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レンガ三個分。随分と遠くまで来たものだ

うちから歩いて数分ほどのところに、気になる家がある。

気になる、といっても、決して怪しい意味ではない。むしろその逆だ。その家の玄関脇にある幅二十センチほどの小さなレンガ造りの植え込みが、実に見事なのだ。通りかかるたびについ足を緩めてしまう。

猫が一匹座ったらもう満員御礼、というくらい細長いスペースなのだが、そこに季節ごとに、住人の遊び心がちょこんと顔を出している。

秋にはどんぐりと小さなかかし。冬になればミニチュアのそりとトナカイ。そして今の季節は、小さなこいのぼりが三匹、レンガの上で春風を受けてひらひらと泳いでいた。

それがなんとも愛らしく、下校途中のランドセルを背負った小学生たちが、二、三人かがみこんで「あ、こっちのほうが大きい!」「金太郎乗ってる!」などと大騒ぎしている。その光景があまりに平和で、微笑ましくて、僕の足取りもつい緩んでしまうのである。

ある夜、夕食の後にその話を妻のトラ子さんにしてみた。

「あのさ、僕もあれ、やってみたいなあと思って」

僕の控えめな提案に、トラ子さんはいつもの「現実主義者」としての眉をひそめた。

「……気持ちはわかるけどさ、子供が集まるとうるさいかもしれないよ? 良い子ばかりじゃないし、置物を投げられたり、土を掘り返されたり。ああいう善意の場所って、維持するのが大変なんだから」

確かに、彼女の言うことは一理ある。
世の中は、善意だけで回っているわけではない。せっかく飾った置物が翌朝には無残な姿になっていたら……そう想像すると、小心者の僕の心は簡単に曇ってしまう。「そうだよねぇ」と力なく笑い、その話はそこで終わった……はずだった。

けれど、あのレンガの上で泳ぐこいのぼりを見てしまったら。子供たちが夢中になって何かを語り合っている、あのキラキラした背中を見てしまったら。

胸の奥にしまっていたレンガの記憶が、ふいに息を吹き返した。


レンガ。
思い出したのは、二十代の頃のことだ。

当時の僕は、運送会社で配達員をしていた。若くて、お金がなくて、将来というものが深い靄の中に隠れていた頃だ。

ある高台の高級住宅街を配達していたとき、ひときわ立派な邸宅が目に飛び込んできた。門柱も塀もどっしりとした重厚なレンガ造りで、手入れの行き届いた庭木が何本も顔を出している。

その時、ふと、計算してしまったのだ。

(今の僕の全財産では、この家のレンガ、三つ分くらいしか買えないんじゃないか……)

惨めだったわけではない。ただ、その圧倒的な格差が、あまりにも具体的でリアルだったのだ。

その邸宅が醸し出す「富」の差。積み上げられたレンガの一つひとつに、誰かの時間と、努力と、そして確かな「気持ち」が詰まっている。

僕の人生は、まだレンガを一つ積むことさえできていない。そんな焦燥感が、春の坂道で僕の足を重くしたのを覚えている。

そんな経験があるからだろうか。
僕はものに対して「大切にしたい」というより、大切に「思いたい」という感覚を持つようになった。

長く使い込んだ革の財布や、踵の減った靴。もう読み返すことも少なくなった文庫本。それらが我が家にやってきた時、僕は密かに「よく来てくれたね」と声をかけることにしている。「うちを選んでくれてありがとう」という、どこか擬人化したような感謝の念だ。

あのレンガの家の前で圧倒的な格差を感じた二十代の自分から、この感覚はずっと地続きで繋がっているような気がしてならない。

レンガの植え込みのイラスト
誰かの心を癒せたら嬉しい

それから数週間が経ったある週末のこと。
トラ子さんが「ホームセンターへ行きたい」と言うので、車を出した。

彼女が真っ直ぐに向かったのは園芸コーナーのレンガ売り場だった。

「……レンガ、何に使うの?」
「植え込み。作ろうかと思って」

彼女は、覚えていてくれたのだ。僕の青臭い願望を、彼女なりの合理的なやり方で実現しようとしてくれていたのだ。

「でも、うるさくなるかもって心配してなかった?」
「まあ、私のやり方なら大丈夫でしょ」

そこからのトラ子さんの手際は、まさに「職人」だった。本物の植え込みを作るのではなく、四角いプラ鉢をいくつか並べ、その周りをレンガで囲むという工法。一見すると堅牢なレンガの植え込みだが、実はいつでも撤去や移動ができる「可動式」なのだ。

「これなら、掃除も楽だし、何かあってもすぐに撤去できるでしょ」

さらに彼女は、木枠まで自作して見た目を整え、そこにトラ子さんお得意の季節の花を植え、仕上げに、どこで見つけてきたのか、猫とカエルの小さな置物を置いた。僕の理想より、ずっと素敵で、ずっと「賢い」植え込みが玄関先に誕生した。


ある日の午前中。
家で仕事をしていると、窓の外から「わあ、猫ちゃんがいる!」「カエルさんも、お花見てるよ!」という幼い声が聞こえてきた。

そっと覗いてみると、近所の幼稚園児たちが先生と一緒に、うちの植え込みの前でしゃがみ込んでいる。小さな指でカエルを指差し、花の匂いを嗅いでいるその背中を見ていると、胸の奥がじんわりと熱くなった。

これだ。僕が見たかったのは、この風景だ。

あの子たちは、きっと大きくなっても、この角を曲がったところにあった「猫ちゃんのいるお花のおうち」のことを、心の隅っこに置いておいてくれるかもしれない。

家というものは、住んでいる人間が思っている以上に、そこを通る人たちの記憶の風景になっている。できるなら、その記憶は、やさしいものであってほしい。

あの邸宅のレンガには到底及ばないが、この小さなレンガの囲いが、誰かにとっての「穏やかな一コマ」になればいいなと思う。それが、僕がこの街に対してできる、ささやかな恩返しのような気がするのである。

先日は、散歩中の老夫婦に「お花の写真撮らせてください」と声をかけられた。トラ子さんは照れくさそうに笑いながら、立ち話をしていた。そんな些細なやり取りだけで、この世界は少しだけ呼吸しやすくなる。

三十年前、高台の邸宅を見上げて「レンガ三つ分」の自分を数えていた僕は、まさか将来、自分が猫とカエルの置物を飾って、幼稚園児の声に目を細めるような感慨を持つ日が来るとは思っていなかっただろう。

随分と遠いところまで来たものだな、と思う。

レンガの数は多くないけれど、積み上げた月日の重みだけは、あの頃の僕に見せてやりたい気がするのだ。

台所からは、トラ子さんが昼飯の支度をするトントンという軽快な音が聞こえてきた。今日の献立は何だろう。

僕は窓を閉め、幸せな匂いが漂い始めた台所へと向かった。

 
 
相生エッセイ
 
 


このエッセイで、ふたつのコングラボードをいただきました🎉

「我が家のDIY」でコングラボードをいただきました!
4月14日「我が家のDIY」でコングラボードをいただきました!
4月14日「おうち時間を工夫で楽しく」でコングラボードをいただきました!

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