孫正義は『フィジカルAI』の何を間違っているのか?
――ロボットがロボットを作るのは『世界初』なのか
文・武智倫太郎(情報工学者・FA/ロボット制御エンジニア)
私のnoteの年間閲覧数は、およそ100万PVである。
この数字を多いと捉えるか、少ないと捉えるかは微妙なところだが、365日で割れば一日平均約2,740PVにすぎない。私の記事が一日で2万PVを超えることは、めったにない。
ところが、アクセス解析を眺めると、不思議な現象が起きている。
閲覧数上位の記事を見ると、トップ5はすべて孫正義関係であり、6位から10位までは松尾豊またはソフトバンクグループ関係の記事が占めている。
AI倫理、Scope 3、国際エネルギー政策などについて書いた記事も、それなりには読まれる。しかし、孫正義を題材にすると、数字の桁が変わる。
アクセス解析は、書き手の自尊心に配慮してくれない。
どうやら読者は、私が何を考えているのかよりも、孫正義が何を考えているのかに興味があるらしい。
なかでも『孫正義はどこでAIの基礎を間違えたのか?』は、『人類の叡智の1万倍』や『IQ10,000』といった、単位も測定方法も存在しない数字を、情報工学の基本に立ち返って検証した記事である。
今回は、その続編として、孫正義のフィジカルAI論を検証する。
アクセス解析に逆らっても仕方がない。目標は10万PVである。
先に結論を述べておく。
孫正義は、フィジカルAIが巨大市場になるという方向性を間違えているわけではない。
問題は、ロボットをAIと同一視し、ソフトウェアの進化速度をハードウェアへ投影し、物理世界に固有の時間、摩耗、故障、安全性、部品供給、現場調整といった面倒な要素を、すべて『AI』という言葉の中へ押し込めていることにある。
孫正義は『AIがAIを量産する』と語った
2026年6月24日、ソフトバンクグループの株主総会で、孫正義は、すでに自社の工場でフィジカルAIロボットがロボットの量産を始めていると明らかにした。
孫の表現を借りれば、『AIがAIの量産を開始しています』ということであり、『おそらく世界で初めて』だという。
ただし、株主総会では、工場名、製造しているロボットの種類、担当工程、自律化の範囲、作業成功率、人間の介入頻度などは示されなかった。孫自身も、正式発表前の情報であり、近く詳細を公表すると述べるにとどまっている。
ここには、最初の言葉の飛躍がある。
ロボットがロボットを作ることと、AIがAIを量産することは同じではない。
AIを搭載したロボットが、別のロボットの部品を搬送したり、ネジを締めたり、検査を行ったりすることはある。しかし、それはAIモデルそのものを製造しているわけではない。
AIは学習され、複製され、計算機上へ配置される。
ロボットは、部品を加工し、組み立て、配線し、校正し、検査して製造される。
両者は密接に結びついているが、同義語ではない。
『ロボットがロボットを作る』と聞けば、自己増殖する機械文明が始まったかのように感じられる。
ロボットが次のロボットを作り、そのロボットがさらに次のロボットを作る。やがて工場そのものが指数関数的に増殖し、その先には、孫が株主総会で掲げた16年後のNAVの時価純資産1,000兆円まで見えてくる。
実に孫正義的な物語である。
しかし、技術者が最初に確認したくなるのは、その物語の壮大さではない。
そのロボットは、製造工程のどこを担当しているのか。
部品を運んでいるのか。ネジを締めているのか。外観検査をしているのか。それとも、部品の認識、工程設計、組立、校正、品質判定、異常時の復旧まで、人間の指示を受けずに行っているのか。
この違いを示さないまま『AIがAIを量産している』と呼ぶのは、工場自動化を文明論に言い換えただけになりかねない。
では、Pepperは何だったのか
ここで、素朴だが避けて通れない疑問が生じる。
Pepperは、フィジカルAIではなかったのか。
ソフトバンクは現在、フィジカルAIを、ロボットのセンサーやカメラから得た情報をAIが解析・判断し、その結果に基づいてロボットが物理的に動く技術と説明している。
この定義に従えば、Pepperも広い意味ではフィジカルAIである。
Pepperは2014年の登場時点から、音声を認識し、人間の表情や声の調子を分析し、周囲の状況に応じて会話や身ぶりで反応するロボットとして紹介されていた。
現在のPepper+は、生成AIや映像分析技術を組み込み、『人の心をつかんで、動かすAIエージェント』として販売されている。
それにもかかわらず、ABBのロボティクス事業を買収する段階になって、フィジカルAIをソフトバンクの『次のフロンティア』と呼ぶのは、いささか奇妙である。
ソフトバンクは、フィジカルAIへ初めて進出するのではない。
すでにPepperによって進出し、世界規模で展開しながら、それをソフトバンクの中核産業へ育てることができなかったのである。
Pepperが示したのは、AIに身体を与えれば、それだけで有用なロボットになるわけではないという現実だった。
会話ができることと、工場で部品を組み立てられることは違う。
人の顔を認識できることと、不定形の物体を壊さずにつかむことも違う。
感情らしきものを推定できることと、24時間故障せず、継続的に経済価値を生み出すことも違う。
Pepperは、フィジカルAIではなかったのではない。
むしろPepperこそ、AIを搭載した身体を作るだけではロボット産業は成立しないという事実を、ソフトバンク自身が十年以上前に示したロボットなのである。
フィジカルAIはChatGPTに手足を付けたものではない
そもそも、フィジカルAIとは何なのか。
NVIDIAは、フィジカルAIを、物理世界を認識し、推論し、行動するシステムとして説明している。その対象には、ロボット、カメラ、自律機械、スマート空間などが含まれる。
一方、孫正義は、フィジカルAIを『超知性を身につけたロボット』と表現している。
この二つは、似ているようでかなり違う。
前者は工学上の広い概念であり、後者は孫正義が描く未来像である。
孫の説明を聞いていると、ASIという極めて賢い頭脳が完成し、それをロボットの身体へ搭載すれば、Physical ASIが誕生するように思えてくる。
しかし、ロボットはChatGPTに手足を付けたものではない。
ロボットの能力は、カメラ、LiDAR、力覚センサー、モーター、減速機、エンコーダー、関節、制御周期、通信遅延、剛性、摩擦、重量配分、電源、発熱、耐久性、保守性などを含む、システム全体によって決まる。
AIが『このネジを締めるべきだ』と判断できても、それだけではネジは締まらない。
ネジの位置と角度を測り、工具を正確に合わせ、適切な押付力を保ち、指定されたトルクに達した時点で停止する制御が必要になる。ネジ穴がわずかにずれていれば、部品やネジ山を壊さないよう、動作を修正しなければならない。
AIが担当する認識、推論、計画は、ロボット制御系の上位に位置する。
その下では、サーボ制御、安全回路、位置制御、速度制御、力制御が、ミリ秒単位で機体を動かしている。
上位のAIがどれほど賢くなっても、下位の制御系が不安定なら、ロボットは正確には動かない。
ASIという金色のシールを貼っても、減速機のバックラッシュは消えないのである。
トークンは複製できるが、サーボモーターは複製できない
孫正義が投資家として成し遂げてきた大きな成功の多くは、通信、インターネット、プラットフォーム、ソフトウェアに関係している。
ソフトウェアは、一度完成すれば、ほぼ同じものを短時間で大量に複製できる。利用者が1万人から100万人になったからといって、プログラムを100倍書き直す必要はない。
AIサービスにも、GPU、電力、データセンターなどの物理的コストはかかる。それでも、学習済みモデルやソフトウェアを複製することと、機械を一台ずつ製造することには本質的な違いがある。
トークンはコピペできる。
ところが、サーボモーターはコピペできない。
ロボットを一台増やすたびに、モーター、減速機、ベアリング、センサー、ケーブル、半導体、バッテリー、筐体、冷却機構などが必要になる。
部品を調達し、加工し、組み立て、配線し、校正し、検査し、輸送し、設置し、保守しなければならない。
人型ロボットを開発するFigureも、成熟したサプライチェーンが存在しないことを大きな障害として挙げている。同社は、アクチュエーター、モーター、センサー、バッテリーパックなど、ロボットの主要部分を自社で設計している。
量産に向けては、製造工程を作るだけでは足りない。高温試験装置、アクチュエーター試験機、故障解析装置などを整備し、加速寿命試験を繰り返す専門チームまで必要になる。
AIモデルの性能が短期間に向上することはあっても、翌朝までにモーターの寿命が2倍になったり、減速機の摩耗が半分になったり、工場の生産能力が10倍になったりするわけではない。
資本は工場を建てられる。
研究者や技術者を集め、試験設備を増やし、開発を加速することもできる。
しかし、資本を投入しても、耐久試験に必要な時間まで消滅することはない。
ロボットの学習データはインターネットに落ちていない
生成AIが急速に発展した理由の一つは、人類がインターネット上に膨大な文章、画像、動画、プログラムを蓄積してきたことにある。
ロボットには、そのような都合のよい学習データが十分には存在しない。
コップをつかむ動作を学習させるには、実際のロボットを用意し、カメラ映像、関節角度、速度、把持位置、接触力、成功と失敗の結果などを記録する必要がある。
ロボットがコップを落とせば、誰かが拾って元の位置へ戻さなければならない。部品を変形させたり、工具を壊したり、設備を停止させたりする失敗も起こる。
シミュレーションや合成データによって学習量を増やすことはできるが、摩擦係数、部品のばらつき、センサーのノイズ、ケーブルの引っ掛かり、床面の状態など、現実世界との差は残る。
Google DeepMindなどが構築したOpen X-Embodimentは、100万件を超える実ロボットの軌道データを収録した大規模データセットである。
しかし、それだけのデータを構築するために、21の研究機関が協力し、22種類のロボットからデータを集めなければならなかった。
これは研究成果としては画期的だが、別の見方をすれば、ロボットデータがどれほど集めにくく、機種ごとに分断されているかを示している。
同じ『物をつかむ』という行為でも、腕の長さ、関節数、カメラ位置、指の形、可搬重量、モーター出力が違えば、制御データをそのまま移植できるとは限らない。
文章を読んで得た知識と、物体に触れながら身につける制御能力は別物である。
百科事典をすべて暗記した人に溶接トーチを渡しても、翌日から自動車工場の溶接工程を任せられるわけではない。
『ロボットがロボットを作る』は本当に世界初なのか
孫正義は、『AIがAIを量産する』のは『おそらく世界で初めて』だと語った。
しかし、ロボットを使ってロボットやその部品を製造する工場は、すでに存在している。
FANUCの工場では、ロボット部品の加工、部品の取り出し、組立、試験、梱包などが高度に自動化されている。
ABBも2022年に上海でロボット工場を稼働させており、AIを活用したロボットがネジ締めなどを行い、次世代のロボットを製造していると公表している。ABB自身が、この工場を『ロボットがロボットを作る』工場と表現してきた。
したがって、少なくとも『ロボットがロボットの部品を作り、ロボット工場を自動化する』という意味では、世界初ではない。
もちろん、ソフトバンクグループの工場が、従来とは異なる高度な自律性を実現している可能性はある。
しかし、それを判断するには、従来の産業用ロボットと何が違うのかを明らかにする必要がある。
事前にプログラムされた動作を繰り返しているのか。
カメラやセンサーで状況を判断し、動作を変更しているのか。
自然言語による指示から、自ら作業工程を組み立てられるのか。
未知の部品や故障に直面した際、自律的に作業手順を変更できるのか。
一台のロボットが学んだ内容を、異なる機種や別の工場へ移転できるのか。
技術的な評価に必要なのは、『世界初』という形容詞ではない。
必要なのは、自律化率、稼働率、サイクルタイム、歩留まり、故障率、人間介入率などの数字である。
何をもって『世界初』とするのかが定義されていない以上、その主張を検証することも、反証することもできない。
詳細が公表されるまでは、『AIがAIを量産』という言葉を技術上の結論ではなく、株主総会向けの見出しとして受け取るべきだろう。
ボストン・ダイナミクスを売り、ABBを買う
孫正義のフィジカルAI戦略を考えるうえで、ボストン・ダイナミクスを無視することはできない。
ソフトバンクグループは2018年2月にボストン・ダイナミクスを取得したが、2021年には支配株式を現代自動車グループへ売却した。
取引時の企業価値は11億ドルであり、現代自動車グループ側が約80%、ソフトバンク側が約20%を保有する構成となった。
その後、ソフトバンクグループは2025年10月、ABBのロボティクス事業を53億7,500万ドル、約8,187億円で取得する契約を発表した。買収完了は2026年半ばから後半に予定されている。
ボストン・ダイナミクスとABBでは、技術も市場も異なる。
前者は二足・四足の移動ロボットや高度な運動制御に強く、後者は産業用ロボット、協働ロボット、自律搬送車、制御装置、システムインテグレーション、世界規模の販売・保守網を持つ。
したがって、『安く売って高く買い戻した』という単純な話ではない。
それでも、ここには孫正義の投資家としての弱点が表れている。
ロボット産業には、研究開発から量産、導入、保守へ至るまでの長い成熟期間がある。何年も利益が出ないなかで、ハードウェア、部品供給網、生産技術、顧客現場のデータ、保守体制を積み上げなければならない。
投資ファンドから見れば、資本効率が悪く見える期間である。
しかし、製造業にとっては、その泥臭い期間こそが参入障壁になる。
現代自動車はロボット会社ではなく、ロボット産業を作っている
現代自動車グループは、ボストン・ダイナミクスを単体の研究会社として扱っていない。
自動車工場、部品会社、物流会社、製造データ、量産技術、保守サービスを、一つのロボット産業のバリューチェーンへ組み込もうとしている。
2026年に発表した計画では、Atlasを自社の製造環境で訓練し、2028年から部品の順序配列などの作業へ投入し、2030年以降に部品組立へ展開するとしている。
また、2028年までに年間3万台のロボットを生産できる体制を整える計画も掲げている。
注目すべきは、その時間軸である。
2026年に訓練を進め、2028年に限定的な作業へ投入し、2030年以降に組立工程へ広げる。
少なくとも、その計画は『来年には人間を全面的に置き換える』という時間軸ではない。
現代自動車グループが理解しているのは、フィジカルAIとはAIモデルを購入することではなく、部品、工場、生産技術、教育、検証、物流、保守まで含む産業を作ることだという点である。
ソフトバンクグループがABB買収後に問われるのも、同じことである。
ABBを次の値上がり資産として保有するのか。
それとも、10年、20年単位でロボット産業を育てる製造業の経営者になれるのか。
工場から一歩出れば、AIの失敗は事故になる
フィジカルAIの導入が最初に進むのは、工場や倉庫のような管理された環境である。
床は平らで、照明も一定にできる。物品の位置や大きさを標準化し、人間が立ち入る区域を制限することもできる。
家庭、病院、介護施設、公道では事情が異なる。
床には物が落ち、子どもが飛び出し、患者が予想外の動きをする。通信が切れ、センサーが汚れ、利用者は設計者が想定しなかった使い方をする。
産業用ロボットの安全規格であるISO 10218-1およびISO 10218-2は、ロボット本体だけでなく、ロボットセルの設計、統合、試運転、運用、保守、廃止までを安全設計の対象としている。
同時に、これらの規格は、医療、介護、一般消費者向けサービスロボットなどを適用範囲から除外している。工場の外へ出れば、それぞれの用途に応じた別の安全設計、法規制、責任分担が必要になる。
チャットAIが幻覚を起こせば、間違った文章を訂正すれば済むことが多い。
ロボットが物体の位置、重量、人間との距離を誤認した場合、訂正されるのは文章ではない。
壊れた製品、停止した生産設備、けがをした人間、あるいは労災報告書である。
孫正義が正しく見ているもの
ここまで批判してきたが、孫正義がフィジカルAIの方向性そのものを間違えているわけではない。
AIが物理世界で働く範囲は、今後さらに広がるだろう。工場、物流、建設、農業、医療などで巨大な市場が生まれる可能性も高い。
ソフトバンクグループが掲げる、AIモデル、AIチップ、AIインフラ、フィジカルAIという四つの領域にも、戦略上の整合性はある。
OpenAI、Arm、データセンター、ABBの技術や資産を組み合わせようとする発想は理解できる。ABBの買収も、産業用ロボットの技術、顧客、製造拠点、保守網を一度に獲得するという意味では合理的である。
ソフトバンクグループの経営陣も、現実をまったく理解していないわけではない。
2026年2月の決算説明では、フィジカルAIはいまだ初期段階にあり、AIとロボティクスの統合には一定の時間が必要になる可能性があると説明している。
したがって、問題はソフトバンクグループ全体がロボット工学を知らないことではない。
孫正義が株主や投資家へ語る物語のなかで、AIの進化速度が前面に押し出され、製造業に固有の時間軸や制約が見えにくくなっていることにある。
孫は四つの領域を『オセロの四隅』に例える。重要な四隅を押さえれば、最後には盤面の石が一気にひっくり返るという発想である。
しかし、工場はオセロ盤ではない。
四隅を取っても、中央にあるボルトが勝手に締まることはない。
OpenAIのモデル、Armの半導体、AIデータセンター、ABBのロボットを所有しても、それだけで一つのフィジカルAIシステムが完成するわけではない。
リアルタイム制御、安全認証、システムインテグレーション、顧客工程の理解、部品供給網、現場保守、失敗データの収集を、実際の工場で一つずつつなぐ必要がある。
孫正義は『フィジカル』の部分を見えなくしている
孫正義は、フィジカルAIの重要性を見抜いた点では正しい。
しかし、その説明では『AI』という言葉が大きくなりすぎている。
AIが高度化すれば、ロボットも同じ速度で高度化する。
AIモデルを複製すれば、ロボットも指数関数的に増える。
ロボットがロボットを作れば、工場は自己増殖を始める。
そのような未来像は、株主や投資家を興奮させるには便利である。
だが、物理世界には、質量、摩擦、摩耗、熱、振動、故障、製造時間が存在する。
資本の力で開発を加速することはできる。
工場を建て、研究者を雇い、企業を買収し、試験台数を増やすこともできる。
しかし、物理法則を買収することはできない。
孫正義は、フィジカルAIの存在を見落としていたのではない。
Pepperによって、一度は『フィジカルの難しさ』に触れている。
それでもなお、その困難をAIの進歩によって一気に乗り越えられるかのように語っている。ここに、孫正義のフィジカルAI論における最大の誤りがある。
『フィジカル』という、最も手間がかかり、最も時間がかかり、最も事故を起こしやすい部分を、『AI』という言葉で見えなくしているのである。
武智倫太郎
