18の夜
じつは最近、ひそかに不安なことがある。
どうも耳が遠くなっているんでは? と。
いや、笑い事じゃない。本当に深刻なのだ。
発端は、ある夜のことだ。
いつものようにリビングでテレビをつけ、ニュース番組を眺めていた。画面の中のキャスターが、真面目な顔をして何かを語りかけている。口はパクパク動いている。確かに何かを喋っている。ただ、キャスターの声がやけに遠い。
まるで、水の中に潜って地上で話す人の声を聞いているかのよう。聞こえてはいるのだ。だが、何を言っているのかサッパリ聞き取れない。
うちのテレビの場合、僕の中での適正音量は「10」である。それが基準値だ。10あれば、ニュースもドラマもくっきりと鼓膜に届いていた。それが僕とテレビの長年の暗黙の了解だった。
ところが、その日は10ではどうにも聞こえづらい。
僕はリモコンを手に取り、「+」ボタンをポチポチと押す。
11、12、13。
まだ聞こえない。キャスターの表情がえらく真剣だ。なにか大事なこと言ってるんじゃないか?
さらにボタンを押し込む。
14、15。
何か言っているのはわかるのに、内容が聞き取れない。あれ、僕の聞き取り能力に何か異常があるのか?
焦りながら連打する。
16、17、18。
「……ということで、今夜はうな丼ですね」
なんだ、土用の丑の日の話をしてたのか。
いや、うな丼はどうでもいい。問題はそこじゃない。
聞き取ることはできるけど、音量を上げないと聞こえなくなっているのだ。
急に不安が押し寄せてきた。
画面の端で赤々と光る『音量18』という数字。
……じゅ、18?
ガーン。嘘でしょ。思わず画面を二度見した。
ちょっと前まで10で十分だったのに!それが今では18である。数字だけ見れば、耳の中で働いている音担当の小人たちが、半分くらい早期退職した計算になる。
「え? 僕、耳遠くなってる?」
いやいや、待て待て。僕はまだ五十代半ばだぞ。耳が悪くなるには少し早いんじゃないか。とはいえ、五十代になるとこういう疑問には妙な説得力がある。
慌ててネットで検索すると、「加齢性難聴」「イヤホン難聴」という文字が次々と現れる。検索結果というのは不思議なもので、こちらの不安にぴったり寄り添った答えを出してくれる。「それだ!」と、勝手に納得してしまう。
落ち着け。すぐに自分を疑うのは僕の悪い癖だ。ここはひとつ、機械のせいにしてみよう。
真っ先に疑ったのは、テレビの経年劣化である。しかし、まだ購入して五年。そんなに早くヘタるものだろうか。
とりあえず僕はテレビの裏に回り込み、スピーカーの穴の埃をクイックルワイパーでちゃちゃっと拭いたり、エアダスターで吹き飛ばしてみたりした。
「こんなアナログな掃除で直るわけがないだろ」と自分でツッコミを入れつつ、「フラッグシップのくせに!」と心の中で毒づく。
そう、我が家のリビングに鎮座するのは、パナソニックのビエラJX950というやつで、当時のフラッグシップモデルだ。音が良いということで購入したのだ。
購入当時に、妻のトラ子さんとやり取りしたことが蘇ってくる。
仕事部屋で使っているテレビが裏側にスピーカーがあって声がくぐもって聞こえるのが不満だったから、とにかく新しくテレビを買うなら音の良い機種にしたかった。
そこでトラ子さんが薦めてきたのが、JX950だった。彼女は「この機種は音が良いらしい」という情報を宝物のように握りしめて一歩も譲らなかった。
僕としては、あと10インチ小さいのでいいし、なんならサウンドバースピーカーを後付けすればいいじゃないかと、家電量販店のテレビコーナーで巨大な画面を見上げながらそう主張した。
しかし、珍しくトラ子さんが粘ったのだ。「外部機器には頼りたくない。掃除が面倒になるし、配線がごちゃごちゃするのはイヤ」と一蹴。「このJX950がいいの」と、絶対に譲らなかった。
結局、トラ子さんの熱意に負けてJX950を我が家に迎えることになった。
それからの日々は最高だった。音も良いし映りも良い。毎日の晩酌のサスペンスドラマも大画面で大いに楽しんできた。
なのになぜ、今は聞こえないのだ。埃のせいじゃないとすれば、やっぱり僕の耳に原因があるのだろうか。
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
……心当たりは、大いにあった。
僕は仕事中ずっと、つまりほぼ一日中、イヤホンを耳に突っ込んでいる。在宅ワーカーなので外している時間の方が少ない。
それで難聴になったんじゃないか?
そんなふうに耳をふさぐ生活をしてきたのだから、そりゃ耳も拗ねる。長年の過酷な労働環境に、耳の中の小人がついにストライキを起こしたのかもしれない。
いかん。このままでは本当に聞こえなくなってしまう。大好きなサスペンスドラマの犯人が追い詰められた時の、あの緊迫した台詞が聞こえなくなるなんて困るのだ。
これからの人生のためにも、耳を大切に保護する意味で、耳をふさがないイヤホンを導入した方がいいのではないか。いや、そうすべきだ。
レビューサイトをあちこち見て回るが、音の聞こえ方は人それぞれだから、あまりアテにならない。誰かの「良い音」が僕の「良い音」であるとは限らないのだ。
そんな中、僕の耳を唯一納得させてくれたのがBOSEだった。だから今回も、BOSE一択。俺たちのBOSE。
これは無駄遣いじゃない。健康投資なのだ!
ピンチをチャンス(物欲)に変える、僕の華麗な脳内変換。物欲はいつも、健康だの効率だのといった正義の旗を振りながら近づいてくる。またもや見事に「ガジェット欲しいぞ物欲モード」が発動してしまった。
もう脳内では何度もBOSEのイヤホンをカートに入れては出し、入れては出しを繰り返しつつ、そんな風に悩んでいたある晩。
晩酌をしながら、トラ子さんと一緒に映画を観ていると、低音の響きがいつもよりすごいことに気づいた。ズウゥゥーン、ドゥゥゥウーーンと、まるで映画館のような地鳴りめいた響きが出る。
おお、うちのテレビ凄いな。やるじゃないかビエラ。
というか、低音はこんなにハッキリ聞こえるのか? 僕の耳、まだいけるんじゃないか? 耳の小人たち、高音担当はストライキ中だけど、重低音担当はまだ元気に働いているのか?
不思議に思って、テレビの設定画面を開いてみた。そこには見慣れない文字が光っていた。
『音声モード:映画』
……ん?
我が家のテレビは、買った日からずっと、セリフが聞き取りやすい「クリアボイス」に設定されていたはずだが。
「あ、変えたよー、映画見てたから」
トラ子さんが、枝豆をつまみながら何でもない顔で言った。
「……え?」
「この間、映画見た時にね。変えたの」
映画が終わり、いつものように録画してあるサスペンスドラマを再生する。
僕は無言でリモコンを操作し、音声モードをそっと「クリアボイス」に戻した。
そして、音量を「10」に下げる。
「……犯人は、この中にいる!」
見事にハッキリと聞こえるサスペンスドラマの犯人の声。外部機器に頼らなくても、10でちゃんと聞こえるじゃないか。
「なんだよ、もう……」
僕はホッとして、小さく息を吐いた。
スピーカーの劣化でも、僕の老化でもなく、ただの設定変更だったのか。大事件だと思って一人で大パニックになっていた僕の数日間はなんだったのか。思い込みというやつは、だいたい自分の中で勝手に育つ。
耳の小人たちは、まだちゃんと働いていた。ただ、映画館のような重低音の中で、人の声を探すのに苦労していただけだったのだ。
隣では、僕が一人でパニックになっていたことなど知る由もないトラ子さんが、「やっぱりこのテレビ、いい音だねえ」と満足そうに言う。
彼女には映画の音が要る。僕には人の声が要る。同じ画面を見て同じ音を浴びていても、聞きたい音は違っていたんだなぁ。耳が遠くなったわけじゃなかった。ただ、設定が違っていただけだった。
もっとも、イヤホン難聴そのものは冗談ではないらしい。今回は濡れ衣だったが、一日中耳をふさいでいるのは事実なので、これからは気を付けていかないといけない。
そんなわけで、健康投資という名の「BOSEを買うための完璧な言い訳」は、音量10のクリアな音声とともに消え去った。
……のだが、物欲というのは、本当にしぶとい。
きっと今も、どこかで次の「健康診断」を待っている。
相生エッセイ
▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。
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