見出し画像

不条理大三元:学術城、無間地獄

文・武智倫太郎

ある朝、リンタロー・タケチが気がかりな夢から目ざめたとき、自分のPCの画面に、一通の共著者確認メールが届いているのを見つけた。
件名はこうだった。

Confirm co-authorship of submission(ロンブン キョウチョ ノ カクニン)

彼には、その論文を書いた記憶があった。
ただ、それにどう同意すればよいのかは分からなかった。
もっと正確に言えば、同意する意思はあったが、その意思をシステムが受理する形式が分からなかった。

メールは、まるで電報のように定型であり、しかも簡潔だった。
彼の名があり、論文の題名があり、責任著者の名があり、そして彼がその論文の共著者であるかどうかを確認せよと書かれていた。文面は礼儀正しく、冷静で、いかなる感情も含んでいなかった。だからこそ、それは妙に不気味だった。

人は怒鳴られれば身構えることができる。
侮辱されれば怒ることができる。
だが、まったく感情のない文章で、自分が自分であることを確認せよと求められるとき、人はそれにどう応じればよいのか分からなくなる。

彼はリンクを押した。

登録画面が開いた。
所属。専門分野。連絡先。規約。同意。
どれも見慣れた項目で、どれも抵抗なく埋められた。あるいは、選ばれた。あるいは、同意された。

それでも、彼はどこにも近づいていないように感じた。
寧ろ、少しずつ遠ざかっているように思えた。

彼が確認したいのは、自分が共著者であるという一点だけだった。
だが、その一点へ到達するために、彼はそれ以外のすべてを先に差し出す必要があった。

ここで最初の奇妙な規則が現れた。
共著者であることを確認するためには、まず利用者でなければならない。
利用者になるためには、システムに自己を登録しなければならない。
自己を登録するためには、すでにある程度、システムにおいて自己でなければならない。
つまり、共著者であることを確認するには、共著者確認以前の段階で、すでに確認可能な人物でなければならなかった。

彼は先へ進んだ。
規則が奇妙だからといって、規則が消えるわけではない。
むしろ、奇妙な規則ほど、よく守られているものだった。

やがて、ひとつの画面が現れた。

研究における公平性向上のため、以下の設問にお答えください。

人種。
性別。
その他、いくつかの分類。

説明は丁寧だった。
回答は任意であり、査読や採否には影響しない。個別評価には用いられない。答えないという選択も認められている。

彼は安心した。
任意ならば、答えなくてよい。

彼は何も選ばなかった。

画面は静かに止まった。

Something has gone wrong.(ナニカ ガ オカシク ナリマシタ)

何かが間違っているらしい。
だが、その何かが何であるのかは書かれていなかった。

彼は戻った。
もう一度説明を読んだ。

回答は任意である。
答えなくてもよい。
影響はない。

どこにも誤りはなかった。
少なくとも、文章の上では。

彼は再び、何も選ばなかった。

再び、何かが間違っていた。

彼は試した。
ひとつ選び、進み、戻り、別のものを選び、また戻り、すべてを空欄にし、そして止まった。

同じ文言が繰り返された。

Something has gone wrong.(ナニカ ガ オカシク ナリマシタ)

ここで第二の規則が現れた。
答えなくてもよい。
ただし、答えなければ進めない。
進む必要がある者だけが、その自由を持たない。
進まなくてよい者だけが、自由に答えないことができる。

つまり、自由は存在した。
ただし、その自由を行使できるのは、自由を必要としていない者だけだった。

彼はその規則に名を与えた。
Elsevier=22。
二十二番目の規則、あるいは二十二でなければ成立しない規則。
出てくるまでには理解できず、理解したときにはすでに従っている規則。
そこから逃れるためには答えない自由が必要であり、答えない自由を持つためには、すでにそこから逃れていなければならない。

彼はしばらくその場に留まった。
自分が論文を確認しているのか、自分自身を確認させられているのか、分からなくなっていた。

論文はまだ査読されていない。
内容はまだ読まれていない。
主張も仮説も結論も、何一つ審査されていない。

それでも彼は、すでにいくつかの関門を通過していた。
しかも、それらの関門は、論文の質を測るためではなく、論文へ到達する資格を測るために置かれていた。
彼はまだ読まれていない。
だが、すでに分類されつつあった。

彼は思い出そうとした。
どこかで、これと似た構造を見たことがある。

理由の分からない呼び出し。
必要な手続きをすべて満たしても到達できない場所。
規則に従うほど外へ押し出される感覚。
正気を証明することが、正気でない証明になる世界。
意味がないと知りながら、それでも続けるしかない運動。

彼はそれらを、どこかで読んだことがあった。

文学の中で。

そのとき彼は、ようやく納得した。
ここは新しい場所ではない。
ただ、形が変わっただけなのだ。

紙ではなく画面。
裁判所ではなく投稿システム。
告発ではなく確認。
尋問ではなくアンケート。
それでも、構造は同じだった。

いや、少しだけ進化していた。
昔の不条理は、少なくとも不条理らしい顔をしていた。
今の不条理は、親切な説明文とFAQとヘルプセンターを備え、二十四時間体制のサポートまで用意して、なおその不条理を維持している。
そこが少しだけ、以前より洗練されていた。

彼は選んだ。

どれを選んだのかは重要ではなかった。
どれを選んでも、彼は先へ進めたはずだった。
逆に言えば、進むためには何かを選ばなければならなかった。
ここでは、正しい答えは不要だった。
必要なのは、何かを答えたという事実だけだった。

彼は選び、進んだ。

画面が変わった。
ただそれだけが、通過を知らせていた。

何も解決していなかった。
何も説明されていなかった。
それでも、彼は先にいた。

城は見えなかった。
壁も、門も、衛兵もいなかった。
ただ、次の画面に進めないだけだった。
そして、それだけで十分だった。

彼は先へ進みながら、奇妙な感覚を覚えた。

問題は解決した。
手続きは続行された。
論文は再び論文へ近づいた。

だが、何かは終わっていなかった。

おそらく、あの問いは画面の中にだけあるのではない。
人は、名前を書く前に何者かを問われる。
内容を語る前に、どこに属するかを差し出す。
そして、『答えなくてもよい』と告げられながら、答えない者から順に立ち止まる。

そのとき、自由とは何なのか。

選択肢の中に『拒否』が印刷されていることか。
それとも、拒否してもなお先へ進めることか。

もし後者であるなら、あの画面に自由はなかった。
あったのは、自由という言葉だけだった。

彼は規則に従った。
その規則は最後まで説明されなかった。
だが、その説明は必要なかったのかもしれない。

なぜなら彼は、すでに知っていたからだ。

ここでは、理由は存在しない。
ただ、通過した者だけが次へ進める。
そして、通過した者は、自分が何を通過したのかを、うまく説明できない。

あるいは、それが説明できるなら、そもそも通過などしていないのかもしれなかった。
説明できるほど理解している者は、まだ規則の外にいる。
理解できないまま従った者だけが、次の画面に行ける。

それが Elsevier=22 だった。

自己解説

不条理大三元とは、フランツ・カフカ牌、アルベール・カミュ牌、ジョセフ・ヘラー牌の三元牌をそろえた不条理の役満である。

この作品では、カフカ牌を『理由の見えない手続き』として、カミュ牌を『意味の不在を知りながら進むしかない感覚』として、そしてジョセフ・ヘラー牌を『規則そのものが自己矛盾している構造』として用いた。

とくに本作の核にある Elsevier=22 とは、『答えなくてもよいが、答えなければ進めない』という、自由と強制が同じ説明文の中で共存してしまう現代的な不条理のことである。

それは古典的な権力のように怒鳴らず、脅さず、寧ろ丁寧で親切ですらある。にもかかわらず、いや、だからこそ、人はその矛盾の中で従うしかない。

昔の城には門番がいた。
今の城には、エラーメッセージがある。
昔の裁判所には判事がいた。
今の裁判所には、FAQ がある。
昔のキャッチ=22は軍規の形をとっていた。
今のキャッチ=22は、ユーザー体験の最適化された投稿画面の中に埋め込まれている。

そのことを書きたかった。

いいなと思ったら応援しよう!