青空【Keikoの小さな話 #014】
私が小学生の頃、日曜日にお天気が良ければ、両親は必ず近くの山にハイキングに連れて行ってくれました。
昭和30年代当時、私たちは西宮に住んでいました。
ハイキングのためには、まず阪急電車に乗って「夙川」という駅で甲陽線に乗り換え、北の山手に向かい、終点「甲陽園」駅まで行きます。
駅から少し歩くと、鬱蒼とした林があり、土の山道や、さらさらと流れる小川がありました。
それらを抜けると、緑を見渡せる高台に着きます。
そこでお弁当を食べるのです。
お弁当といっても、今のように色とりどりのおかずが入ってるわけでもなく、海苔で巻いた三角おにぎりと、春ならりんご、秋なら梨か柿をお弁当箱に詰め込み、別に私の大好きな鮭の缶詰を持って行っておりました。
今は高級住宅地として有名な甲陽園ですが、当時は美しい自然に囲まれた土地でした。
そんな中に、素敵なお家がぽつぽつと散らばって建っていて、それを見るのも私の楽しみでした。
「いつか私も、あんな家に住むわ!」と心に決めたものですが、ついぞ願いは叶えられませんでした。
一番のお気に入りだったのは、芝生の庭に建つ白いお屋敷でした。
随所に真っ赤なバラが植えてあり、それらは芝生の緑に素晴らしく映えていました。
その美しさは、今でも忘れることはできません。
さて、私が小学校3年生くらいの頃の話です。
あるお天気の良い日曜日に、両親と6歳下の妹と私の4人で、いつものように甲陽園にハイキングに出掛けました。
ハイキングといっても、道に立て札があるわけでも整備してあるわけでなく、ただそこにある土道を歩くだけです。
その日、私と妹は、いつも通り両親のあとをついて進んでおりました。
土道の両側には葉っぱが茂っており、私は道の左側を一生懸命歩いていました。
ほんの一瞬、ふらっと身体が傾いた際に、左足で支えようと一歩を踏み出すと、そこには道はなく、私の体はふわりと宙に浮きました。
しばらく意識がなく、次にハッと目覚めると、石がゴロゴロと転がっている小さな小さな川の横に、全身を打ち付けられて横たわっていたのです。
何か違和感を覚えて頭の後ろを触ってみると、手のひらにベッタリと血がつきました。
どうやら、歩いていた道を踏み外して、2メートルくらいの高さから、ちょろちょろと流れる小川の近くに落ちたようでした。
倒れたまま、じいっと目を凝らして見上げると、重なって茂る木の葉っぱの隙間から、真っ青な空が見えました。
緊迫した状況とは不似合いの、ゆったりした時間に思えました。
青い青い空でした。
やがて、母が私の名前を呼ぶ声が聞こえ、父が私を助けようと、崖を降りようとしていました。
それからしばらくの間のことは覚えていません。
再び気がつくと、私は頭に包帯をぐるぐる巻かれて、立派なお部屋のベッドに横たえられておりました。
当時は、お家の一部を診療所にされているお医者様も多かったので、日曜日でも診てくださったのだと思います。
レントゲンを撮るわけでもなく、「この様子なら大丈夫でしょう」とお医者さんに言われて、みんなでほっとしたという、何とも呑気な時代でした。
その後、何の問題もなかったのは幸いでした。
70年近く経った今でも、後頭部を指で探ってみると、ぷっくりと膨れた小さな傷跡があります。
それに触れると、夢の中の出来事のような思い出が、現実として甦るのです。
今の甲陽園には、林も土道も、私の憧れた薔薇と芝生が美しいお庭や、そこに建つ真っ白なお屋敷もありません。
でもきっと、晴れた日には、あの時と同じ青い青い空が広がっているのだと思います。

