始まりはプレピー。万年筆沼に落ちた男の記録
それは「プレピー」という名の万年筆だった。
値段はわずか数百円。万年筆という、どこか格式高い貴族的な響きとは裏腹に、それはプラスチック製の軸に身を包んだ、駄菓子屋の軒先に並んでいてもおかしくないような佇まいをしていた。
「まあ、この値段なら失敗しても痛くないか」
文房具好きの端くれとして、一度は万年筆なるものに触れておかねばなるまい。そんな軽い気持ちで手を出したプラチナ万年筆の「プレピー」。
正直、見た目は事務用のサインペンと大差ない。だが、帰宅してキャップを外し、紙の上でペン先を走らせた瞬間、僕の指先を走ったのは「衝撃」だった。
インクが紙に吸い込まれていく感触。カリカリと耳に心地よい、微かな摩擦音。それはキーボードを叩く乾いた音とも、ボールペンの無機質な滑りとも全く違う、生命の拍動のような何かを伝えてきたのだ。
「……これは、すごいぞ」
気がつけば、用もないのにノートを開き、「あいうえお」とか「寿」「永」、はては自分の名前まで、何度も何度も書きなぐっていた。インクが乾くにつれて微妙に変化していく色のグラデーション。そのすべてが、僕の脳内のドーパミンを溢れ出させていく。
その姿は、初めてシャーペンを持った小学生、あるいは書き初めを練習する熱血少年のようであったかもしれない。そして、その時にはもう、僕の心は「沼」の淵に立っていた。
一度沼に足を踏み入れると、出口は見えなくなる。
万年筆の世界には、インクという名のさらなる深淵が待ち構えていた。万年筆のインクというのは、乾くにつれて色が微妙に変化していく。その「ゆらぎ」がたまらなく愛おしい。
特にパイロットが出している「色彩雫(いろしずく)」シリーズがいけない。名前がとにかくズルいのだ。「月夜」「山葡萄」「冬将軍」「竹炭」……。どうだろう、この名前を聞くだけで、なんだか自分が文豪にでもなったような錯覚に陥らないだろうか(僕だけではないはずだ)。
インクを詰め替える作業も、また格別だ。
万年筆には大きく分けて二つの給入方式がある。手軽な「カートリッジ」と、ボトルからインクを吸い上げるための「コンバーター」だ。
カートリッジは、いわば現代の利便性の象徴。パチンと差し込めばすぐに書ける。対してコンバーターは、インク瓶にペン先をドボンと浸し、つまみを回してインクを吸い上げる。手間はかかるし、指先はだいたい青黒く汚れる。だが、その「汚れた指先」こそが、趣味人の勲章のように思えてくるから不思議なものだ。
インクの次は、当然のように「紙」が気になり出す。「万年筆には、トモエリバーの滑らかさが合うのではないか」「いや、ツバメノートのクラシックな書き味も捨てがたい」。気がつけば、そうやってノートも吟味し始め、夜な夜な万年筆愛好家のサイトを徘徊するようになってしまった。
僕は自分の変貌ぶりに呆れた。キーボードを叩けば一瞬で終わるはずのメモを、わざわざ「書き味」にこだわって時間をかけて綴る。これぞ、大人の贅沢という名の、壮大なる遠回りである。
プレピーという入門編で満足していた僕に、さらなる「沼」にハマる出来事が起きた。
ある日、見覚えのある名前が書かれた小包が届いた。開けてみると、丁寧に梱包された細長い箱の中に、小さな便箋が一枚添えてあった。几帳面な字で、こう書かれていた。「大変お世話になりありがとうございました」というお礼状。お仕事でご一緒させていただいた方からの贈り物だ。
箱を開けると、黄金に輝く14金のペン先を持つ、「PILOT カスタム74」という本格的な万年筆だった。
これがまた、いけない。プレピーが軽快なスニーカーだとしたら、これは仕立ての良い革靴のようなものだ。紙に触れた瞬間のしなり、インクのフロー。もはや筆記用具というより、精緻な楽器のようだ。
こうなるともう、止まらない。僕はついに、聖地・銀座の「伊東屋」へと足を踏み入れることにした。

ひときわ高級なコーナーに鎮座する、モンブランやペリカンの万年筆たち。一文字書くためだけに数万円、下手をすれば十万円を超えるような筆記具が、ショーケースの中で静かに冷たい光を湛えている。
(ここは、カフスボタンが似合う紳士が来るところではないか?)
およそ「余裕のある大人」とは程遠い格好の僕は、ショーケースの中に鎮座するモンブランやペリカンの姿に気圧された。キャップに刻まれた「ホワイトスター」が、僕の身分不相応さを笑っているような気さえした。今すぐにでも逃げ出したくなる僕。
しかし、おずおずと声をかけた店員さんは、驚くほど親切だった。「まずは試してみてください」と、何本もの万年筆を並べてくれる。ペン先の太さ、重さ、重心のバランス。僕の書き方の癖を見ながら、微妙な調整の提案までしてくれる。
それは、時計のオーバーホールや、職人にスーツを仕立ててもらう時の感覚に似ていた。
「万年筆は、使う人と共に育っていく道具ですから」
その言葉に、僕は深く頷いた。
結局その日、伊東屋で手にしたのはコンバーターと、名前に一目惚れした「月夜」というボトルインクだった。深い夜を閉じ込めたような、青と黒のあいだをゆれる色だ。
そもそも万年筆の歴史は、インク漏れに悩んだ保険外交員ウォーターマンが、毛細管現象を利用した仕組みを考案したことに始まるという。失敗を克服するために生まれた道具が、今や効率の対極にある「優雅」の象徴となっているのは、実に面白い話ではないか。
それにしても、iPadや高性能なキーボードの利便性を知り尽くした僕が、なぜ今これほどまでに「書く」という物理的な抵抗感にこだわっているのだろう。
僕が万年筆を握るのは、そこに「物理的な抵抗感」があるからではないだろうか。ペン先が紙を削るわずかな抵抗。それが、空回りしがちな僕の思考を、現実の世界へと繋ぎ止めてくれる「錨(いかり)」の役割を果たしているような気がする。
指先に伝わる微かな振動を通じて、ようやく僕は「自分の言葉」と向き合える。デジタルという摩擦のない世界では滑り落ちてしまう大切な何かが、この青いインクの筋の中にだけ、留まってくれるような気がしてならないのだ。
溢れ出した思考が、ペン先を通じて液体となり、紙の繊維に染み込んでいく。その「わずかな時間」こそが、情報に溺れがちな僕の心を、深い場所へと沈めてくれるのかもしれない。
帰宅した僕は、さっそく「月夜」を吸入した。上手く入れられず、指先が驚くほどインクに染まってしまう。でも、それがいい。部屋に漂う、微かなインクの匂い。
用もないのにノートを月夜の色で埋め尽くし、インクの乾くのをじっと待つ。そんな贅沢な「遠回り」ができるようになったのは、僕が少しだけ歳を重ねた証拠なのかもしれない。
インクが乾いていく。気づけば、部屋はいつの間にか暗くなっていた。
染まったままの指先を、しばらく眺める。ふと、あの小包に添えてあった几帳面な字が脳裏をよぎった。「お世話になりました」——あの人は今頃、どこかで何かを書いているだろうか。
次はどのインクを試そうか。
沼は、まだ底が見えない。
相生エッセイ
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