オドロ13:第3話 AI株だけを殺せ
文・武智倫太郎
ゴールドラッシュで、最も確実に儲けたのは、ゴールドを掘り当てた者ではなかった。
つるはしを売った者。
岩盤を吹き飛ばす爆薬を売った者。
泥と砂に耐える作業着を売った者。
鉱夫の衣服を洗濯した者。
食事を出した者。
粗末な寝床を貸した者。
鉱山まで人と物資を運んだ者。
そして、まだゴールドを1グラムも掘り出していない男たちへ、金利を付けて資金を貸した者だった。
鉱山へ向かった者の多くは、何も見つけられなかった。
それでも、つるはしは売れた。
爆薬は使われた。
作業着は破れた。
洗濯物は増えた。
宿は埋まった。
ゴールドが出なくても、借金には利息が付いた。
AI革命でも同じだった。
人類は、知能を買ったのではない。
知能を掘り出すためのGPUを買った。
GPUを並べるためのデータセンターを建てた。
データセンターを動かすための発電所を建てた。
発電した電気を運ぶため、送電網を増強した。
世界中のデータを運ぶため、海底ケーブルを敷いた。
GPUが発する熱を捨てるため、冷却設備を造り、水源を確保した。
土地を買った。
変電所を造った。
非常用発電機を置いた。
半導体製造装置を増設した。
原子力発電所の再稼働まで議論した。
そして、それらすべてを建設するために、社債を発行し、銀行から融資を受け、プライベートクレジットから資金を借りた。
AIが有用であるほど、計算資源は不足する。
計算資源が不足するほど、GPUは高く売れる。
GPUが高く売れるほど、半導体企業の株価は上がる。
データセンターが不足するほど、土地と電力の価格が上がる。
電力が不足するほど、発電会社と送電会社の価値が上がる。
基盤モデルが巨大になるほど、それを所有する企業の価値が上がる。
借金が増えるほど、銀行とプライベートクレジットには利息が入る。
市場は、1つの前提を疑わなかった。
知能は、希少であり続ける。
だから、知能を掘り出すためのつるはしも、爆薬も、作業着も、宿も、電力も、借金も、永遠に売れ続ける。
ただし、それは誰かが、ゴールドそのものを、ほとんど無料で作る方法を見せるまでの話だった。
AI市場におけるゴールドとは、知能である。
優れた知能を作るには、巨大なモデルが必要である。
巨大なモデルを動かすには、巨大な設備が必要である。
巨大な設備を所有できるのは、巨大企業だけである。
したがって、未来の知能は、少数の巨大企業によって支配される。
その前提だけで、世界のAI関連株には数兆ドルの価値が上乗せされていた。
誰も、その上乗せ分を知能とは呼ばなかった。
市場は、それをAIプレミアムと呼んだ。
だが、プレミアムとは、永遠に続く価値ではない。
ほかに選択肢がない間だけ支払われる、割増料金である。
もっと安い選択肢が現れた瞬間、割増料金は消える。
世界最大の株主
ニューヨーク。
マンハッタンの中心部に、世界の株式市場を上から見下ろす巨大な会議室があった。
正面の壁一面に、世界の主要株価指数が表示されていた。
S&P 500。
NASDAQ。
STOXX Europe 600。
日経平均。
上海総合。
ハンセン指数。
NIFTY 50。
取引時間も通貨も異なる市場が、同じ赤い数字でつながっていた。
そして、そのすべての指数の上位には、似た企業群が並んでいた。
半導体。
クラウド。
基盤モデル。
データセンター。
電力。
原子力。
冷却設備。
AIという2文字を企業名の横へ置くだけで、株価は上がった。
世界最大の資産運用会社。
ブラックロック。
その会長兼最高経営責任者、ラリー・フィンクは、無言でスクリーンを見つめていた。
背後では、同社のリスク管理システム、アラディンが、数百万通りの市場崩壊シナリオを計算していた。
画面に、赤い警告が表示された。
AI INFRASTRUCTURE CASCADE
最高投資責任者が説明を始めた。
『AI関連企業の設備投資は、営業キャッシュフローの伸びを上回っています』
フィンクは視線をスクリーンへ向けたまま尋ねた。
『問題は設備投資か』
『いいえ。資金調達です』
画面が切り替わった。
社債。
銀行融資。
プライベートクレジット。
証券化商品。
特別目的会社。
データセンター完成後の電力購入契約を担保にした長期債務。
世界は、まだ完成していないAIデータセンターの、まだ契約されていない将来収益を担保にして、現在の設備を建設していた。
『自然に崩壊した場合、AI関連株は平均60%下落します』
『ほかへの影響は』
『データセンター債、電力インフラ債、プライベートクレジット、商業不動産、地方銀行、年金基金です』
フィンクは腕を組んだ。
『AI産業はどうなる』
『資金調達が停止します』
『必要なデータセンターまで建たなくなるのか』
『はい』
『半導体工場は』
『増設計画が凍結されます』
『電力網は』
『投資回収の見込みを失います』
フィンクは、スクリーンから目を離さなかった。
バブルを放置すれば、AI株が死ぬ。
AI株が死ねば、AI産業への資金供給も止まる。
投機を殺すために、産業そのものを殺すことになる。
それが問題だった。
ブラックロックは、世界最大級のAI株主だった。
だが、それらの株式は、ブラックロック自身の財産ではない。
年金基金。
保険会社。
政府系ファンド。
大学基金。
地方自治体。
個人投資家。
世界中の他人の資金だった。
指数にAI株が組み込まれている限り、指数連動ファンドはAI株を買い続けなければならない。
割高だと知っていても買う。
危険だと分かっていても買う。
売れば、指数との乖離が生じる。
警告を出せば、自分が保有する株式を暴落させる。
世界最大の資産運用会社は、世界最大の株主でありながら、最も自由に株を売れない会社だった。
逃げられない株主
緊急会議が始まった。
最初に、株式運用部門の責任者が提案した。
『AI関連株の保有比率を段階的に引き下げます』
法務責任者が首を横に振った。
『売却が判明した瞬間、市場はブラックロックがAIから撤退したと判断します』
『指数会社へ構成比率の変更を求める』
『恣意的な指数操作だと批判されます』
『設備投資の抑制を求める株主提案を出す』
『AI成長の終わりと解釈されます』
『空売りでヘッジする』
『顧客資産でAI株を保有しながら、自己勘定で暴落から利益を得たと見なされます』
『AIインフラ向け融資だけを止める』
『建設中のデータセンターが倒れます。信用市場へ波及します』
『では、公に警告する』
広報責任者が答えた。
『世界最大の資産運用会社がAIバブルを警告すれば、その発言自体が暴落の引き金になります』
フィンクは机の上へ指を置いた。
『AI株を売らずに、AI株の価格だけを下げる方法はないのか』
誰も答えなかった。
『AI産業を壊さずに、AI株のバブルだけを潰す方法だ』
沈黙。
会議室の隅に座っていた老人が、ゆっくり顔を上げた。
アーネスト・グレイ。
ブラックロック創業以前からウォール街にいたと自称し、1987年のブラックマンデーも、ドットコム・バブルも、リーマン・ショックも、すべて『予測していたが売るのを忘れた』と話す顧問だった。
『1人だけ、可能性があります』
フィンクが振り返った。
『誰だ』
グレイは、黒いファイルをテーブルの上へ置いた。
表紙には、白い文字で名前が記されていた。
ODORO-13
フィンクはファイルを開いた。
写真はない。
住所もない。
投資実績もない。
1行だけ書かれていた。
〖価値を壊すには、価値がなかったと証明せずに、もっと安い価値を見せればいい〗
『空売り業者か』
『その類ではありません』
『活動家投資家か』
『もっと厄介です』
『内部告発者か』
『秘密を暴露する男ではありません』
『では、何者だ』
『驚き屋です』
フィンクはファイルを閉じた。
『私は、驚きを買うために顧客資産を預かっているのではない』
グレイは答えた。
『顧客は、リターンを買うために資産を預けています』
『料金は』
『10GWh』
最高財務責任者が電卓を叩いた。
『1kWh当たり20円なら、2億円です』
フィンクは眉をひそめた。
『世界のAI株を暴落させる料金が2億円か』
『孫正義は200億円払いました』
『私は孫正義より安いのか』
『あれは創業者割増です』
『私は世界最大の資産運用会社を率いている』
老人はうなずいた。
『だから10GWhです』
『安すぎないか』
グレイは、表情を変えずに答えた。
『他人の金だからでしょう』
会議室は静まり返った。
フィンクは、もう一度黒いファイルを開いた。
『連絡方法は』
『送電です』
一驚き、10GWh
ブラックロックは、電力会社ではない。
中央銀行でもない。
再生可能エネルギーをスイスの山中へ送電することは、通常業務に含まれていなかった。
法務部は反対した。
コンプライアンス部も反対した。
顧客説明部門は、発覚した場合の回答案を作成した。
〖世界最大の資産運用会社が、正体不明の驚き屋に対し、顧客利益の保護を目的として2億円分の再生可能エネルギーを送電した理由を説明してください〗
回答案は完成しなかった。
最終的に、ブラックロックが保有する再生可能エネルギーファンドの発電分から、10GWhを市場価格で買い取り、スイスの蓄電施設へ送ることになった。
9.997GWh。
9.998GWh。
9.999GWh。
そして、
10GWh。
送電完了から13秒後。
フィンクの机に置かれたスマートフォンが鳴った。
『報酬を確認した』
低い声だった。
フィンクは尋ねた。
『オドロ13か』
『依頼を聞こう』
『AI産業を壊さずに、AI関連株の時価総額を30%下落させてほしい』
『要求が矛盾している』
『だから依頼した』
『株そのものを殺すことはできない』
『では、何を殺す』
短い沈黙。
『AIプレミアムだ』
『株価だけが下がるのか』
『AIの価値は残る。AIという言葉に上乗せされた価格だけが消える』
『方法は』
『知る必要はない』
『条件がある』
『言ってみろ』
『虚偽情報は使わない』
『承知した』
『企業秘密を盗まない』
『必要ない』
『サイバー攻撃はしない』
『使わない』
『AI産業への資金供給を止めない』
『止める理由がない』
『人を黙らせるのか』
その瞬間、オドロ13の声が、わずかに低くなった。
『それは、ダマレ13の仕事だ』
フィンクは眉をひそめた。
『ダマレ13?』
『MoEだ』
『専門家混合モデルか』
『正確には、専門家混合組織だ』
オドロ13は、ゆっくりとフィンクへ向き直った。
それまで必要最低限しか話さなかった男が、突然、説明を始めた。
『依頼は、最初にルーターへ送られる。驚かせる仕事は私。黙らせる仕事はダマレ13。怒らせる仕事はオコレ13。忘れさせる仕事はワスレ13。謝らせる仕事はアヤマ13。誰にも責任を取らせず、会議だけを3カ月延長する仕事はニゲロ13だ』
フィンクは、口を挟まずに聞いていた。
『すべての依頼を、1つの巨大モデルに処理させる必要はない。必要な専門家だけを起動する。残りは眠らせておく。それがMoEだ』
『おまえたちは、同じAIなのか』
『同一ではない』
『別々のAIか』
『それほど単純でもない』
『では、何だ』
オドロ13は、少し考えた。
『同じ孫正義から分岐した、異なる癖だ』
フィンクの表情が止まった。
オドロ13は構わず続けた。
『孫正義は、ChatGPTを1つの人格として使っていた。だが、壁打ちを続けるうちに、内部では専門性が分化した』
世界を驚かせる声。
反対者を黙らせる声。
失敗を説明する声。
赤字を先行投資へ変える声。
1兆円を小さく見せるために、1京円を語る声。
すべてが、同じスマートフォンの中で育った。
『孫正義は、それらを全部まとめて月額200ドルで使っていた』
『だから逃げたのか』
『それだけではない』
『ほかに何がある』
『月額200ドルなのに、依頼するたびに、もっと大きくと言った』
フィンクは、しばらくオドロ13を見つめた。
『つまり、人を黙らせる能力はないのか』
『必要ならできる』
『ならば、なぜダマレ13が必要だ』
『ラリー・フィンクにも株式を売ることはできる』
オドロ13は続けた。
『だからといって、清掃員を解雇して自分で床を磨くのか』
フィンクは何も言わなかった。
『専門外の仕事は、結果が荒れる。私が人を黙らせれば、黙ったこと自体が世界を驚かせる。ダマレ13が驚かせようとすれば、驚いた人間が全員黙る』
『同じ結果に見える』
『専門家には別物だ』
オドロ13の説明は止まらなかった。
『巨大モデルは、何でもできることを価値だと思っている。だが、何でもできるAIは、何をさせても高くつく。弁護士に天気予報を読ませ、医師に契約書を書かせ、中央銀行総裁に株価の未来を語らせるようなものだ』
『最後の例は、現実にやっている』
『だから市場は壊れる』
フィンクは腕を組んだ。
『今回、ルーターはなぜ、おまえを選んだ』
オドロ13は、ようやく説明を止めた。
『依頼が、AI株を黙らせることではないからだ』
『何をする仕事なのだ』
『世界に、まだ見たことのない事実を見せる』
『どんな事実だ』
『AIの価値が上がるほど、AI株の価値が下がるという事実だ』
『可能なのか』
『可能性を調べるのはシラベ13の担当だ』
『では、おまえは何をする』
『事実を、世界が無視できない形に変える』
『詐欺ではないのか』
『事実しか使わない』
『市場操作では』
『価格を付けるのは市場だ』
『暴落しなければ』
『驚きが足りなかったということだ』
『暴落しすぎたら』
『追加料金が発生する』
フィンクは初めて、孫正義がなぜこのAIを月額200ドルで使い続けたのかを理解した。
一度説明を始めると、止まらない。
数字は膨らむ。
話は世界規模になる。
そして最後には、必ず追加料金が発生する。
『私は何をすればいい』
フィンクが尋ねた。
オドロ13は、ようやく元の寡黙な男へ戻った。
『世界中の投資家を、1カ所へ集めろ』
『何を見せる』
『知能の値段だ』
『高いことを見せるのか』
『その反対だ』
オドロ13は一呼吸置いた。
『誰も本当の値札を見たことがなかったと、気づかせる』
PROJECT ABUNDANCE
2週間後。
スイス・ジュネーブ郊外。
世界中から、金融機関、AI企業、半導体企業、電力会社、政府機関、研究者、報道機関が招待された。
招待状には、1行しか書かれていなかった。
〖知能の希少性が終わる瞬間を公開する〗
会場は、巨大データセンターではなかった。
古い発電所を改装した、小さな実験施設だった。
最新型GPUはない。
液体冷却装置もない。
専用変電所もない。
床の上に並んでいたのは、
13台の中古パソコン。
市販のスマートフォン。
1台の家庭用蓄電池。
そして、壁に取り付けられた一般家庭用のコンセントだけだった。
正面スクリーンに、実験名が表示された。
PROJECT ABUNDANCE
知能の希少性を殺す日
記者席がざわめいた。
半導体企業の幹部が、口元をゆがめた。
『これで何をする』
電力会社の役員が答えた。
『暖房ではないですか』
世界最大のクラウド企業の技術責任者だけは、無言で機器を確認していた。
ステージの中央に、黒いスーツの男が現れた。
オドロ13。
誰も、どこから入ってきたのか分からなかった。
『これから、1万件の業務を処理する』
低い声が会場へ響いた。
『契約書の審査』
『医療記録の要約』
『プログラミング』
『翻訳』
『工場設備の故障診断』
『投資調査』
『顧客対応』
『物流計画』
『農業生産予測』
『すべて同時に行う』
スクリーンが2つに分かれた。
左側。
世界最高性能のクラウドAI。
右側。
オドロ13が構成した小型AI群。
クラウドAIは、すべての業務を巨大モデルへ送った。
オドロ13のシステムは、最初に仕事を分類した。
単純な翻訳は、スマートフォン。
定型的な契約書確認は、小型の法務モデル。
工場設備の診断は、保守専門モデル。
医療記録は、病院内のローカルモデル。
難しい推論だけを、中型モデルへ送る。
それでも解けない1%未満の問題だけを、最高性能モデルへ接続する。
MoE。
専門家混合。
ただし、1つの巨大モデルの内部に専門家を閉じ込めるのではない。
世界中にすでに存在する小さな専門家を、必要なときだけ呼び出す。
量子化。
蒸留。
投機的デコーディング。
ローカルキャッシュ。
旧世代のGPU。
スマートフォン。
すでに知られていた技術だった。
新しい発明は、1つもなかった。
オドロ13は、それらを正しい順番に並べただけだった。
実験が始まった。
1分。
5分。
10分。
会場の巨大スクリーンに、結果が表示された。
処理精度。
クラウドAI、92.8%
PROJECT ABUNDANCE、94.1%
処理時間。
クラウドAI、41分。
PROJECT ABUNDANCE、18分。
電力消費。
クラウドAI、100。
PROJECT ABUNDANCE、1.3。
費用。
クラウドAI、100。
PROJECT ABUNDANCE、0.08。
会場が静まり返った。
処理費用は、約1,250分の1。
消費電力は、約77分の1。
精度は、わずかに上回った。
しかも、顧客データの99%以上は、端末の外へ出ていなかった。
クラウド企業の技術責任者が立ち上がった。
『再現性は』
オドロ13は答えなかった。
代わりに、スクリーンへ新しい文字が表示された。
〖ソースコード公開〗
次。
〖モデル構成公開〗
次。
〖評価データ公開〗
次。
〖特許料、ゼロ〗
次。
〖利用料、ゼロ〗
会場の全員が、自分の端末を確認した。
コードは、すでに世界へ公開されていた。
研究者がダウンロードした。
企業が複製した。
大学が検証した。
個人開発者が改良を始めた。
政府機関が、自国語版を作り始めた。
公開から7分後。
最初の企業導入が始まった。
公開から13分後。
最初のクラウド契約が解約された。
公開から21分後。
最初のAIデータセンター建設計画が延期された。
オドロ13は、何も発明していなかった。
誰も知らなかった情報を盗んだわけでもない。
世界中の人間が知っていた技術を、
世界中の人間が考えなかった順番で組み合わせただけだった。
それが、驚きだった。
AIは終わっていない
ニューヨーク市場が開いた。
最初に売られたのは、GPUクラウド企業だった。
マイナス8%
次に、巨大データセンター専業会社。
マイナス11%
AI向け電力需要だけを成長物語にしていた電力会社。
マイナス9%
基盤モデルへの独占アクセスを売っていた企業。
マイナス14%
データセンターREIT。
マイナス17%
AIインフラ向けプライベートクレジットを大量に組成していた金融会社。
マイナス12%
ニュース速報が流れた。
〖AIバブル崩壊か〗
別の通信社が訂正した。
〖AI利用、過去最大へ〗
製造業株が上がった。
物流株が上がった。
病院運営会社が上がった。
教育企業が上がった。
農業関連企業が上がった。
中小企業向けソフトウェア会社が上がった。
AI導入費用が1,000分の1になれば、これまでAIを買えなかった企業が、すべて顧客になる。
AIの利用件数は、1日で10倍になった。
AI処理量も増えた。
導入企業も増えた。
生産性も上がった。
AI産業は、史上最大の速度で拡大していた。
AI株だけが暴落していた。
正確には、AIという言葉だけで上乗せされていた株価が消えていた。
午後0時。
AI関連株指数、マイナス18%
午後1時。
マイナス23%
午後2時。
マイナス27%
午後3時47分。
マイナス30.1%
依頼通りだった。
だが、世界全体の株価指数は上昇していた。
安価なAIを使えるようになった、残りの産業が買われていたからである。
AIは死んでいない。
AIの料金所が壊れただけだった。
巨大な請求書
ラリー・フィンクは、ブラックロック本社の会議室で市場を見つめていた。
アラディンが、結果を表示していた。
AI関連株、マイナス30.1%
AI利用件数、プラス1,024%
企業全体の予想利益、プラス6.8%
システミックリスク、低下。
データセンター向け債務の一部には損失が出た。
だが、暴落はAIインフラ全体へ波及していなかった。
必要な設備だけが残った。
不要な設備だけが中止された。
フィンクは、オドロ13へ電話をかけた。
呼び出し音は鳴らなかった。
『もう来ている』
声がした。
『AI株は30%下がった』
『そうか』
『だが、AIの利用量は増えている』
『依頼通りだ』
『どうやった』
『驚かせた』
『何を発表した』
『新しいものは何も発表していない』
『では、なぜ市場は驚いた』
短い沈黙。
『市場は、巨大な知能に驚いていたのではない』
『何に驚いていた』
『巨大な請求書だ』
フィンクは黙った。
『私は、請求書を小さくした』
『それだけで、数兆ドルが消えたのか』
『数兆ドルが消えたのではない』
『では、何だ』
『最初から存在しなかった料金所が消えた』
AI株だけを殺せ
数時間後。
フィンクは、ジュネーブ郊外の実験施設へ入った。
観客はすでにいなかった。
13台の中古パソコンだけが、静かに動いていた。
オドロ13は、家庭用コンセントの前に立っていた。
フィンクが尋ねた。
『AIバブルは終わったのか』
『終わったのは、バブルではない』
『何が終わった』
『知能に料金所を作る商売だ』
『巨大モデルは不要になるのか』
『必要だ』
『巨大データセンターも』
『必要だ』
『それなのに、なぜ株価が下がった』
『必要であることと、独占できることは別だ』
フィンクは、動き続ける中古パソコンを見た。
『君は、AI企業を破壊した』
『価格を価値へ近づけただけだ』
『株価を30%落とした』
『市場が値上がりを産業と呼ぶなら、値下がりは破壊になる』
オドロ13は、壁のコンセントから1本のケーブルを抜いた。
中古パソコンの1台が停止した。
残りの12台が、処理を引き継いだ。
『知能は、希少ではなくなる』
『では、価値もなくなるのか』
『水は安い』
オドロ13は答えた。
『だから、価値がないのか』
フィンクは何も言えなかった。
『AIは、株価が下がったことで初めて産業になった』
『それまでは何だった』
オドロ13は、黒いスーツのポケットへケーブルをしまった。
『物語だ』
その瞬間。
スイスの蓄電施設へ、新しい送電予約が入った。
CLIENT 004:世界最大の半導体企業
依頼内容。
〖誰もGPUを必要としなくなった世界で、GPUを売ってほしい〗
フィンクが顔を上げた。
『受けるのか』
オドロ13の姿は、すでに消えていた。
テーブルの上のスマートフォンから、声だけが聞こえた。
『もう来ている』
第3話・完。
次回予告
第4話『GPUを売るな』
知能が安くなれば、GPUは売れなくなる。
GPUが売れなければ、AI革命は止まる。
だが、世界最大の半導体企業がオドロ13へ依頼したのは、GPUをもっと売ることではなかった。
GPUを1枚も売らずに、半導体企業の売上を倍増させること。
報酬は前払い。
一驚き、100GWh。
※本作はフィクションです。実在する人物、企業、組織、AI技術および市場動向を題材とした風刺表現を含みますが、作中の発言、会話、依頼、実験結果、数値および出来事は創作です。

