東日本大震災から14年、石巻市震災遺構・大川小学校を訪れる

東日本大震災から14年が過ぎた2025年4月17日、宮城県石巻市の震災遺構・大川小学校を初めて訪れた。
2011年3月11日午後3時37分頃、近くの北上川を遡上した大津波が、付近一帯を襲った。津波高は2階建ての校舎を遥かに超える8.6m。
避難中の児童74人、教職員10人が犠牲に。学校管理下で子供が犠牲になった事件・事故で、戦後日本で最悪。
1階天井は津波にのまれ、パネルがほとんど落ちている。
コンクリート内の鉄筋がぶら下がっている。
2階の天井も剥き出しで、津波にのまれた跡が分かる。
大川小学校は海から内陸3.7km。駐車場には、津波警報発令時の避難経路を示す地図がある。
被災状況を示すパネル。堤防を越えた津波と、陸を遡上してきた津波が学校付近で合流した説明がある。
近くの堤防から見た北上川。川幅は広く穏やかで、普段の様子からは津波のイメージは全く湧かない。
校舎とプールをつなぐ渡り廊下。二つの津波が渦を巻き、結果的に海側に倒れた。
コンクリートの柱が折れて途中からねじ曲がっており、津波の凄まじい勢いを示している。
体育館の跡。
大川小学校は震災7年後の2018年3月に閉校となった。
校舎の全景と虹、そして「未来を拓く」と書かれた壁画。
2001年度の卒業制作。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の絵と「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩が遺されている。
賢治の「世界が全体に幸せにならないうちは、個人の幸福はありえない」の言葉が身に沁みる。
雲一つない青空の下、植樹された桜が満開になっていた。奥に見えるのが渡り廊下。
隣接の大川震災伝承館で展示されている教室の時計。津波が到達した15時37分で止まっている。
低学年用と高学年用の一輪車。低学年の子が練習していると、高学年の子が自然と支えてあげていたという。
ハザードマップは「安全マップ」ではありません、と呼びかける展示。当時のマップでは、大川小学校は津波到達の予想区域外だった。南海トラフ地震の近い将来の発生が予測される中、どこに住んでいても決して他人事ではない。
「どうか ここが/みなさんの明日へとつながる/きっかけとなりますように」のメッセージが、胸を締め付ける。シェア歓迎します。

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