93歳の父をスクワットで鍛え上げたら 【老老介護ズタボロ日記】#1
某月某日
私(といっても、すでに69歳なのだけれど)はカウンターキッチンの中に立ち、御年93歳になる要介護1の父の朝ご飯をつくっている。
メニューはトースト2枚、バナナ1本、ヨーグルト。物価高の今、1斤98円の食パンを軽くあぶり、安価なマーガリンとジャムを薄く塗るのが朝のルーティンだ。
だが、この甘い「報酬」ができあがるまでの間、私は父にある試練を課している。
「カウンター手つきスクワット、10回を3セット」。これを毎日、朝昼晩の食事前にやらせることにしている。
「スクワット、やれよ! ちゃんとやんねぇと、メシ食わせねぇからな」
「……、よいしょっと」
私の容赦ない声に、父は渋々ながらも動き出す。
よく「筋肉は裏切らない」と言うけれど、実際、筋トレに年齢は関係ない。適切な負荷をかけ続ければ、90歳を超えても筋肉は確実に成長する。
かつては申し訳程度にひざを折るだけだった父も、最近では腰を深く落とし、みごとなフォームを見せるようになった。
一時は寝たきり状態で「もはや、これまで」と観念したのだが、スクワットを始めてから3か月後には、壁に手を突きながらも自分の足でふんばって畳から立ち上がれるようになった。
なんと、今では部屋の中をしっかりと「自走」できるのだ。
人間、頭が少々ボケかかっても、「自分は歩けるんだ!」と身体が理解すれば、目の前に“にんじん”をぶら下げられた状態ではあるけれど、生きる姿勢がちょっとは前向きになるのかもしれない。
学生時代にウエイトリフティング部だった私から見れば、老父の指導など朝飯前だ。
コツは両足を広げて背筋を伸ばし、ゆっくり腰を下ろすこと。お尻を床につけると「ヤンキー座り」になって脱力してしまうため、太ももの力を意識させながら上下させる。
どうやら「メシのために動く」という野生の生存ルールは、老いすらも凌駕するようである。
それにしても、キッチンに立つ私の目から見れば、スクワットをする父の動きは滑稽そのものだ。
腰を落として頭がカウンターの下に隠れたかと思うと、すぐさまひょろっと顔をもたげてくる。
出ては消えて、消えては出る――の繰り返しだ。 頭がヒョイとカウンターから出たとたんに、ピコピコハンマーで叩き落としてやりたい衝動に駆られることがある。
ゲーセンの「もぐら叩き」ならぬ、“オヤジ叩き”をぜひともやってみたい。
モグラの穴はひとつだけで、リズムよく頭が出るから百発百中だ。父はときどきブツブツと文句を垂れるのだけれど、私は心の中でハンマーを構えている。
健康志向の世の中では敵視されがちなマーガリンだが、「ほどほどの不摂生こそが長生きの秘訣」とは、多くの百寿者を調査した医師たちが口にする言葉でもある。
トーストを「やっぱり、うめぇな」と毎朝むさぼり食う父を見ていると、案外、この雑な食生活こそが彼のバイタリティの源ではないかと思えてくる。
スクワットで足腰を鍛え、甘いパンで脳に糖分を送る。これもまた、わが家が行き着いたひとつの健康のカタチなのだ。
今日も私は、文句を言い続ける「かっぱハゲ」を眺めながら、叩きたいのをこらえてせっせとジャムを塗っている。
しかし、この完璧に思えた「スクワット=飯」の調教システムに、ある日、予想だにしない激震が走ることになる。
父のボケが、私のウエイトリフティング仕込みの管理体制をすり抜け、思わぬ「奇行」が再発したのだ。 (#2に続く)
