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1世紀を生きる「空白」と、あきらめないファイター【老老介護ズタボロ日記 #7】

先が見えない……。このまま父の介護を続けていいものか、考え込むことが多くなった。

2年前、腰を痛めたのがきっかけで、父は要介護2になり、食も細くなって寝たきりに。垂れ流しの毎日が続いた。

それが今年に入ってあれよあれよという間に回復し、いまや自力で庭を歩けるまでに戻ったのだ。

要介護2から1になったのはいいけれど、私は手放しには喜べない。知り合いの介護士に聞くと「軽くなるケースは稀だけど、ままある話ですよ」と言う。

はたから見れば、「お父さん、本当によかったね、元気になって!」ということになるのだろうが、介護をする側にしてみれば、余計なお世話だ。嬉しくもなんともない。

寝たきりになるかどうかの瀬戸際にいるわけで、どうにも中途半端だ。「だったら、どっちかにしろ!」と心の中で毒づきたくなるが、いつまた状態が悪化するとも限らない。

ハラハラ・ドキドキの毎日が続くことには変わりないのだ。

デイケアには「おら、もう行かねえ!」と駄々を連発し、そのたびに本人の意思を尊重して5〜6か所は変えてきた。

最初のうちは
「今度の施設は介護士が優しいんだ」
などと言っているのだが、下の根も乾かぬうちに
「あそこの飯はまずい」
「婆さんに言い寄っているスケベな爺がいる」
と御託を並べ始め、ひとつの施設に1か月といたためしがない。

そのたびに契約を結び直すことになるが、施設の方に「すみません、父がもう行かないと言い張りまして……」と頭を下げるのも、さすがに嫌気がさした。

このまま二人三脚がエンドレスで続いて、気がついた時には私の人生は終わっているのだろうか。私の方が先に逝ってしまう可能性も捨てきれない。

もしそうなったら、そうなっただ。あとは野となれ山となれ、何とかなるだろう。でも、妻や子供たちには迷惑をかけられない。父はすっかり賞味期限も消費期限も過ぎているというのに。

父は今年の秋には94歳になる。じわじわと100歳の大台がにじり寄ってきた。なんと1世紀も生きる勘定だ。江戸時代なら化け物扱いだろう。

佐藤愛子さんの著書『九十歳。何がめでたい』(小学館)を読み、映画も観たが、まったく同感である。

それが100歳だと?
「おい、100歳まで生きるつもりか?」
と、本人を問い詰めてみたことがある。
「それがどうした。悪かったな」
そう不機嫌そうに返されるのが関の山だった。

いつの頃からか「人生100年」ともてはやされるようになったが、いったいどこがめでたいのか。その年齢まで足腰が立ち、身の回りのことも自分でこなして「ピンピンコロリ」で逝ける人など、めったにいないだろう。

私の好きな言葉に、第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンの

「あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ」

がある。

これをへそ曲がりに曲解すれば、私はもはや、ここまで生きた父の死に関心はないし、それまでの生きざまにも興味はない。

唯一、ここで「転んだこと」を介護状態だとすれば、そこから父がどう立ち上がったかに関心がある……と言ってしまえば、これは嘘になる。

なぜなら、仮に一時的に立ち直ったように見えても、介護を必要とする前の身体に戻るわけではないからだ。

あとは坂道を転がり落ちるように、死に向かって突き進むだけ。そしてこのことは、むろん父に限った話ではない。私自身にも当てはまるのだ。

この「人生の時間」について、私の無二の友人であるブルース(アメリカの俳優ブルース・ウィリスに似ていることから、夜の店ではそう呼ばれていた)が、YouTubeで見かけてメモしていたという面白い計算式を教えてくれた。

彼いわく、人が23歳から65歳までの42年間、年間250日、毎日8時間必死に働いたとしても、生涯労働時間はトータルで「8万4000時間」にしかならない。

それに対して、65歳で定年を迎えてから85歳までの20年間、1日の自由時間を12時間とすると、その合計は「8万7600時間」に達する。

つまり、リタイアした後の「第二の人生」の時間のほうが、現役で軍隊のように働いてきた時間よりも長いのだ。

私たちは、生き抜くために、家族を養うために、必ずしもやりたいわけではない仕事を仕方がなく続けてきた側面がある。

だからといって、年金生活に入ればそこで人生の物語がめでたく終わるわけではない。そこからまた、膨大な時間を埋めるための新たなルーティンが始まってしまうのだ。

そのレールに敷かれたような「安定」は、果たして本当に人に幸福をもたらすのだろうか。

父は、還暦になり定年を迎えると同時に仕事をきっぱりと辞め、その後は年金のみの生活に入った。

私が家を建てるときにポンと100万円を出してくれたことがあったが、気前が良かったのは後にも先にもそれが最後で、その100万円も、新築にかかる税金であっという間に消えていった。

父が仕事を辞めてから、すでに33年余りが経つ。これは先ほどのブルースの計算を引くまでもなく、父が現役で働いていた年数に、あと一歩で届きそうなほどの長い歳月だ。

父はこの間、いったい何をやってきたのだろう。毎日、朝昼晩と飯を食らい、ぶらぶらと庭を歩き回り、今と同じようにいたずらを繰り返し、放言をしてきた――。

健康体であろうが、介護に頼らざるを得ない状態になろうが、本人の本質は何ら変わらないのである。

私がなぜリンカーンの言葉を好むのかといえば、人間には失敗がつきものだからだ。

人の真価が問われるのは失敗そのものではなく、そこから「どうやって立ち直ったか」にある。

また同じ失敗を繰り返すこともあるだろう。それでも、打たれても打たれても、たとえダウンを余儀なくされても、何度でも立ち上がる不屈のファイターのような生き方を私は愛する。

現に私もこの歳になってなお、己の足で立ち上がろうともがいている真っ最中だ。

漫画『SLAM DUNK』に「あきらめたら そこで試合終了ですよ」という有名なセリフがあるが、仕事も人生も、諦めた瞬間に本当に終わるのだと思う。

父は中卒だから、定年までよく愚直に、サラリーマン人生をまっとうしたと思う。会社らしい会社に組織人として属したことのない私から見れば、「たいしたもんだ」と素直にリスペクトする部分もある。

ただ、それ以降の30数年、父には趣味もなく、温泉に行くでもなく、誰かと飲みに出かけるでもなかった。

外出するとすれば親戚の葬式か法事くらい。そして、その時とばかりにいっぱしの評論家を気取り、 「世間ってのはなぁ……」 などと、母に向かって偉そうに持論を展開していた姿を、私は今もよく覚えている。

生まれてからずっと、「世間の眼」を気にかけて生きてきたのかもしれない。

次回は、もっと早くこの本に出会えていたら、今の老老介護の毎日が少しは変わっていたかもしれない『人生の「第2幕」のはじめ方』について触れてみたい。(#8に続く)

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