見出し画像

野生の倫太郎:エルザとイルカとアフリカの動物たち

特撮技術を使わない映画の魅力

 特撮技術やCGが十分に発展する以前の映画には、視覚的リアリティと演出の純粋さを追求した名作が数多く存在します。こうした作品の特徴は、動物の本来の動きや自然の美しさをそのまま捉え、観客に強いインパクトを与えることです。また、ストーリーに寄り添う映画音楽が作品の情緒を深め、物語の余韻を印象的に残します。

 その代表例として挙げたいのが、『野生のエルザ』と『イルカの日』という2本の動物映画です。どちらも人間と動物の関係や自然との共生をテーマにし、歴史に残る名作として評価されています。そして、この2作品には、それぞれの内容を象徴する名曲が誕生している点も見逃せません。

名曲が映像を際立たせる

『野生のエルザ』では、ジョン・バリー作曲の『Born Free』が映画のテーマ音楽として広く知られ、アカデミー賞歌曲賞を受賞しました。伸びやかでどこか切ないこのメロディは、雌ライオンのエルザが象徴する『自由』と『野生』を体現し、観る者の心に深く刻まれます。

 一方、『イルカの日』のサウンドトラックは、ジョルジュ・ドルリューによる格調高い楽曲が多くの人々を魅了してきました。なかでも『Theme from The Day of the Dolphin』は、静かな旋律が映画全体に漂う叙情性を強調し、動物と人間が心を通わせる儚さや、科学の進歩がもたらす倫理的ジレンマを浮き彫りにします。

 どちらの映画も、リアルな映像と印象的な音楽が融合することで、観客の心を強く揺さぶる作品となっています。

対照的な結末:エルザとイルカの運命

 しかし、この2作品で描かれる動物の結末は対照的です。

野生のエルザ

 人間の愛情のもとで育ったエルザは、野生に返そうとしても適応できず、痩せ衰えた姿で人間のもとに戻ってきてしまいます。つまり、愛情がかえって野生動物の生存能力を奪ってしまうという厳しい現実を描いているのです。

イルカの日

 もともと野生にいたイルカたちは、人間の手によって高度な訓練を受け、軍事目的に利用されます。しかし、最終的には主人公が彼らを海へ戻し、再び人間から解放する道を選ぶことで、希望を感じさせるラストを迎えます。

 エルザは『愛と依存の果てに野生を失う存在』として、イルカたちは『人間の支配から自由を取り戻す存在』として描かれ、対比によって『適応と帰属』『自由と支配』というテーマがいっそう際立ちます。

ノンフィクションとフィクションの違い

 この2作品には、もうひとつ大きな違いがあります。それは『野生のエルザ』がノンフィクションであり、『イルカの日』がフィクションであることです。

野生のエルザ:現実の記録から得る教訓

『野生のエルザ』は、ジョイ・アダムソン自身の実体験をもとに描かれたノンフィクションです。映画が伝えるのは、感動的な物語の裏に潜む『人間の善意や愛情が、必ずしも野生動物にとって最良の結果をもたらすわけではない』という厳しい現実。現実の記録だからこそ、その重みがひしひしと伝わってきます。

イルカの日:フィクションが鳴らす強い警鐘

 一方、『イルカの日』は、ロバート・メレルのSF小説を原作としたフィクションです。人間の言葉を理解するまでに訓練されたイルカという設定は架空の要素が強いものの、『動物の軍事利用』というテーマ自体は、冷戦期の現実にあった研究をもとにしており、決して荒唐無稽ではありません。

 フィクションならではの極端な状況設定を通じて、『もし動物が人間の言葉を理解するほどの知能を獲得したら、人間はそれをどう扱うか?』という警鐘を強く鳴らしています。ラストでイルカが解放される結末は、フィクションであるからこそ描ける希望にも思えます。

ノンフィクションとフィクションがもたらす役割

『野生のエルザ』と『イルカの日』は、ともに動物と人間の関係性を描く名作ですが、そのアプローチは異なります。

 ノンフィクションである『野生のエルザ』は『過去の現実から学ぶ教訓』としてのメッセージを与えてくれます。

 フィクションである『イルカの日』は『近未来あるいは潜在的な問題への警鐘』としての役割を果たします。

 特撮技術に頼らず、動物のリアルな姿を映し出すことで、どちらの作品も名曲とともに深い余韻を残す映画体験を提供してくれるのです。そして、私たちに『人間の愛情や支配は本当に動物にとって良いものなのか?』という根本的な問いを突きつけます。

モザンビークにおける人間と動物の共生関係

 映画の中だけではなく、私たちの身近にも動物との関係はさまざまな形で存在します。たとえば近年、中国の都市部ではペット文化が急速に浸透しましたが、30年以上前の中国では『ペット』という概念自体を理解してもらうことが困難でした。私がカリフォルニア在住中に出会った中国からの留学生たちに『ペット』を説明しようとしたところ、『それは家畜だ』という返答ばかりでした。当時の中国では、動物は食用や農作業の補助が目的であり、愛玩動物として飼う習慣が一般的ではなかったのです。

 ところが、急速な近代化を経た現在では、ペットは中国社会にも広く受け入れられています。しかし、私が専門地域としているモザンビークでは依然として『ペット』という概念が通用しない地域が多く存在します。極度の貧困により、人間の子供ですら十分な栄養を得られない現状では、動物に特別な餌を与えるという考え方はなかなか根付きません。そのため、動物との関係性は『愛玩』ではなく、より実利的なものとなります。

モザンビークでの動物との関係:猫と蛇、犬と農民

 私がモザンビークで経営する農業法人では、犬や猫、アヒルなど多くの動物を飼っています。数が多過ぎて一匹ずつ名前を覚えられないほどですが、そこには興味深い相互依存の関係が成り立っています。

猫の役割:蛇の駆除

 モザンビークの猫は蛇を襲って駆除する習性があります。自分で食べるわけではないものの、積極的に蛇を仕留めてくれるおかげで、人間は安心して暮らせます。特別な餌を与えていなくても、彼らは人間の住むエリアに居ついています。その理由のひとつは安全な水場の存在でしょう。アフリカでは、ライオンですらワニに襲われる危険があるため、人間の近くで安全に水を飲むことは、猫にとって大きなメリットなのです。

犬の役割:警戒・防衛・狩猟のパートナー

 モザンビークをはじめとするアフリカの農村部では、犬は単なる愛玩動物ではなく『共同生活者』として欠かせない存在です。

侵入者や野生動物からの防衛

 農地ではガゼルだけでなく、猿や猪のような野生動物も農作物を襲うことがあります。犬が吠えることで農民は異常を察知し、被害を食い止めることができます。

盗賊や不審者の監視

 盗賊による家畜や農作物の盗難が起こっても、犬が吠えれば早い段階で住民が対応可能です。警察の力が十分に及ばない地域では、犬が大きな助けになるのです。

狩猟のパートナー

 農民が野ウサギなどの小動物を仕留める際、犬は獲物を追い込み、狩りの成功率を高めてくれます。貴重な蛋白源を確保するための重要な手段です。

食料事情

 モザンビークの農村部では、犬専用の餌を与える習慣はほとんどありませんが、残飯や農作物のくずを食べたり、自ら狩りをして生き延びるため、人間のそばにいること自体が彼らにメリットをもたらしています。

会話で共生する珍鳥:ミツオシエ

 ここで、鳥好きのカンナ隊長にぜひ知っていただきたいのが、モザンビークにしか生息しないとされる珍鳥の『ミツオシエ』です。キツツキの仲間でありながら、人間と会話をする能力を持っているという、たいへんユニークな鳥です。

『ミツオシエ』という名前でネタバレしてしまったかも知れませんが、彼らは人間に蜂蜜のありかを教えてくれます。しかも、現地にはミツオシエと意思疎通ができる人々がいて、彼らはミツオシエ語で会話ができるのです。

 ミツオシエは木の穴や樹洞にあるミツバチの巣を見つけると、人間にその場所を知らせます。そして、巣を壊して蜂蜜を採取した人間が、その一部をミツオシエにお裾分けするという共生関係が成り立つのです。さらに、この鳥は托卵を行う強かな一面を持ち、自分で蜜を採る労力をかけずに人間を利用して楽に蜂蜜を手に入れます。可愛らしさと狡猾さを兼ね備えた、実にユニークな生態です。

『野生の倫太郎』というノンフィクション

 このような共生関係は、『動物を飼う』という一方的なものではなく、『人間と動物が互いに助け合いながら生きる』という、都市部とはまったく異なる価値観に支えられています。そこには、野生のままの動物と共存するという姿が色濃く存在しているのです。まさにこれが『野生の倫太郎』の世界なのです😀

武智倫太郎

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集