呪願の代償 第五章 地獄 1
小学校から帰ってくると、玄関が開け放たれていた。夏生が開けっぱなしにしたのだろうか。急いで家に上がった。
台所にあるドアから自室に入ると、夕季の遺骨が畳に散乱していた。それどころか、夕季と月乃が写っている家族写真も、バラバラにちぎられて畳に散らばっていた。家族写真には元気で優しかった夏生も写っていたが、その部分は判別出来ないくらい細かく破られていた。
涼々は言葉をなくして、畳に散らばった夕季の骨を集め、骨壺に入れていった。泣こうと思ってなかったのに、目から涙がこぼれた。あまりにも細かくちぎられてしまったので、写真を元に戻すのは出来なさそうだった。
綺麗にお骨を骨壺に入れられなくて、ひっくり返った白い木箱の中にもお骨を収めた。
元に戻せない写真を捨てることが出来なくて、同じように木箱に写真の残骸を入れる。
悔しいのか、それとも悲しいのか分からない涙が、ポタポタと畳に落ちていく。
どうしてこんなことするの?
夏生に問いただしたかったが、夏生は答えてくれないだろう。
白い木箱を白い風呂敷で包み、両手で抱えた。
ラムネ瓶は、手つかずで棚の上にあった。
夏生に対して、ふつふつと怒りと憎しみが湧いてくる。
パパが死んだら良かったのに
涼々の心がどす黒く淀むと、それに反応してラムネ瓶も黒く濁っていった。
涼々はラムネ瓶を上着のポケットに押し込んで、両手に木箱を持つと、走って家を出た。
行く当てなどなかったから、無意識に公園に向かっていた。
公園は相変わらず無人で、誰もいない。
と思ったが、ブランコに大人の男の人が座っているのが見えた。
黒尽くめのスーツを着ていたので、優しいおじさんだと思い、涼々は駆け足でブランコに寄っていった。
すぐに足を止める。
おじさんと思った男は、この間、家の裏庭に勝手に入って、おかしな事を話しかけてきた人だった。
涼々は警戒しながら、男を睨みつつ、ドームに向かった。
涼々に気付いた男が、立ち上がって、こっちに早足で近づいてくる。
逃げるように、ドームの穴からするすると涼々は潜り込んで、奥に蹲った。
穴が陰って、男の人が涼々に声を掛けてきた。
「涼々ちゃん、怖いことなんてないから、出てきなよ」
答えるのも嫌で、涼々は顔が陰った男を凝視して、胸に木箱を抱いたまま、じっとしていた。
「最近、公園に来なかったよな」
男が、まるで毎日公園に来ていたようなことを言った。
涼々は黙ったまま、様子を窺っていた。
「出てこいよ。何もしないからさ」
しつこく話しかけてくる男の人に、涼々は恐る恐る話しかけた。
「おじさん、誰?」
ようやく涼々が反応したのが嬉しかったのか、男の人が名乗る。
「久世匠だよ。この近所で除霊師をやってる」
「除霊師」
なんだか怪しげな人だ。お化けをやっつける仕事をしているのか。
「涼々ちゃんは俺の息子、耀と遊んでたよな?」
ひかる
よく知っている名前を言われて、涼々は怪訝な顔つきで匠を見た。
「ひかる君は?」
夏休みが明けてから、ひかるは公園に来なくなっていた。急に来なくなって、涼々はずいぶん寂しい思いをした。
「耀はおまえのせいで死んだよ」
「え?」
いきなり、ひかるの死と身に覚えのない事を告げられて、涼々は動揺した。
「ひかる君、死んじゃったの?」
真っ先にラムネ瓶のことが頭に浮かんだ。ラムネ瓶のせいで何かあったのだろうか。最後に会ったひかるは、とても元気そうに見えたのに。
「でも、ひかる君が死んじゃったのは、私のせいじゃないよ」
「おまえのせいじゃないとかじゃないんだよ。この近所で子供が死んでるのも、おまえがラムネ瓶を使って殺してるからだろう」
涼々は上着のポケットに入れたラムネ瓶に目をやった。夕季が涼々の眼の前で死んだのを最後に、ラムネ瓶を持ち歩くのはやめていた。
何故なら、ラムネ瓶が簡単に人を殺すからだ。涼々の吹き込んだ悪意がラムネ瓶の中で育って人を殺しているのだ。でも、ひかるを殺したというのは言いがかりだし、町内で起こる子供の死は涼々の仕業ではない。
「私じゃないよ。私はもうそんなことしない」
「もう? ほら、やっぱりな。そのラムネ瓶をこっちに寄越せ。二度と悪さが出来ないようにしてやるよ」
「嫌」
涼々は後ずさりして、匠から離れた。
穴は匠には小さくて中に入れないようで、穴の入り口で、まるで夏生のように舌打ちをした。
「それをたたき壊せば、人を殺すことなんか出来なくなる。おまえが殺してないとか言っても、そいつを持っている限り、人を殺すのをやめられないんだろう?」
まるで、涼々が喜んで人を殺しているような言い方だった。涼々は懸命に否定する。
「違う。違うよ」
涼々は匠の怖い声を聞いて身がすくんだ。夏生の怒声を思い出したのだ。今外に出たら殴られるかもしれない。涼々はますます奥へと逃げた。
匠の背後で、声がした。不鮮明な声だった。遠くから徐々に近づいてくる。
匠が先ほどからずっと、涼々に出てこいと手招きしている。
涼々は匠よりも遠くから近づいてくる声を警戒した。なんだか嫌な予感がした。ぎゅっと胸の中の木箱を抱きしめた。
「お姉ちゃん、涼々を助けて」
涼々は木箱に向かって何度も囁いた。
声がとうとう聞こえるところまで来た。しわがれ声が増幅されて二重に聞こえてくる。
『腐ったねぇ』『腐ったねぇ』
もはや、匠と同じくらい大きな声だ。
それなのに、匠はまるで気にしていない。声が全く聞こえていないようだった。
『美味そうだ』『美味そうだ』
声がジュルッとつばを呑む音をさせた。匠が入られないドームの中に入ろうとしているのが、気配で分かった。
どうしよう、逃げられないよ
涼々は恐怖に体を硬直させて、ぎゅっと目をつぶった。
そのとき、不意に右手を握られた。
「嬢ちゃん、逃げるよ」
ドームの中に優しいおじさんが立っていた。左手で涼々の右手を握り締めて立ち上がらせた。
「でもお化けが」
涼々は外に出たくなくて抵抗した。それでもおじさんの手の力は強く、涼々を引きずるようにしてドームの外まで連れ出した。
小さいドームも小さい穴もおじさんには関係ないようだった。
外に出ると、辺りはすっかり日が暮れ、真っ暗になっていた。弱々しい外灯の明かりだけが、涼々を照らしていた。
匠が出てきた涼々に気付いて、こちらに回り込んできた。
「やっと出てきたか」
右手を差し出して、手のひらを上にする。
「ラムネ瓶を出せよ」
「や、やだ」
涼々はおじさんの陰に隠れた。匠の後ろにいるお化けを見たからだ。
闇が凝って、輪郭しか見えないけれど、千手観音のようなシルエットだった。何か引きずるような音もする。
美しい女の顔が外灯の明かりに照らされる。白くて綺麗な腕と手が、何十本も肩と背中から生えていて、胸から腹に掛けて縦に割れ、その割れ目からわらわらと灰色のむっちりとした短い腕が沸いている。足はなく、長い胴が蛇のように地面に伸びているのが見えた。
『涼々、ラムネ瓶、たくさん使ったね』
女のお化けが、月乃のような声音で喋った。
『ラムネ瓶足りなかったらまだあるよ』
お化けが歪んだ笑みを浮かべた。顔のパーツがばらけて崩れる。
目鼻口が生き物のように顔を這い回っている。
『ほどよく腐ったねぇ』『ほどよく腐ったねぇ』
口が赤い唇を歪めて笑った。
『美味しそうだねぇ』『美味しそうだねぇ』
長い赤い舌が伸び、口の周りを舐めた。
すうっと音もなく、お化けが伸び上がり、ドームを越えようとしてくる。
いくら優しいおじさんでも匠とお化けを相手にして勝てる気がしなかった。涼々は地面に蹲り、目をつぶった。
『涼々』
またお化けの声だと思った涼々は、首をすくめてもっと小さく丸まった。
『涼々、大丈夫だよ』
聞き覚えのある声だ。涼々は顔を上げた。おじさんの横に白く光る夕季が佇んでいた。
「お姉ちゃん!」
『私もママもずっと側にいるから、怖くないよ』
涼々は両手に持った木箱を夕季に差し出した。
「ごめんなさい」
『気にするなよ。涼々は悪くない』
涼々は夕季の胸に飛び込んだ。
「何やってんだ!」
匠が乱暴に涼々の首根っこを摑もうとした。
バチン!
静電気のような小さな火花が、匠と涼々の間で弾けた。
「うわっ」
匠が涼々から飛び退く。
涼々と匠の間に夕季が立ち塞がった。
『こんなことしか出来ないけど』
涼々は自分のラムネ瓶が夕季を殺してしまったときのことが胸に湧き上がってきて、思わず涙が溢れた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
『いいよ、気にしたらだめだよ』
匠が諦めずに掴みかかってくるのを、夕季が火花を散らしながら涼々を庇った。
「ちくしょう」
匠が手を押さえて呻いた。
ドームの上に伸び上がったお化けが、蛇のように体を伸ばし、涼々と夕季目がけて飛び掛かってきた。
「お姉ちゃん!」
涼々が恐怖に震えて叫ぶと、おじさんが涼々を自分の後ろに退けた。
「おじさん?」
「二人ともここにいなさい」
そう言うと、おじさんが迫ってくるお化けに右腕を伸ばした。
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