私が子どもを好きな理由
もし今、教師を続けるか悩んでいる人がいたら、少しだけ私の話を聞いてほしいと思います。
私は小学校の教員でした。
子どもたちと過ごす毎日は忙しく、思い通りにいかないことも多かったけれど、それでも「この仕事が好きだ」と思える瞬間が何度もありました。
その理由はとてもシンプルです。
私は、子どもが「できた!」と笑う瞬間が好きだからです。
昨日までできなかった逆上がりが、ある日突然できるようになる。
何度も失敗していた縄跳びの二重跳びが、次の日にはできてしまう。
そんな瞬間に出会うたび、子どもたちは満面の笑顔で「先生、見て!」と声をかけてきます。
その顔は、自分の力を信じた人の顔です。
私はその瞬間を見るたびに、「人にはこんなにも可能性があるんだ」と感じてきました。
子どもたちは本当に面白い存在です。
恐竜の名前を何十個も覚えている子。
ポケモンの進化を全部説明できる子。
虫の話になると止まらなくなる子。
低学年の子どもたちは、自分の「好き」を全力で生きています。
大人が驚くほどの集中力で、自分の興味のある世界に没頭します。
でも、学年が上がるにつれて、その「好き」が少しずつ埋もれていく瞬間を見ることもありました。
国語や算数のテストの点数。
周りとの比較。
「できる」「できない」という評価。
気がつくと、低学年の頃に自分の世界を語っていた子どもたちが、少しずつ静かになっていくことがあります。
そのたびに私は思います。
本当は、子どもの可能性はそんな簡単に測れるものではないのに、と。
忘れられない出来事があります。
ある日の給食の時間でした。
その学校では「黙々タイム」といって、静かに給食を食べる時間がありました。
子どもたちは話をせずに、黙々と給食を食べます。
そのとき、同じグループで一緒に給食を食べていた女の子が机の上に指で文字を書き始めました。
「先生、いつも勉強を教えてくれてありがとう」
声には出さず、机の上に指で書いた 後に残らない小さな手紙でした。
その子は算数が苦手で、私はいつも「ちゃんと伝わっているのかな」と不安に思いながら授業をしていました。
うまく教えられているのか、自信が持てなかったのです。
でもその日、その子の言葉を見たとき、私は涙をこらえながら給食を食べました。
悲しい涙ではありません。
こんな未熟な自分でも、受け取ってくれる子がいるんだ。
そう思えた、とても温かい瞬間でした。
子どもは、大人が思っている以上に多くのことを感じ取っています。
そして、私たち大人が想像している以上に大きな可能性を持っています。
だからこそ私は、子どもが自分の力を信じられる社会を作りたいと思うようになりました。
「できた」と笑う子どもが増える社会。
自分の「好き」を大切にできる社会。
誰かと比べるのではなく、自分の世界を広げていける社会。
子どもには無限の可能性があります。
それは特別な子どもだけではなく、すべての子どもにあるものだと思っています。
もし今、教師を続けるか悩んでいる人がいたら、私はこう伝えたいです。
子どもが持っている可能性に出会えることは、本当にかけがえのない経験です。
そして同時に、教師という立場だけが、子どもの未来に関わる方法ではありません。
私自身、学校を離れたあとも、子どもの未来について考え続けています。
子どもたちが、自分の力を信じて生きていける社会をつくるために。
その可能性を信じ続ける大人でありたいと思っています。
これからも、私は子どもたちの「できた!」という笑顔を信じていたいと思います。
