【短篇】煙の向こう
カランコロンと可愛らしく音を奏でるドアベル。
空間を照らすライトは、夜に眩しいくらいの光を届けていた。
テーブルの真ん中にガラスのコップがコトリと置かれる。
「お疲れ様です」
「おつかれ」
どちらともなく手を伸ばし、労いの言葉をかける。
料理が運ばれてきて、
湯気の向こうに、先輩の横顔がぼんやりと滲んだ。
「それ美味しそうだね」
「そっちも美味しそうじゃないですか」
他愛もない会話に、心が踊る。
少し冗談を混ぜて話す彼の顔を見ながら、
私もおどけて返してみせる。
そのたびに、どちらも少しだけ笑って、
目を細める。
沈黙すらも、
なぜだか心地よかった。
食べ終わった皿の上に、
小さな影がふたつ、寄り添うように落ちていた。
「いいよ、払うから」
「あ、ありがとうございます」
会計を終えて外に出ると、
夜風が、店の灯りの残り香をさらっていく。
「おいしかったね」
そう言いながら彼は、ポケットから煙草を取り出す。
口にくわえて、火を近づけると、
ふんわりと煙草の匂いが香ってくる。
ただそれだけの仕草に、視線が外せなくなっていた。
見ているのがバレたらどうしよう、なんてことを思いながら、
呼吸するのも忘れていた。
深く吸い込んで煙を吐き出すと、
白煙が暗がりに広がった。
「また誘う」
「……ぜひ」
どこか狐に化かされたような気持ちで返事をする。
煙草の煙に自分が包まれていくのを、
じんわりと感じた。
「よし、気をつけて帰ってね」
彼の声が、
あたたかくて、少し遠かった。
喉で言葉がひっかかる。
やっとの思いで出た言葉は、
「はい、先輩も」
それだけだった。
私に背を向けて反対のホームへ向かう彼の背中を見た。
上がった手は空を掴んで、だらりと落ちた。
――
夜風と煙の匂い。
届かない距離の中にあった、
ほんの一瞬のやわらかさを描きました。
――
