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大人になるって、自分をなくすことじゃない

「みんな違ってみんないい」
そう学んできたはずなのに、社会に出た途端、
「普通」や「常識」という目に見えない圧に押しつぶされそうになる。
そんな違和感を抱えながら、それでも毎日を生きているあなたへ。

私は、かつて我慢を覚えることが大人になることだと教えられました。
でも本当にそうなのか?と何度も心の中で問い続けてきました。

このnoteでは、
私自身が社会に出てぶつかった価値観の壁、
「個性=非常識」と見なされた悔しさ、
そしてそれでも自分を諦めなかった道のりを、正直に綴ります。


「大人になるって、我慢すること」って誰が決めた?

私は高校を卒業してすぐ、大手企業の事務職に就職しました。
周囲の大人たちは「ええとこに決まったな」「安定してて親も安心やな」と喜んでくれました。

でも、私の胸の中は、どこかもやもやしていた。
入社してすぐに感じたのは、「自分を出したら浮く」という空気でした。

上司や先輩たちは、
「若いんやから、まずは3年我慢しやなあかん」
「若いねんから・・・」
口癖のようにそう言ってきました。

18歳という年齢で社会に出た私は、「若い」というだけで、何でも我慢しないといけない。たとえそれが誤った価値観や理不尽でも、「若いんやから学びなさい」と、暗黙のルールのように押し付けられている感覚がありました。

もちろん、礼儀や社会のルールを学ぶのは大切だと思っていました。
でもそれが、「自分の意見を飲み込むこと」や「理不尽を受け入れること」になっていたのなら、それは本当に成長なのかと、心のどこかで疑問を持っていました。

言いたいことを言えば、「若いのに生意気やな」と返される。
気を遣って静かにしていれば、「やる気あるんか?」と見られる。
まるで、自分を出せば出すほど、組織の中で浮いてしまうような感覚でした。

私はずっと思っていました。

「大人になるって、こんなにしんどいことなん?」

「自分の感覚や気持ちを押し殺して、合わせ続けることが社会に馴染むってことなん?」

周囲は、「そういうもんや」と笑って流すけれど、
私は、そのそういうもんにどうしても納得できなかったんです。

今思えば、あの時の私は、
「我慢すること」より、「自分を大切にすること」を学びたかったんだと思います。
でも、それを口にすることすら許されない空気が、確かにそこにはありました。


「3年は我慢」の呪いが解けなかった

私は入社して3か月ほどで、「このまま続けていけるのか」と不安を感じ始めました。
職場の空気、理不尽な指示、やりがいのなさ。どれも「なんか違う」と思いながら、でも口には出せませんでした。

「辞めたい」と思ったのは、一度や二度じゃなかった。
思い切って、直属の上司に相談したこともあります。

「もう、辞めたいです」

と伝えた私に返ってきたのは、

「3年は頑張り」
「石の上にも3年」
「最初はみんなそうやって苦労するもんや」

と聞いたことのある言葉ばかりでした。

私は辞めたいという自分の気持ちを「甘え」や「弱さ」だと思い込んで、
なんとか耐えて、気づけば3年が経っていました。

でも、3年働いたって、気持ちは変わりませんでした。
「やっぱり、私はここで自分を活かせてない」って、ずっと感じたままでした。

それでも、すぐに動けたわけじゃない。
挫折する自分を認めたくなくて、次の一歩が踏み出せなくて。
結局、転職もせずに、11年もその会社に勤めてしまったんです。

誰かが作った「こうすべき」に縛られたまま、自分の声にフタをし続けていた。
今思えば、その時間は、「自分と向き合うことを避けた11年」でもあったと思っています。


「自分らしさ」に気づき始めた瞬間

ずっと、誰かの期待に応えるように生きてきた。
怒られないように、浮かないように、正解を探してきた。
でも、社会の中で息苦しさを感じ続けていたふと立ち止まるときもあった。
けど、深くは考えずにその時が過ぎ去っていた

「そもそも、自分ってなにがしたいんやろう」

子どもの頃から、自分の気持ちや好みを素直に出すことにどこかためらいがあった。
スカートが苦手だったし、短髪の方がしっくりきた。
だけど、「それは変わってる」「女の子なんやから」と言われるたびに、
「私は変なんやろか」と、自分の感覚すら信じられなくなっていた。

社会でも同じだった。
目立たないように、違和感を口にせず、空気を読みながら毎日を過ごした。
でも心の奥では、ずっと“何かが違う”と感じていた。

そんな私が「これでいい」と思えるようになったのは、
自分の感覚を否定せずに受け止めてくれる人たちに出会ったからでした。

パートナーと出会い、自分らしくいられる空間を少しずつ手に入れていった。
そして子どもと過ごす日々の中で、「ママ」でも「パパ」でもない、
自分という存在を自然と呼んでくれる息子の言葉に救われた。

「あいみ」
その呼び方に、私はしっくりきた

他人の期待や社会の「べき論」から少しずつ距離を取り、
本当の自分に近づいていくこと。
それが“自分らしさ”を取り戻す、最初の一歩だったのだと思います。


「みんな違っていい」が通じない場所で

私が社会に出た頃、今ほど「多様性」なんて言葉は広まっていなかった。
昔ながらの常識があちこちに残っていて、先輩や上司に従うのが当たり前とされていました。
それが大人としての常識だと信じて疑わない人が多かった。

でも今の子どもたちは、小学校の頃から「人それぞれ」「多様性」について学んでいます。
「みんな違ってみんないい」がスタンダードになりつつある時代。

そんな子たちが、社会に出た瞬間、昔ながらの価値観に押しつぶされそうになる。
「今どきの若者は…」という決めつけ。
「昔はもっと厳しかった」「今は甘すぎる」という押しつけ。
違いを受け入れるどころか、「お前もこっち側に染まれ」と言わんばかりの空気。

それって、どこかおかしくない?
せっかく違っていいと学んできたのに、
社会に出たら「みんながこうしてるから」「出る杭は打たれる」
そのギャップに、私はずっと違和感を抱いてきた。

大人は「正しいことを教えれば、若者は変わる」と思っているかもしれない。
でも本当に人が変わるのは、その問題が自分ごとになったときです。

誰かの苦しみに触れたとき、
自分の子どもが悩んだとき、
身近な人の生きづらさを目の当たりにしたとき
ようやくそのときに、大人たちは自分の価値観を問い直す。

だから私は、自分の経験をこうして言葉にしています。
「我慢することが大人になること」じゃない。
「違っていていい」は、社会の中でも、ちゃんと認められるべきことなんだと。
あのときの私が、心の中で「おかしい」と思ったことを、
今の私が代わりに言葉にしていきたいと思っています。


言葉にしない勇気、言葉にできる日を待つこと

私はまだ、親に自分のすべてを話せていません。

ある日、パートナーを連れて実家に帰り、母とご飯に行ったときのこと。 母は笑いながら、「あんたら彼氏彼女みたいやなぁ」「今よく言うLGBTってやつやな」と話をふってくれました。

あのときの母なりのやさしさだったと思う。私が言いやすいように、あえて前振りをしてくれたんだと。 パートナーは、私がその場でなにかを言い出すのを待ってくれていた。 でも、私は……笑ってごまかした。

私は、親の前ではあまり自分のことを話しません。 なにを言っても、どこか「理解されないだろうな」という壁を感じてしまうからです。

子どもが私のことを「あいみ」と呼ぶことにも、父は違和感を覚えていたようでした。 「なんでママって呼ばせへんのや」と言われ、子どもにも「ママやろ」と言い直させられたこともありました。

でも、そんな父が、歳を重ねて丸くなったのか、ある日ふと、子どもに向かって自然に「あいみは?」と話しかけているのを見て、私は驚きました。

その一言が、静かに、でもたしかに私の心を救ってくれた。

私は今も、言葉にできていないことを抱えています。 でも、それは逃げているわけじゃない。無理に伝えることがすべてではないと思っているからです。

誰かに話せないままの気持ちがあってもいい。
言葉にしないことも、自分を守る一つの手段。

そして、いつか、言葉にしたいと心から思えるときがくるかもしれない。 その日まで、自分を責めずに生きていこう。

このnoteが、どこかで誰かのまだ言えない気持ちに寄り添えたら嬉しいです。


あなたの「まだ言えない気持ち」に、そっと寄り添いたい。

「誰にも話せないままの思いがある」
「でも、少しだけ誰かに聞いてほしい」
そんな気持ちを抱えたとき、
そっと立ち寄れる場所があれば

『With AIMI』は、そんな場所でありたいと思っています。

性のこと、恋のこと、家族のこと。
「うまく言葉にできないけど……」という思いでも、大丈夫です。

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あいみ

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