名前って大事みたい
ウチのうさぎさんはオスである。
名前は「しんのすけ」
あの日、ピーター(ラビット)みたいで可愛い!と言ったら
え、ピーター?池畑慎之介?
というピーター違いから、しんのすけと命名された。
ラブリーとビューティーを兼ね備えた良い命名であると自負している。
現在池畑慎之介名義で活躍しており、ピーターという芸名は若い方には通じない場合も出てきたのであしからず。

ところが、世の親バカよろしく
私は彼を「しんちゃん」と呼んでいる。
よそでもうちの子自慢をするとき
「しんちゃんが、しんちゃんの」と話すので
私の周りでは「しんちゃん」の方が定着しているし私自身も彼の本名?を呼ぶことは減った。
それでも優しい家族や友人は我が家に遊びに来たりして彼と対峙するたびに
「しんちゃーん!……しんちゃんって、しんたろうだっけ?しんのすけだっけ?」と本名?を確認してくれる。
名前って不思議だなぁと思った。
人間の中で本名とニックネームは別の大切さがあるのだろう。どちらにも重きを置く人の心の思慮深さが優しいと思った。

そんな私は昔、猫を飼っていた。
チャコという名前で、母がサザンの「チャコの海岸物語」からとった素晴らしい名前だ。
私はもっぱら「ちゃーたん・ちゃたん・北谷歯科」と3段活用で呼んでいた。全部の名前に反応する頭の良い子だった。
ただ、どうしても猫に来て欲しいとき
猫を呼ぶときに「ちちちっ」と舌で音を出して呼んだり歯笛で呼ぶことも多かった。
名前で呼ぶ時よりこっちの呼び方の方が甘ったるい優しい呼び方だったと思う。
母親がお使いなどお願いの際に「あーちゃん」と呼ぶ時と、叱る説教する前の「あーーの!」という呼び方の差異と近いものが、あるようなないような。

この癖がなかなか抜けなくて、
野菜を切ってるときにこの野菜はうさぎも食べれるなと思って端切れを献上しようとうさぎさんを呼ぶときに
つい「ちちちっ」とやってしまう。
結果、ウチのうさぎさんは自分の名前を「ちちちっ」だと思っている節がある。
または、普段の「しんちゃん」より「ちちちっ」の方が良いことがあると思ってるかもしれない。
まるでまだ言語がない時代、思いを音に乗せ表現を作り上げてきた原始のコミュニケーションのような。
そして以降も歴史のまにまに
風の音、葉の擦れる音、水の音が成す自然から
感情をかき立て言の葉や歌を紡いだ営みの積み重ねが美しいなと思った。
ブラッシングと爪切りがしたくて、でも何かを察してその長い耳がありながらも聞こえないふりをする背中に
「しんちゃんしんちゃん!ちちちっ!」と呼びながら
ふと、そんな事を思った雨の日だった。

ザーザーザーという音とともに繰り広げる諍いは妙にコミカルだった。
ちなみに、私の名前は近所のおばさんから名前を拝借したと伝え聞いております。そして、親戚だと思ったら親戚じゃなかったと知ったのは私が成人してからだった。
「私たち親戚じゃないわよ」事実を知った母の驚いた顔とご近所のあーちゃんの申し訳なさげな顔が忘れられません。
最近は「シンタウロス」と呼ぶことも増えた
