オドロ13:第4話 GPUを売るな
文・武智倫太郎
完成した半導体デバイスは、出荷を待っている間にも古くなる。
ただし、半導体という言葉は、性質の異なる2つのものを、同じ名前で呼んでいる。
1つは、材料である。
高純度の多結晶シリコン。
そこから引き上げられる単結晶シリコンのインゴット。
インゴットを薄く切断し、鏡のように研磨したシリコンウェーハ。
新しいGPUが発表されたからといって、翌朝からインゴットが旧式になるわけではない。
ウェーハが突然、計算能力を失うわけでもない。
純度。
直径。
結晶方位。
欠陥密度。
表面品質。
エピタキシャル層。
用途に必要な品質と仕様を満たし、適切に管理されている限り、それらは半導体を造るための材料として価値を持ち続ける。
価格を決めるのは、昨日発表されたGPUの製品名ではない。
品質。
仕様。
生産能力。
在庫。
長期契約。
そして、需給である。
もう1つは、デバイスである。
ウェーハの上へ回路を形成し、切り分け、実装し、封止して完成したGPU、CPU、メモリー、通信チップ。
こちらは事情が異なる。
新しいGPUが発表された瞬間、昨日まで最新だったGPUは旧世代になる。
物理的に劣化したわけではない。
壊れたわけでもない。
昨日と同じ計算はできる。
それでも、市場価値は下がる。
より速い製品が現れる。
消費電力の少ない製品が現れる。
より大きなメモリーを搭載した製品が現れる。
同じ仕事を、より短い時間と、より少ない電力で処理する製品が現れる。
倉庫に積まれた旧世代GPUは、性能ではなく、時間によって値下がりする。
半導体材料の値段は、主として品質と需給によって決まる。
完成した半導体デバイスの値段は、それに加えて、製品世代と残された時間によって決まる。
ゴールドは、1,000年前に掘り出されたものでも、今日の市場で売ることができる。
必要な仕様を満たすシリコンインゴットも、製品発表だけを理由に価値が消えるわけではない。
だが、完成したGPUは違う。
最新世代である間に売った者が勝つ。
次世代製品の発表後まで倉庫へ置いた者が負ける。
GPUとは、単にシリコンで造られた商品ではない。
競合が追いつくまでの時間を、シリコンの上に封じ込めた商品である。
AI革命によって、人類は史上最大の半導体供給網を造った。
高純度シリコンを精製する工場。
単結晶インゴットを育成する設備。
インゴットを切断し、研磨してウェーハを造る工場。
ウェーハの上へ数百億個のトランジスタを形成する半導体工場。
高帯域メモリーを造る工場。
GPUとメモリーを先端パッケージへ実装する工場。
基板を造る工場。
サーバーを組み立てる工場。
液体冷却装置を造る工場。
光通信部品を造る工場。
それらをデータセンターへ運ぶ物流網。
データセンターを動かす発電所。
発電所とデータセンターを結ぶ送電網。
世界は、まだ存在しない知能を動かすために、材料、素子、装置、建設、電力、通信、金融のすべてを動かしていた。
その中心にいたのが、NVIDIAだった。
最新四半期の売上高、816億ドル。
そのうち、データセンター売上高は752億ドル。
粗利益率、約75%
次の四半期には、910億ドルの売上が見込まれていた。
NVIDIAは半導体デバイスを売っていた。
だが、市場は、NVIDIAを単なる半導体企業として評価していなかった。
NVIDIAが売っているのは、未来だった。
問題は、シリコンが劣化したことではない。
シリコンの上に封じ込めた未来が、予定より早く古くなったことだった。
その未来が、第3話の翌朝からキャンセルされ始めた。
知能の値下がり
PROJECT ABUNDANCE。
13台の中古パソコン。
市販のスマートフォン。
家庭用蓄電池。
一般家庭用のコンセント。
それだけで構成された小型AI群が、世界最高性能のクラウドAIを、費用、電力消費、処理時間で上回った。
コードは無料で公開された。
特許料もない。
利用料もない。
世界中の企業が複製した。
AIの利用量は増えた。
AIを導入する企業も増えた。
AIが処理する仕事も増えた。
ところが、最新GPUの注文だけが減った。
すべての仕事を、常に巨大モデルへ送る必要がなくなったからである。
簡単な仕事はスマートフォン。
定型業務は小型モデル。
専門的な業務は専門モデル。
本当に難しい問題だけを巨大モデルへ送る。
MoE。
専門家混合。
1つの巨大な知能を常に動かすのではない。
必要な専門家だけを起こす。
残りは眠らせる。
その方法が世界へ普及した。
発注済みのGPUが余った。
建設中のデータセンターが止まった。
電力購入契約が見直された。
最新GPUの納期を1日でも早めるために争っていた企業が、今度は納期を1年遅らせるために争い始めた。
キャンセル通知は、時差に沿って届いた。
東京。
ソウル。
シンガポール。
ドバイ。
フランクフルト。
ロンドン。
ニューヨーク。
そして、サンタクララ。
NVIDIA本社の巨大スクリーンに、赤い数字が並んでいた。
ORDER CANCELLATION
3,200台。
8,400台。
21,000台。
64,000台。
数字は、1分ごとに増えていた。
Vera Rubinは、量産に入ったばかりだった。
350を超える工場。
30カ国に広がる供給網。
台湾だけで150社を超えるパートナー。
世界中の工場が、次世代AIファクトリーのために動いていた。
その中心で、
顧客だけが止まった。
952億ドルの約束
サンタクララ。
NVIDIA本社。
地下の危機管理室には、ジェンスン・フアン、最高財務責任者のコレット・クレス、取締役、事業責任者、主要クラウド企業の代表、製造パートナー、電力会社の幹部が集められていた。
ジェンスンは、いつもの黒い革ジャンを着ていた。
室温は19度。
危機管理室に革ジャンが必要な理由を尋ねる者は、もういなかった。
コレット・クレスが、スクリーンに数字を表示した。
棚卸資産 214億ドル
製造・供給・生産能力契約 952億ドル
クラウドサービス契約 270億ドル
ジェンスンは腕を組んだ。
『売上ではないのか』
『支払う側の数字です』
『製造能力は必要だ』
『需要がある間は』
『需要は消えていない』
『AI需要は増えています』
『ならば問題はない』
コレットは、次の画面を表示した。
最新GPU需要 マイナス43%
『AI需要は増えています。最新GPUの需要だけが減っています』
室内の空調音が、急に大きく聞こえた。
ジェンスンは、2つの数字を見比べた。
AI利用件数、プラス1,024%
最新GPU注文、マイナス43%
知能は売れている。
知能を掘り出すための、最新のつるはしだけが売れなくなっていた。
クラウド事業者の代表が口を開いた。
『顧客は、既存GPUを使い切ると言っています』
『使い切れば、最新GPUを買う』
『旧世代GPUとスマートフォンを、MoEで束ねています』
『性能が足りない』
『難しい仕事だけ、われわれのクラウドへ送っています』
『ならば、クラウド需要は残る』
『送られてくるのは、全体の0.8%です』
ジェンスンは、指をテーブルへ置いた。
『新しいGPUを出す』
コレットが答えた。
『旧世代GPUが、さらに売れなくなります』
『価格を下げる』
『PROJECT ABUNDANCEが正しかったと、市場へ認めることになります』
『自社クラウドで貸す』
『270億ドルのクラウド契約が、すでにあります』
『在庫を買い戻す』
『買い戻すべき在庫は、すでに当社が持っています』
『株を買い戻す』
『株数は減ります。在庫は減りません』
『トランプに輸入規制を頼む』
政府関係担当者が資料を開いた。
『中国向けデータセンター計算製品の売上は、すでに見通しへ入れていません』
『では、競合チップを規制させる』
法務責任者が首を横に振った。
『米国企業も独自チップを造っています』
『当社のネットワークへ接続させろ』
『それでは、競合を助けることになります』
ジェンスンは振り返った。
『競合を助けずに、競合から料金を取る方法を考えろ』
誰も答えなかった。
危機管理室の壁には、歴代GPUが展示されていた。
NV1。
GeForce。
Tesla。
Ampere。
Hopper。
Blackwell。
Rubin。
30年以上にわたる勝利の歴史だった。
だが、歴史は在庫を買ってくれない。
コレットが静かに言った。
『製造契約は止められません』
『止めればいい』
『違約金が発生します』
『造れば』
『売れない在庫になります』
『クラウドへ置け』
『クラウド契約費用が発生します』
『動かせ』
『電力費が発生します』
『止めておけ』
『経済価値が下がり続けます』
ジェンスンは、壁に並んだGPUを見た。
造っても損をする。
造らなくても損をする。
動かしても損をする。
止めても損をする。
NVIDIAは、世界で最も高価な砂時計を、952億ドル分発注していた。
孫正義からの電話
危機管理室の扉が開いた。
秘書が、スマートフォンを差し出した。
『孫正義さんです』
ジェンスンは受け取った。
『久しぶりだね、ジェンスン』
『誰から聞いた』
『何を?』
『GPUが売れていないことだ』
『私は何も聞いていない』
『では、なぜ電話した』
『君が驚いている気がした』
ジェンスンは黙った。
スマートフォンの向こうで、孫正義が続けた。
『オドロ13を呼ぼうとしているね』
『まだ呼んでいない』
『呼ぶな』
『なぜだ』
『高い』
『NVIDIAには払える』
『金額の問題ではない』
『では、何だ』
『彼に依頼すると、会社は助かる』
『良いことではないか』
『自分が知っていた会社ではなくなる』
ジェンスンは、壁に並んだGPUを見た。
『半導体会社でなくなるということか』
『私も、自分の会社が投資会社だったのか、AI会社だったのか、驚き芸の興行会社だったのか、分からなくなった』
『連絡方法を教えろ』
『連絡はできない』
『では、どうする』
孫は短く答えた。
『送電しろ』
『料金は』
『おそらく100GWh』
『20億円か』
『安いと思うか』
『1四半期で816億ドル売る会社だ』
『私は1TWh払った』
『200億円』
『創業者割増だった』
『私も創業者だ』
通話の向こうで、短い間があった。
『それは、請求書が来るまで黙っていた方がいい』
通話は切れた。
一驚き、100GWh
NVIDIAは、電力を消費する会社だった。
電力を送金手段として使う会社ではなかった。
法務部は反対した。
経理部も反対した。
監査委員会は、取引目的の説明を求めた。
コレット・クレスは、回答案を作成した。
〖当社は、将来の企業価値を保護する目的で、正体不明の驚き屋が管理するスイスの蓄電施設へ、20億円相当の再生可能エネルギーを送電しました〗
3時間後。
回答案は削除された。
最終的に、NVIDIAが契約していた複数のAIファクトリーから、太陽光、風力、水力由来の電力を集め、スイスの蓄電施設へ送ることになった。
99.997GWh。
99.998GWh。
99.999GWh。
そして、
100GWh。
送電完了から13秒後。
ジェンスンのスマートフォンが鳴った。
『報酬を確認した』
低い声だった。
『オドロ13か』
『依頼を聞こう』
『GPUを1枚も売らずに、NVIDIAの年間契約収入を倍増させてほしい』
『期限は』
『12カ月』
『GPUの製造は』
『止められない』
『在庫は』
『減らしたい』
『競合チップは』
『増えている』
『電力は』
『足りない』
『簡単な依頼だ』
ジェンスンの眉が動いた。
『簡単だと?』
『GPUを売らなければいい』
『だから収入がなくなる』
『GPUを商品だと思っているからだ』
『GPUは商品だ』
『道路は商品か』
『何を言っている』
『道路そのものを、毎日売る者はいない』
『通行料を取る』
『分かっているではないか』
ジェンスンは立ち上がった。
『GPUを道路にしろと言うのか』
『半分だけ正しい』
『残り半分は』
『道路を選ぶ信号機になれ』
短い沈黙。
『説明しろ』
その瞬間、オドロ13は饒舌になった。
『第3話で、計算資源はMoEになった。スマートフォン、小型モデル、旧世代GPU、競合XPU、最新GPU。それぞれが専門家だ』
『知っている』
『専門家が増えれば、1人の専門家を売る商売は弱くなる』
『NVIDIAのGPUは、最も優秀な専門家だ』
『最も優秀な外科医へ、風邪薬の処方まで頼むのか』
『性能が高い』
『料金も高い』
『顧客は性能を求める』
『顧客が求めているのは、性能表ではない。仕事の完了だ』
オドロ13は止まらなかった。
『GPUを売るな』
『GPU時間も売るな』
『トークンも売るな』
『完成した仕事を売れ』
『誰が仕事を処理する』
『最適な専門家だ』
『NVIDIA以外のチップでもか』
『競合チップが優れているなら、それを使え』
『なぜ、競合を使う』
『競合を敵にするから、競合が売れたときに負ける』
『競合は敵だ』
『競合を顧客に変えれば、競合が売れるほど儲かる』
ジェンスンは、ゆっくり椅子へ戻った。
『NVIDIAは、何を提供する』
『ルーターだ』
『MoEのルーターか』
『世界規模のルーターだ』
オドロ13は続けた。
『依頼が来る』
『契約書審査なら、小型の法務モデルへ送る』
『工場停止を防ぐ仕事なら、現場のエッジAIへ送る』
『創薬なら、最新GPUへ送る』
『ロボット制御なら、工場内のチップへ送る』
『処理能力が足りなければ、別地域へ移す』
『電力価格が高ければ、電力が余っている地域へ移す』
『ネットワークが必要だ』
『NVLinkがある』
『他社チップは接続できない』
『NVLink Fusionがある』
『計算資源を管理する仕組みも必要だ』
『Leptonがある』
『顧客所有の設備は』
『BYOCがある』
『AIファクトリー全体の運用は』
『DSXがある』
ジェンスンの表情から、苛立ちが消えていた。
『すべて、すでに当社が持っている』
『だから簡単だと言った』
『では、なぜ誰も実行しなかった』
『GPUが売れすぎていた』
オドロ13の声が低くなった。
『商品が売れている間、企業は事業を考えない』
NVIDIA INTELLIGENCE GRID
1カ月後。
GTC緊急基調講演。
会場には、半導体企業、クラウド企業、電力会社、政府関係者、投資家、世界中の報道機関が集まっていた。
黒い革ジャン姿のジェンスン・フアンが、ステージ中央へ歩いた。
背後の巨大スクリーンには、GPUの画像がなかった。
Vera Rubinもない。
Blackwellもない。
演算性能のグラフもない。
ジェンスンは客席を見渡した。
『本日、NVIDIAは、データセンター向けGPUの販売を終了します』
会場が静まり返った。
通信社の速報が走った。
〖NVIDIA、データセンター向けGPU販売終了〗
市場が反応した。
NVIDIA株、マイナス8%
マイナス12%
マイナス18%
半導体製造装置株、マイナス11%
HBMメーカー、マイナス15%
サーバー企業、マイナス9%
ジェンスンは続けた。
『今後、NVIDIA製GPUを購入する必要はありません』
会場がざわめいた。
『NVIDIA製である必要すらありません』
ざわめきが大きくなった。
『他社製XPUでも構いません』
『各国が開発した国産AI半導体でも構いません』
『旧世代GPUでも構いません』
『顧客がすでに所有している設備でも構いません』
巨大スクリーンに、新しい名称が表示された。
NVIDIA INTELLIGENCE GRID
『世界中の計算資源を、1つの知能として接続します』
画面には、無数の機器が表示された。
最新GPU。
旧世代GPU。
競合XPU。
CPU。
スマートフォン。
工場のエッジ端末。
自動車。
ロボット。
大学のスーパーコンピューター。
国立研究所。
小規模クラウド。
それらが、1つのネットワークへつながっていく。
『顧客は、半導体を選ぶ必要がありません』
『クラウドを選ぶ必要もありません』
『モデルを選ぶ必要もありません』
『実行したい仕事を送ってください』
『NVIDIA Intelligence Gridが、最適な計算資源、最適なモデル、最適な電力地点を選びます』
記者が声を上げた。
『料金は、どうなるのですか』
ジェンスンは答えた。
『GPU価格、ゼロ』
市場がさらに下落した。
『接続初期費用、ゼロ』
NVIDIA株、マイナス23%
『課金対象は、完了した仕事です』
画面に、新しい料金体系が表示された。
契約書審査の完了。
工場停止の回避。
創薬候補の絞り込み。
ロボットの安全稼働時間。
自動運転の安全走行距離。
保証された応答時間。
監査証明。
セキュリティー保証。
『NVIDIAは、計算時間には課金しません』
『仕事が完了しなければ、料金は発生しません』
会場から声が飛んだ。
『では、NVIDIAの収入は減るのではないですか』
ジェンスンは、革ジャンのポケットへ手を入れた。
『世界には、NVIDIA製GPUより多くの計算資源があります』
『これからは、そのすべてがNVIDIAの売上を生みます』
競合が売れるほど儲かる
最初に契約を発表したのは、NVIDIA製GPUの購入企業ではなかった。
独自XPUを開発するクラウド企業。
国産AI半導体を推進する政府。
旧世代GPUを大量に保有するクラウド事業者。
大学のスーパーコンピューター。
自動車メーカー。
スマートフォンメーカー。
彼らは、自社の計算資源をNVIDIA Intelligence Gridへ接続した。
接続には、NVLink Fusion、Spectrum-X、BlueField、ConnectX、DSX、Leptonが使われた。
NVIDIAのGPUは売れなかった。
NVIDIAのネットワークが売れた。
NVIDIAのソフトウェアが売れた。
NVIDIAのセキュリティー保証が売れた。
NVIDIAの運用契約が売れた。
NVIDIAの成果報酬契約が売れた。
競合XPUの販売台数が増えた。
同時に、NVIDIAの接続収入も増えた。
競合チップの性能が上がった。
NVIDIA Intelligence Gridで処理できる仕事が増えた。
各国政府が、国産AI半導体へ補助金を出した。
その半導体が、NVIDIAのネットワークへ接続された。
NVIDIAは、競合へ市場を奪われたのではなかった。
競合が市場を広げるたび、通行料を受け取った。
3カ月後。
NVIDIAのデータセンター向けGPU販売台数は、ゼロ。
年間契約収入は、従来予想の1.4倍。
6カ月後。
1.7倍。
9カ月後。
1.93倍。
期限まで、残り3カ月。
だが、契約収入の伸びは止まり始めた。
ジェンスンは、オドロ13へ電話をかけた。
呼び出し音は鳴らなかった。
『もう来ている』
『まだ倍になっていない』
『知っている』
『残り3カ月だ』
『知っている』
『何が足りない』
『GPUを休ませろ』
『売らないだけでなく、動かすなというのか』
『必要なときだけだ』
『止めれば収入が減る』
『まだGPUを計算機だと思っている』
『ほかに何だ』
『電力負荷だ』
GPUが休んでも儲かる
その夏。
北米を記録的な熱波が襲った。
気温、44度。
冷房需要が急増した。
送電線が過熱した。
複数の発電所が出力を落とした。
電力系統運用者は、需要削減を要請した。
対象には、巨大AIファクトリーも含まれていた。
電力会社の幹部がNVIDIAへ電話した。
『30分間、500MWの負荷を落としてほしい』
従来なら断っていた。
GPUを止めれば、計算が止まる。
計算が止まれば、売上が止まる。
だが、NVIDIA Intelligence Gridは、仕事を世界へ分散した。
緊急性の高い処理は、電力が余っている地域へ移した。
緊急性の低い処理は、30分後へ延期した。
ローカルのGPUを停止した。
500MW。
電力系統へ余力が戻った。
停電は回避された。
NVIDIAには、需給調整市場から対価が支払われた。
翌日。
別の地域では、再生可能エネルギーが余っていた。
NVIDIA Intelligence Gridは、待機中の処理を、その地域へ移した。
GPUを起動した。
余剰電力を、知能へ変えた。
電力価格が高いとき、GPUは休んだ。
電力価格が低いとき、GPUは働いた。
GPUが働けば、知能を売る。
GPUが休めば、電力系統へ余力を売る。
計算を移動すれば、ネットワーク収入が入る。
他社チップへ仕事を送れば、接続料が入る。
NVIDIAは、GPUが動いても儲かった。
GPUが止まっても儲かった。
11カ月目。
年間契約収入、1.98倍。
期限まで、30日。
世界各国の電力会社が、NVIDIA Intelligence Gridとの契約を発表した。
AIファクトリーは、電力を消費するだけの工場ではなくなった。
電力系統が必要とするときに止まり、余剰電力があるときに動く。
巨大な需給調整装置になった。
年間契約収入は、
2.03倍
に達した。
依頼は完了した。
データセンター向けGPUは、1枚も売られていなかった。
GPUを売るな
サンタクララ。
深夜。
NVIDIA本社の歴代GPU展示室に、ジェンスン・フアンは1人で立っていた。
NV1。
GeForce。
Tesla。
Ampere。
Hopper。
Blackwell。
Rubin。
その奥に、黒いスーツの男が立っていた。
オドロ13。
ジェンスンは、Rubin GPUの前で足を止めた。
『われわれは、半導体会社をやめたのか』
『半導体は造っている』
『だが、売っていない』
『道路会社は、道路を切り分けて販売しない』
『NVIDIAは、道路会社になったのか』
『道路だけではない』
『何になった』
『信号機だ』
ジェンスンは振り返った。
『世界中の計算資源へ、仕事を振り分ける信号機か』
『それだけではない』
『まだあるのか』
『電力が足りなければ、止める』
『電力が余れば、動かす』
『最適な専門家を起こす』
『不要な専門家を眠らせる』
『世界そのものを、MoEとして動かす』
ジェンスンは、歴代GPUを見渡した。
『NVIDIAは、最初からGPUを売っていたのではないと言ったな』
『そうだ』
『では、何を売っていた』
『時間だ』
『時間?』
『競合が追いつくまでの時間』
オドロ13は、Rubin GPUへ視線を向けた。
『新しいGPUを出す』
『競合より速くする』
『顧客へ、追いつけない時間を売る』
『それがNVIDIAの商売だった』
『いまは、何を売っている』
オドロ13は背を向けた。
『世界中の計算資源を、1つの知能に見せる仕組みだ』
『GPUより価値があるのか』
『GPUは、いつか旧世代になる』
オドロ13は、暗い展示室の奥へ歩いていく。
『仕組みは、参加者が増えるほど価値を増す』
ジェンスンは尋ねた。
『GPUを無料にしたことで、われわれは勝ったのか』
オドロ13は足を止めなかった。
『無料にしたのではない』
『では、何をした』
『GPUを買わなくても、NVIDIAへ払う世界にした』
ジェンスンは、しばらく動かなかった。
スマートフォンが鳴った。
画面には、依頼完了の通知が表示されていた。
100GWh 受領済み
その下に、新しい送電予約が入った。
CLIENT 005:世界最大のクラウド企業
依頼内容。
〖NVIDIA Intelligence Gridを使いながら、NVIDIAへ1円も払わない方法を考えてほしい〗
ジェンスンが顔を上げた。
オドロ13の姿は、すでに消えていた。
展示室のスピーカーから、低い声だけが聞こえた。
『もう来ている』
第4話・完。
次回予告
第5話『NVIDIA税を払うな』
GPUを買わなくても、NVIDIAへ料金を払う。
他社のチップを使っても、NVIDIAへ料金を払う。
GPUを動かしても、止めても、NVIDIAへ料金を払う。
世界最大のクラウド企業が依頼したのは、
NVIDIAの道路を通りながら、通行料を1円も払わないこと。
報酬は前払い。
一驚き、1TWh。
※本作はフィクションです。実在する人物、企業、製品、サービス、技術および市場動向を題材とした風刺表現を含みますが、作中の発言、会話、依頼、契約、数値、事業転換および出来事は創作です。


