誰かにトラウマを残すコミュニケーション
この数日、コミュニケーションについてよく考えている。
それで、「怒る」とか「叱る」についてアンテナが立っている。私はこのコミュニケーションがどうも心から嫌いらしい。
私の意見としては、「相手のためだ」と思っていたとしても、「怒る」や「叱る」は安易に使ってはいけないのだと思う。特に感情のこもった「怒る」のほうは。
よみがえる嫌な気持ち
会社員時代、上司から真面目なトーンで声をかけられることが心の底から嫌だった。
私は何かをしでかしたのだろうか。何か悪いことをしちゃったかな。
だいたいの心配は杞憂だったのだけど、低いトーンで声をかけられる度に内心はめちゃくちゃビクビクしていた。
これがなぜ起きていたのかといえば、私のなかで不要なアラートが上がっていたのだと思う。
子どもの頃に家族や学校の先生から叱られた記憶と上司のふるまいが勝手に脳内でつながって、これはマズいとアラートが鳴る。
9割は外れていたとしても、また同じ状況になったらアラートが鳴る。
このアラートを取り下げるには、「もう大丈夫、いまの私には必要ないよ」と自分に言い続けるしかないのだと思う。
誰かを変えたい気持ち
だけど1割くらい、本当に嫌な状況が起きることがある。誰かにとって悪いことをしてしまって、叱られたり怒られたりすることがある。
私もマネジメントをしていた頃は、叱らなければいけないことがたくさんあった。クライアントを守るため、会社の方針に則ってもらうため、理由はいろいろあった。
これは私は、「(誰か)のため」という大義名分のもとでやっていた。正しいことだと思って叱っていた。
でも、「誰かを叱る」ことがまったくなくなったいま、あれは本当に正しかったのだろうかと思う。コーチングを知ったからこそ、なおさらに。
もっと他のコミュニケーションは取れなかっただろうか。そして何より、あれは本当に相手のためを思った「叱る」だったのか。
目の前の誰かを私の都合で「変えたい」と思う感情を乗せた、「怒る」ではなかっただろうか。
誰かにトラウマを残すコミュニケーション
(相手のことを思って)「叱る」と、(感情に任せて)「怒る」は、なかなか使い分けられないものなのだと思う。
そしてどちらにしても、安易に使うべきではないものだと思う。
なぜかといえば、私はやっぱりこのコミュニケーションにトラウマがある。すごく嫌な気持ちが心に残るし、数日間はこのことを考えてしまう。
このコミュニケーションを使うときは、相手を自分の思い通りに変えたい時なのだと思う。
ずっと「誰かのためにやっている」と私自身も思っていたけど、結局はやっぱり自分のため。
それで、この感情を受け取ったほうに嫌な感情が残ってしまうなら、私はこれをもう使いたくない。
最近、友人が友人に怒っているコミュニケーションを見てしまって、言葉にならない考えがぐるぐるとしていた。
何が起きているのかうまく言葉にできなかったけど、私のなかにあった「怒る」「叱る」にまつわる気持ちが渦まいていたのだと思った。
他人を思い通りに変えようとしなくていいんだよ、他の方法があるんだよと、友人には伝えたい。
お互いの思っていることをただ交換できたり、相手の状態を理解できたりする方法として、コーチングが浸透するといいなと思う。
こんなコミュニケーションを見続けるのは、正直ちょっとしんどい。これは私の義憤なのかもしれない。
この義憤をそっと横に置いて、また私にできることをやっていきたいと思う。
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