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呪願の代償 第二章 ラムネ瓶 3 エピソード加筆(5/4)

 昼休み時間になると、涼々はこっそり学校にラムネ瓶を持っていくようになった。

それだけじゃなく、何かある度にラムネ瓶を服の下に隠して校舎裏に行った。

 使われなくなって錆びた焼却炉の裏側にしゃがみ込んで、朝から昼までに会ったことを、ラムネ瓶の口に向かって吐き出す。

「愛菜ちゃんにノート破かれたよ。書き取りの漢字が分かんなくなっちゃった。宿題の書き取りノート隠されたから、後でゴミ箱を探さないといけないんだ。愛菜ちゃんはどうしてこんなことばっかりするんだろう。涼々がゴミ箱の中見てると、愛菜ちゃん達に笑われるから、また涼々がゴミ捨てしなきゃ。すごく悔しい。ノートが見つからなかったら、宿題出来ないよ。お姉ちゃん、ノート買ってくれるかなぁ。買ってくれないと困るなぁ」

 キラキラ光るラムネ瓶が、ほんの少し煤けた。涼々自身を取り囲む空気も、曇ったように見えた。けれど、日当たりの良い運動場に出ると、曇った空気はすっかり霧散して、元に戻った。

 ホームルームが終わったら、逃げるように教室を出た。公園に寄らずに家に帰ると、まだ夕季は帰ってきていなかった。自分たちの部屋に入ると、隣の部屋で夏生がテレビに向かってくだを巻いている。多分、街頭インタビューか何かで気に入らない発言があったのかもしれない。

 パパがこっちに来ませんように

 涼々は夏生がふすまを開けないようにラムネ瓶に祈った。夕季がいないときに涼々しかいなかったら、夏生の憂さ晴らしが涼々に向かうからだ。

 隣の部屋の怒鳴り声は支離滅裂で、何を言っているか聞き取れない。

 夏生が怒鳴っていると、暗い部屋に闇が集まってくる。その暗い影がひと型になって、ふすまの隅にへばりつく。夏生の負の感情に反応しているのだろう。

「ママ、怖いよ。助けて、早く迎えに来て」

 涼々は祈るように、ラムネ瓶に吐き出した。

 心に秘めていた思いを口にすると、死ぬほど辛くて涙が出た。言葉にしないでいるほうが我慢出来ることに気付いた。それでも、ラムネ瓶に吹き込み続けるうちに、自分の放つ言葉が心に突き刺さるのにも慣れてきた。

 憎悪よりも、寂しさや理不尽に対する不満ややるせなさが強かった。涼々一人では何も出来ないことが、悲しかった。

 誰にも聞いてもらえない思いをラムネ瓶に聞いてもらううちに、涼々にとってラムネ瓶は悩み事を聞いてくれる友達のような存在になっていた。それ以上にこのラムネ瓶を持っていれば、また月乃に会える気がした。

 あの日暮れ時に、涼々にラムネ瓶を手渡してくれた白い手は、きっと月乃なのだ。姿を見せてくれないけれど、月乃が自分の側にいると、涼々は信じたかった。

 月乃に伝えたい感情を、今日もラムネ瓶に吹き込んでいく。

「ママ、会いたいよ。早く涼々を迎えに来て」

 家に帰って取り出したときよりも、ラムネ瓶の輝きがくすんでいた。

 着古したシャツの裾で、ラムネ瓶を磨いてみたけれど、くすみは取れなかった。

 でも、涼々はラムネ瓶の中のビー玉を見つめながら、窓の外から差し込む日暮れ時の真っ赤な日差しにラムネ瓶を照らしてみる。わずかだけど、ビー玉が赤く輝いた。まるで、ビー玉が赤い苺の飴玉に見えた。

「ただいま」

 いきなり台所に通じるドアが開いて、夕季が帰ってきた。隣室から聞こえてくる夏生の声に、眉を顰めた。

「あんた、なんか食べた?」

 ことあるごとに、夕季が涼々に訊ねてくる言葉だ。食べるものなんて給食以外にないのを知っていて聞くのだ。

「給食、食べたよ」

「あっそ」

 夕季がランドセルを部屋の隅に置き、夏生の部屋以外の掃除を始めた。

 涼々はその様子を、部屋の隅に蹲って眺めていた。きっと、今日も夕飯はないのだ。涼々はお腹が鳴る音を聞きながら、膝の間に顔を埋めた。


 いつものように、ランドセルに隠し持っていたラムネ瓶を持って、校舎裏に行こうと席を離れたとき、愛菜が行く手に立ち塞がった。

 教室の引き戸の前を塞がれて、涼々は怯んだ。

「ねぇ、いつも何処に行くの? その服の下に隠してるのは何?」

 涼々は血の気が引いた。さぁっと音を立てて寒気が全身を走り、嫌な汗が額に浮かぶ。

「何でもないよ。トイレに行くだけ」

 そう言って、ごまかそうとしたが、愛菜には通じなかった。

「それ見せてよ。もしかして学校に持って来たらいけないものじゃないの?」

「何も持ってないよ」

「うそつき。何か持ってるじゃない。ちょっと見せてよ!」

 無理やり、愛菜に右手を掴まれた。服の下に隠し持っていたラムネ瓶を引っ張り出される。

「ラムネ? あんた、ジュースを学校に持って来てるの」

「違う。何も入ってないもん」

 愛菜がラムネ瓶を摑み、思いきり引っ張った。それに抗おうとしたけれど、力が入らなくてあっけなく奪われてしまった。

 黒く煤けたラムネ瓶を、愛菜が汚らしいものを見るようにしげしげと見ている。

「きったない」

 そう言って、ラムネ瓶を放ろうと掲げたとき、ラムネ瓶の口から、灰色のどろどろとした何かが零れ出た。

 涼々はあっけにとられて、愛菜と灰色のスライムを見つめた。

「なに? こんな汚いもの返してほしいの?」

 愛菜の頭にどろりとしたものがべったりと垂れてひっついた。

 それなのに、愛菜もその取り巻きも気付いてない。

 涼々は声も出せず、愛菜を見続けた。

 灰色のスライムに突起がいくつも飛び出した。まるでツクシが土から顔を出すように、ピンピンと飛び出す。その突起がうねうねともがきながら、やがて小さな紅葉の葉のようになった。涼々はようやくそれが小さな手のひらだと分かった。

 愛菜が何か言っている。愛菜の取り巻きが涼々の肩を押してくる。

 何を言っているのか、声が遠くから聞こえてくるようで、全く耳に入らない。まるで、涼々と灰色のスライムだけが世界に取り残されたように感じた。

 灰色の手がドンドン伸びていき、とうとうむっちりとした短い腕になった。腕が、関節のない蛇のように、愛菜の顔や首に纏わり付いていく。

 それと同時に、愛菜が唸ってしゃがみ込んだ。ラムネ瓶を放して、両手で首を掻きむしる。

 涼々は、素早くラムネ瓶を拾い、みんなが愛菜の周りに集まって騒いでいるのを背中で聞きながら逃げ出した。


 校舎裏に逃げ込んで、もう使ってない焼却炉の陰に座り込む。錆びてボロボロになった焼却炉の後ろで、息を切らしながら、両手に持ったラムネ瓶を見た。

 このラムネ瓶から出てきた、灰色のスライムは一体何だったのか。

 逆さにして振ってみたけれど、何も出てこない。

 始業時間のチャイムが聞こえてくるけれど、涼々はどうしても立ち上がれなかった。教室に戻り、愛菜に何か起こっていたら怖くて仕方なかったからだ。

 このまま隠れてもいいし、家に帰ってもいいかもしれない。でも、そんなことをすれば、結局、教師が家に電話するのは目に見えていた。

 仕方なく重い腰を上げ、ラムネ瓶を服の下に隠して、教室に戻ることにした。

 サイレンが運動場から聞こえてきた。救急車が、校舎の前に停まっている。だれかが倒れたのだろうか。すぐに、愛菜のことが頭に浮かんだ。

 あの灰色のスライムのせいで、愛菜が病気になったのだ。だから救急車が来たのだろう。

 愛菜の病気が、涼々のせいになったらどうしたらいいのだろうと、急に怖くなって立ち止まった。

 服の下のラムネ瓶をぎゅっと力を込めて握りしめた。

 ゆっくりと重い足取りで、教室へ向かった。

 校舎に入ると、クラスメイトが廊下に出て騒いでいた。救急隊員が担架に愛菜を乗せて、教室から出てくるところだった。

 すれ違いざまに、涼々は愛菜を見た。

 愛菜の目が光を失ってドロンとしている。濁った瞳が宙を見ていた。生きているのか、死んでいるのか分からない。

 気付くと愛菜を乗せた担架は階段を下りていくところだった。

 誰もいない教室に入り、涼々は自分の席に着く。そっとラムネ瓶をランドセルにしまった。

 月乃の言葉を思い出していた。

『嫌な子がいるでしょ? 虐めてくるんでしょ? いなくなればいいのにって願えばいいのよ』

 いなくなれとは願ってない。ただラムネ瓶を返してほしかっただけだ。それなのに、スライムに襲われて救急車で運ばれてしまった。

 だんだんと涼々は怖くなってきた。

 いなくなれなんて願ってない

 涼々は何度も心の中で繰り返した。

 それに月乃がくれたラムネ瓶が悪いことをしたと思いたくなかった。これは、あの灰色のスライムが全部悪いんだと思った。

 あんな物、ラムネ瓶の中に入ってなかった。涼々は何度もラムネ瓶の中を見たりしたけど、何も出てこなかった。

 それに、あのスライムが見えていたのは涼々だけだ。誰も、スライムに気付かなかったし、さっき担架で運ばれる愛菜に、灰色のスライムは付いていなかった。

 スライムから沸いて出た、むっちりとした腕に見覚えがあった。

 一ヶ月くらい前、梅雨の最中さなかに運動場で見た。灰色の腕で出来た大きな花だ。それが、少年の頭を覆い、吸い込まれていった。あのとき、少年は何か持っていなかったか。体格の小さな少年がそれを持って逃げなかったか。まるで今日の涼々のように。

 涼々は自分のラムネ瓶を思い起こした。あの子も月乃からラムネ瓶をもらったんだろうか。月乃はあの公園で、ラムネ瓶をたくさんの子供達に与えているんだろうか。

 涼々には全く分からなかったし、同じラムネ瓶だと思いたくなかった。

 月乃のラムネ瓶は涼々だけのものだ。月乃の言葉は、涼々を慰めてくれた。今だって、これが手元にあるだけで安心する。これを持っていたら月乃にまた会える気がするからだ。

 怖いものかもしれないという考えを、涼々は頭の隅に追いやった。



 翌日、愛菜が教室に二度と戻ってこないと分かって、『いなくなればいい』という願い事は現実の出来事になったのだった。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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