”そばにいない”それは記憶の整理である
こんにちは。
何度壊れても自分を再構築してしまう人、あいもです。
今週末は、2歳10ヶ月で亡くなったチワワちゃんの四十九日。
愛犬は亡くなっても”そばにいた”
しかし、もうチワワちゃんは私の”そばにいない”
今は、新しい生活が定着してきたの。
“そばにいた”チワワちゃん亡くなる5分前
チワワちゃんは、夜の病院で、いつもの先生の元で、心肺停止となりました。
私は自宅にいたけど、心肺停止の連絡がくる5分前に、不思議な感覚を味わったんです。
チワワちゃんを先生に託して帰宅する時、
”チワワちゃんは大丈夫”
と確信を持っていた。
しかし、その6時間後。
”チワワちゃんに、もう会えない?”
と急に焦燥感にかられました。
その5分後、先生から、心肺停止の連絡が来ました。
頑張ったよって最後に会いに来てくれたのかな。
それとも、心配で見にきてたのかな。
あの時、チワワちゃんは私の”そばにいた”
“そばにいる”とは記憶があること
“そばにいる”ってなんだろう?
それは、
”記憶を保持している”状態
だと思う。
記憶は、個人の脳の神経ネットワーク。
そこに組み込まれていれば、想起される。
それを”そばにいる”というのではないかな。
しかし、記憶はそのうち色褪せる。
あんな日々があったなーって思い出に変わっていく。
想起と思い出って違う。
“そばにいない”とは記憶が整理されること
“そばにいる”は、”記憶を保持している”状態。
じゃあ、”そばにいない”はどんな状態?
人間は、脳という器官を通して世の中を認識している。
脳の神経にコネクトされている限り、いつでも個人の認識内にその子がいる。
亡くなって物理的な消滅をした後も、
脳に記憶がある限りは、”そばにいる”。
けど、そのうち”そばにいない”タイミングがくる。
風景を見ても、想起しない。
思い出となる。
これは、記憶が処理されたことを意味する。
その時が、”そばにいない”になるタイミングなんじゃないかな。
インスタ成果。チワワちゃんは”そばにいない”
チワワちゃんはもう、私の”そばにいない”
すでに記憶が整理され、思い出となった。
だいぶ早く整理が進んだけど、これはインスタの成果だと思う。
私は、ティーカップちゃんとの新しい日々をインスタにポストし続けているため、記憶の整理や日常の上書きがスムーズに進んだのだと思う。
チワワちゃんとティーカップちゃんの2匹と過ごした日々。
それがインスタによって、
ティーカップちゃん1匹との新しい日々にスムーズに塗り替えられたんだ。
”そばにいなくて大丈夫”。だからもう、”そばにいない”
私はもう、新しい日々を歩み始めた。
犬嫌いで、お散歩に行かないのが当たり前だったチワワちゃんとの日々が、
人懐こくて、お散歩に行くのが当たり前のティーカップちゃんとの日々に塗り変わっている。
食欲旺盛なチワワちゃんと、好き嫌いが激しいティーカップちゃん。
ご飯をあげるのが一苦労な日々に塗り変わっている。
他にも、
私のマインドや、家具の配置、家族の会話など、様々なものが新しく塗り変わった。
チワワちゃんと共に過ごした日々は、かけがえがない思い出の日々となった。
すごく手がかかる子で、だからこそ唯一無二で、すごく可愛かったな。
今は、日常が、アップデートされ、新しい日々が回り始めている。
これが、”そばにいない”なんだろな。
ここでやっと、チワワちゃんも”そばにいなくて大丈夫”となり、安心してお空に行けるんだろな。
忘れる記憶に争わない
脳が保持できるメモリーには限界がある。
今を生きる私たちは、未来に向けてメモリーしていかないといけない。
整理され、思い出となる過去がある。
そして、新しく始まる日々がある。
忘れゆくのは悪いことではなく、新しい人生の始まりなんだ。
あなたが”そばにいる”のが当たり前だった。
あの時、
確かにあなたは”そばにいた”
そして今、
あなたは”そばにいない”
そう。
それは成長したからだね。
ちょっぴりの寂しさと、ノスタルジーとともに、また新しい日々を歩んでいくね。
あいも
