現象として受け入れられた。
不条理が日常を飲み込み、日常が真理のふりをする世界が完成した。
異常な配当、異常な金利、異常な株価。すべてが連続し、すべてが淡々と呼吸を続けた。疑問は世界から完全に消え、理解という行為は過去の遺物となり、理由は不要となった。
そして最後に残るのは、たったひとつの文だった。
そして誰も疑問を持たなくなった。
了
文・武智倫太郎(週刊バブルウォッチ編集長)

