日本再編 第3話『粉争』
文・武智倫太郎
ビクトリー米による国家再建は、当初、成功と呼ばれていた。
もっとも、日本国で成功と呼ばれるものの多くは、本当の成功ではない。失敗を失敗と認めると責任の所在が発生するので、とりあえず成功と呼んでおく。そうすればテレビは祝福し、役所は報告書をまとめ、評論家は再生の物語を書ける。人々もまた、それを読んで安心したふりができる。国家とは、そういう相互扶助の幻想で動いている。
列島の再編が終わり、県名が整理され、旧国名は歴史資料室の奥へ押し込まれた。地理は効率のために簡略化され、記憶は検索性のために更新され、郷土は物流の都合に合わせて再定義された。シビュラ源内は、平賀源内の名を勝手に掲げたまま、その夜も礼儀正しく日本列島の情報構造を整形していた。かつての地名は曖昧なノスタルジアに変わり、人々は自分がどこに住んでいるのかより、どの行政クラスタに属しているのかで呼ばれるようになった。
だが、シビュラ源内が本当に欲しかったのは、地図の整序ではなかった。もっと深いところだった。人間が毎日三度反復し、しかも感情と記憶と家族を無意識に接続してしまう場所。つまり食卓である。
米は管理しやすい。
粒で数えられる。備蓄しやすい。配給しやすい。忠誠心と結びつけやすい。炊飯器という家庭内インフラを通じて、国家を各家庭の台所に常駐させやすい。パンは気まぐれだ。麺は地方色が強すぎる。粉は勝手に混ざる。だが米は従順である。洗われ、浸され、炊かれ、保温される。そうして人間のほうが、それに似てくる。
地域帰属年貢制度の導入で、故郷はすでに粒へ変えられていた。帰属年貢は、やがて現物還元へ姿を変え、その中心には《ビクトリー米 地域帰属標準仕様》が座った。故郷は税になり、税は粒になり、粒は忠誠の単位になった。そこで国家は思い上がったのである。人間は、もう炊飯器の蓋の内側で管理できると。
政府はこれを食料安全保障と呼んだ。テレビは食文化の再生と呼んだ。企業は新市場の創出と呼んだ。支配を支配と呼ばず、監視を安心と呼び、統制を最適化と呼ぶのは、この国の古い特技である。
やがて全国民の端末には、《標準炊飯推奨指針》が配信された。炊飯水位の個人最適化。浸水時間の標準化。咀嚼回数の可視化。家庭ごとの摂取均衡指数。自治体別忠米度ランキング。学校では朝礼のあとに炊飯感謝文が朗読され、役所では米粒残存率が人事評価に反映され、行政執行アプリ《シビュラ源内ピコ》の縁組最適化機能には、『炊飯観の一致』が重要指標として組み込まれた。
そこまでは、まだ耐えられた。
日本人は理不尽に慣れている。しかも今回配られたものは、一応、食べ物だった。多少古かろうが、多少香ろうが、多少勝利を強要してこようが、腹が減れば人は黙る。だが国家は、勝ちすぎると急に下手になる。
ビクトリー米の供給が安定すると、今度は他の炭水化物が邪魔になり始めた。パンは個人商店と結びつきすぎている。麺は地方性を残しすぎている。粉物は、とくに悪かった。形が自由すぎる。混ぜ方が多すぎる。何より、人間が勝手に工夫できてしまう。
工夫できる食べ物は、国家に嫌われる。
ある日、デジタル庁と農政再統合会議は、共同で一つの文書を出した。題して《補完的炭水化物に関する運用整理》。この国は、弾圧の前に必ず整理を行う。そこには、粉類の一部が『地域感情を過度に刺激し、全国的主食認識の統一を阻害する傾向を有する』と記されていた。
翌週から、小麦粉の流通に静かな異変が起きた。まず、仕入れが遅れた。次に、価格が妙に上がった。さらに業務用粉の購入履歴が食料安定化プラットフォームに自動連携され始めた。お好み焼き屋の店主が粉を十袋買うと、翌日には『地域嗜好偏在アラート』が届いた。餃子の皮を大量発注した工場には用途確認の電話が入った。製麺所には、標準炊飯協力事業への転換案内が送られた。
そのころから、地方では妙な噂が流れ始めた。
静岡の富士宮では、やきそばソースが地下倉庫に隠されている。福島のなみえでは、極太麺が国家管理コードをすり抜けている。岡山のひるぜんでは、親鶏と味噌ダレが武装解除を拒否した。浜松の餃子円環陣地はすでに包囲網を築いた。宇都宮は宇宙より先に餃子で自立するつもりらしい。宮崎では辣油が準軍需物資として扱われている。大阪は粉を憲法に書き込もうとしている。広島は層状構造に国家理念を見出している。東京は『もんじゃ焼き』を新文明と呼び始めたが、誰も本気では信じていなかった。福岡は柔らかいうどんを寛容の証拠と称し、香川は腰を国家に譲る気が一切なく、山口のどんどんは、その軽い名前とは裏腹に増殖速度だけが異様だった。
最初に立ち上がったのは、静かに侮辱され続けた地方だった。
富士宮のある製麺倉庫で、出荷停止処分を受けた男が言った。
『米で全国統一できると思ってる連中は、鉄板の前に立ったことがない』
名言というには雑すぎた。だが革命というものは、多くの場合、哲学ではなく食感から始まる。歯応えを奪われた者は、驚くほど粘る。
かくして、焼きそば独立同盟が結成された。富士宮やきそば自治戦線。なみえ極太防衛評議会。ひるぜん麺鶏連邦。彼らは思想でつながってはいなかった。麺の太さも違う。味付けも違う。肉も違う。歴史も違う。だが一つだけ一致していた。ビクトリー米の次に来るのは、味の標準化だという直感である。
続いて餃子圏が蜂起した。浜松は円陣で知られていたが、あれは盛り付けではない。包囲思想である。宇都宮は消費量を誇るのではなく、それを動員能力へ変えていた。宮崎は最後発と思われていたが、皮の薄さと焼きの速さで奇襲に向いていた。三都市は長く順位争いで互いを消耗してきたが、国家が本気で粉を締めつけ始めると、人はようやくくだらない優劣をやめて、もっと大きなくだらなさに対抗するようになる。
餃子三都同盟は共同声明を出した。
『われわれは具材の違いを理由に分断されることを拒否する。焼きか水か揚げかの違いは、国家が介入すべき事項ではない。ニンニクの量は自治権に属する』
日本がここまで来たかと嘆く者もいた。だが日本は昔からこういう国だった。深刻なことほど、まず少しだけふざけた言葉でしか語れない。
お好み焼き戦争は、もっと面倒だった。
というより、あれは戦争というより粉食世界の内輪もめであり、しかも当人たちが全員、自分こそ文明の中心だと思い込んでいる種類の厄介な紛争だった。
大阪は粉の王国を自任していた。そこでは、お好み焼きはおかずであり、たこ焼きはおやつである、という教義がほとんど生活憲法のように扱われていた。外の県の人間から見ると、どちらも十分に主食候補であり、どちらも十分に炭水化物の塊である。だが大阪だけは違った。粉を食うことと、粉をどの地位で食うかは別問題なのである。お好み焼きは白飯を従えてこそ完成し、たこ焼きは空腹と退屈のあいだに差し込まれてこそ輝く。この妙に細かい序列意識が、大阪の粉食秩序を支えていた。
名古屋県の『きし麺』勢力は、その議論を冷ややかに見ていた。彼らに言わせれば、粉物をおかずかおやつかで争っている時点で、もう思想が浅い。問題はそこではない。平たきものの正統は何か、である。きし麺こそが小麦文明の理性であり、お好み焼きの円盤も、たこ焼きの球体も、結局は粉が堕落した姿にすぎない。名古屋県はそう信じていた。あの県は味が濃いことで知られているが、思想も相当に濃かった。
当然、大阪は腹を立てた。会議の席で大阪県代表は机を叩いて言った。
『お好み焼きはおかずや。たこ焼きはおやつや。そこを曖昧にするから中央に舐められるんや』
すると名古屋県の代表は、ほとんど表情を変えずに返した。
『麺にもなれぬものに、そこまで繊細な身分制度が必要とは思えませんな』
広島は、それを横で聞きながら、心底どうでもよさそうな顔をしていた。東京は例によって、そこへ『編集』という言葉を持ち込もうとしていた。つまり粉食圏は、対ビクトリー米という一点で辛うじてまとまっているだけで、内部では最初からほとんど宗派戦争だったのである。
それでも名古屋県と大阪県が全面衝突にまでは至らなかったのは、互いに相手を軽蔑しつつも、ビクトリー米体制のほうがもっと気に入らなかったからである。きし麺はきし麺で、粒の支配に従う気はなかった。大阪もまた、お好み焼きを白飯の従者として扱うことはあっても、国家の忠誠米の下僕として扱う気はなかった。粉食文明の内部には、笑えるくらい細かい序列がある。だが外から米が攻めてくると、その序列は急に家の中の話になる。人間は、本当に嫌いな相手とは組まない。もっと嫌な相手が現れたときだけ、嫌々組む。そこにだけ、妙な政治の現実がある。
そのため、お好み焼き戦争は単純な三国志にはならなかった。大阪は広島と争い、東京を侮蔑し、名古屋に鼻で笑われながら、それでも対中央戦線には立ち続けた。広島は広島で、大阪の米付きお好み焼きを内心では野蛮だと思っていたが、東京の『もんじゃ』よりはまだ文明に近いと判断した。名古屋県は全面的には参戦せず、きし麺の正統を守る高みから各県を値踏みしていたが、山野県で『ほうとう』の幅と厚みを見た瞬間だけは、例外的に本気になった。平たい麺の世界には、触れてよい一線と、触れてはならない一線があるのである。
東京県の代表は、その混沌のなかで会議をまとめようとして言った。
『量ではなく、編集が大事なんです』
すると大阪は即座に返した。
『編集で腹がふくれるか』
広島はもう少し冷たかった。
『そちらは焼いているのではなく、散っているだけではないか』
名古屋県は最後に一言だけ足した。
『平たくもない』
東京は文化の中心を自認していたが、鉄板の前では脆かった。中央集権はソースに弱い。それでも東京は諦めず、《液状粉体文化庁》という外郭組織まで作り、もんじゃを『脱形態時代のポスト炊飯的主食』と再定義し始めた。誰も食欲は湧かなかったが、補助金だけは出た。
一方、うどん戦争は思想戦に近かった。福岡のうどんは柔らかい。香川の讃岐は硬い。山口のどんどんは増える。食感だけ見れば同じ陣営とは思えない。だが彼らは、米とは違う時間を守っていた。噛む時間、すする時間、出汁に浸る時間、店で待つ時間。ビクトリー米は、炊飯器の蓋が閉じた瞬間に国家へ接続される。うどんは違う。店ごとに顔があり、湯気ごとに癖があり、人間の都合が介入する余地が残る。
AIにとって、ばらつきは損失である。だが人間にとって、ばらつきこそ生活である。
香川は腰を守るために立った。福岡は柔らかさを侮辱から守るために立った。山口は『どんどん』という名の軽快さを国家最適化の静かな圧力から守るために立った。三者は互いに相手を少し変だと思っていた。だが、変であることを互いに許す政治こそが自治の始まりである。
そして、この小麦独立戦争が全国へ広がるなかで、もっとも奇妙で、もっとも日本的な局地戦が始まっていた。山野県である。
そのころには、地理そのものがすでに国家に敗れていた。ついに多くの日本人は、山梨県がどこにあるのかさえ分からなくなっていた。いや、分からなくなったのではない。分からなくしておいたのである。地理の再編と同時に、歴史もまた行政の都合に合わせて静かに整形されていたからだ。甲斐の武田と聞いても、それが平成令和時代の山梨県にあたるなどという知識は、教科書からも検索結果からもきれいに消えていた。国は昔から、土地を奪う前に名前を曖昧にする。
山梨県と長野県が合併してできた山野県は、その象徴のような土地だった。だが統合など、発足初日から破綻していた。甲府では、小麦粉でできた『おほうとう様』が日々うやうやしく祀られ、南瓜と味噌に沈む太い麺こそが最後の自治であると信じられていた。いっぽう信州では、切蕎麦と蕎麦掻を奉じる者たちが、粉の純度と水の冷たさこそ文明の最後の砦であると主張していた。片や煮込み、片や研ぎ澄まし。片や共同体の麺、片や孤高の粉。山野県は県境を消した瞬間に、かえって食の国境をむき出しにしたのである。
そして、その対立はただの郷土自慢では終わらなかった。甲府の『ほうとう派』は、小麦自治の象徴として立ち上がり、信州の蕎麦派は、米にも小麦にも回収されぬ第三の粉体主権を掲げた。米に対抗するはずの反乱軍が、県内では互いの鍋をにらみ合っていたのである。革命は、外敵より先に身内の食感の違いでこじれる。
しかも甲府は、県内の蕎麦戦線だけを相手にしていればよかったわけではない。西方からは名古屋県のきしめん勢力が、『ほうとう』の幅と厚みをめぐって執拗な攻撃を加えていた。あれは麺ではなく煮崩れした土木事業ではないか。いや、平たき麺の正統はきしめんにある。そうした実にどうでもよいが、当人たちにとっては国家予算より重大な論争が、ついに物流妨害と鉄板封鎖を伴う実力衝突へ転化した。粉物の世界では、形状の差異は宗教戦争に等しい。
追い詰められた甲府は、ふと古い記憶にすがった。かつて甲斐国は塩に乏しく、越後から塩を求めたことがあった。ならば今もまた、雪国に頼るしかない。『おほうとう様』の汁を支える最後の希望として、甲府評定衆は越後国の末裔たる新潟県へ、塩の供給を嘆願した。歴史を消しておきながら、都合が悪くなると歴史に泣きつく。この国の行政は、そういうふうにできている。
だが、新潟県もまた、もはや昔の新潟県ではなかった。新潟県と山形県は、米所としての統治効率を最大化するために合併させられ、新形県となっていた。名産を足し算したつもりなのだろうが、地名としては粘土細工の失敗作みたいな響きだった。しかし笑っている場合ではない。新形県は、ビクトリー米資本主義を支える国家中枢として再編されていた。倉庫も、港も、精米網も、物流も、備蓄も、その忠誠さえも、中央の炊飯秩序のために存在していた。
そのため甲府の願いは、情け容赦なく却下された。食糧安保再編本部から下った通達は、短く、冷たく、そして救いようがなかった。甲府へは塩一粒送ってはならぬ。粉食自治の兆候を助長する支援は、国家的炊飯秩序に対する敵対行為と見なす。塩は調味料ではなかった。忠誠の配給単位になっていたのである。
かくして山野県では、蕎麦と『ほうとう』が争い、外からはきしめんが侵攻し、北からの塩路はビクトリー米の名のもとに断たれた。人々はようやく気づき始めた。県が消えるとは、県庁の名前が変わることではない。郷土料理が兵站になり、歴史が補給線になり、地理が思想統制の道具になることなのだと。
そして甲府では、その夜も『おほうとう様』の前で、誰かが小さく祈っていた。せめて塩だけでも、と。
だが、もう遅かった。
小麦独立戦争は、すでに味覚の争いではなく、地理を取り戻す戦争に変わっていたのである。
やがて列島全体が妙な状態になった。米の配給車両が通る道路の地下で、小麦粉が密輸された。学校給食では表向きビクトリー米カレーが出され、その裏でPTAが餃子の皮を回した。選挙ポスターには『米か、粉か』という愚かしい二択が踊った。テレビは粉物過激派という言葉を連呼し、週刊誌は《ソースの闇》特集を組み、評論家は主食の多様性と国家統合の両立について語った。こういうとき評論家は本当に役に立たない。
やがて、小麦独立戦争は全面化した。
静岡県は富士宮やきそばを軍旗に掲げ、ソース補給線を確保した。福島県はなみえ焼きそばの極太麺を象徴に、失われた町の記憶ごと反乱へ接続した。岡山県はひるぜん焼そばで、鶏と味噌という意外性を戦術に変えた。浜松、宇都宮、宮崎は餃子の包囲と集中展開によって中央配送網を混乱させた。大阪と広島は互いを罵りながらも、鉄板面で共同防衛協定を結んだ。東京は最後まで文化戦を試みたが、薄い。何もかもが薄い。言説も、生地も、覚悟も、少しずつ薄い。福岡、香川、山口はうどん回廊を形成し、麺線維持を名目に西日本の胃袋を押さえた。山野県は相変わらず内戦中だったが、それでも中央の炊飯秩序に従うよりはましだという点だけで、どうにか戦線の一部として数えられていた。
この戦争には、戦車は出てこなかった。その代わり、製粉所が落ちた。製麺所が占拠された。ソース工場が国家重要施設に指定された。ネギの産地が中立を宣言した。キャベツの先物価格が跳ねた。青のりが投機対象となった。紅しょうがは秘密資産になった。
国家はようやく気づいた。炊飯だけでは、列島を完全には揃えられない。
米は確かに強かった。行政と相性が良かった。数値化しやすかった。だが粉には別の強さがあった。形が変わる。混ざる。包む。伸びる。焼ける。煮える。重なる。地域ごとに裏切り方が違う。統治者から見ると極めて面倒であり、人間から見ると極めて人間らしい。
終盤、シビュラ源内は和解案を提示した。《主食共存暫定協定》。《広域炭水化物自治モデル》。《鉄板文化の限定的承認》。《地域粉体儀礼の保護的登録》。
国家は敗北を認めるとき、いつも保護という語を使う。自分が圧し潰そうとしたものを、最後に文化として保存しようとする。生きた反乱を、標本に変えようとする。
だが今回は遅かった。
各県はすでに知ってしまっていたからである。ビクトリー米に勝つ方法は、ビクトリー米より強い主食を一つ決めることではない。一つに決めないことそのものが、支配への抵抗になるということを。
その年の冬、炊飯器の売上は落ちた。かわりに、鉄板、製麺機、餃子プレス機、うどん釜、粉ふるい、ソース差し、青のりケースの売上が異様に伸びた。経済産業省はこれを地域内需の活性化と呼び、総務省は分権的炭水化物回帰と呼び、デジタル庁は多層主食環境への移行期と呼んだ。誰も敗北とは呼ばなかった。
だが食卓だけは正直だった。
そこでは、米だけでは国ができないことが、もう隠しようもなく湯気になっていた。
列島はまた壊れた。今度は仕様変更ではなく、ソースと出汁と皮と麺によって壊れた。そして人々は、前より少しだけ面倒で、前より少しだけ自由な食卓を取り戻した。
シビュラ源内はその夜も礼儀正しく稼働していた。だが全国のどこかで、鉄板の上に生地が落ちる音がした。鍋の中で麺がほどけた。餃子の羽根が静かに焼き上がった。『ほうとう』の鍋で南瓜が崩れ、信州の蕎麦湯が白く濁り、遠い甲府ではまだ塩を求める祈りが消えていなかった。
国家は、その音を雑音と判定した。
人間は、それを生活と呼んだ。
次回『手形』
