ぐひんの山 第三章 甕 ②
あの頃は祖母のあとについて、鉄塔がある空き地に祀っていた祠のお世話をしに行っていた。この祠は山の神様なんだよと言われたのをふと思い出す。大学であんなに記憶を探ったのに、山に来たらこんなにも簡単に記憶の淵からすくい上げられた。やっぱり、聞き取りは現地に行くのが一番なんだな、と感慨深げに小さく頷く。
「何? どうしたの」
真弓がニヤニヤしている陽菜を怪訝そうに見つめた。
「うん。昔もこうやって山に登ったなぁと思って」
「そうだね。でも昔は少なくともこんな靴で登らなかった。失敗したなぁ」
そう言いながら、真弓がパンプスを見せてきた。そういえば、全体的におしゃれに決めている。陽菜が同じ格好をしてもきっと似合わない服を着こなしているのを見て、改めて感心した。
「さすが、デザイナー志望だね。すごく似合ってる」
「これ、あたしがデザインした服なんだ。最初から最後まで、ザ・あたしってやつ。親に見せようと思って。学校でファッションショー開いても、親、見に来れないじゃん?」
「確かにね」
真弓と聡は本州の都会で暮らし、直也も陽菜とさほど変わらない都心部で働いている。陽菜と三人はこの村に帰るという考えが毛頭無い。饗庭村の狭い土地で農家をやっていても収入が潤沢なわけではないし、饗庭村独自の特産物すらないのでなおさらUターンしようと露ほども思わない。薄情かもしれないが、この土地にどうしても住んでいなくてはならないしがらみがほぼないのだから仕方ない。
そのうち、饗庭村の村民も老いて村を出て、土地も静かに朽ちていき、いずれなくなってしまうだろう。
「着いたぞ」
直也の声で我に返り、陽菜は懐かしい場所に足を踏み入れた。
十年前と変わらない鉄塔の空き地には、やはり雑草もなく、湿り気を帯びた黒い地面が見えている。
「どこだっけ?」
聡がキョロキョロと辺りを見回した。
「鉄塔の下ら辺じゃなかった?」
「あー、確かそうだよな。ここか?」
直也が一番手前の脚の下にシャベルを差し込んでぐっと掘り起こした。
「あれ?」
「どうした?」
直也と聡が掘り起こした場所を怪訝そうに見降ろしている。
陽菜と真弓も、掘り起こした穴を覗いてみる。土にまみれた塊があった。けれど石には見えない。どちらかというと何かの欠片に見えた。
「もう少し掘ってみよう」
どちらからというでもなく、聡と直也は慎重にシャベルを扱いつつ、その物体の周りの土を掘っていく。だんだんと何かの欠片かと思われたものの形が見えてきた。
黒土にまみれていて変色しているが、明らかに木の蓋がしてある甕だった。土で汚れるけれど、好奇心には勝てなかった聡と直也が、思い切り甕の縁を掴んで持ち上げた。かなり周りの土を掘っていたおかげで、甕は簡単に穴から取り出せた。
思っていた以上に軽かったのか、引っ張り上げた二人が後ろによろける。慌てて陽菜と真弓が男二人を背中から支えた。
四人は地面に置いた甕を上から下まで眺める。
甕は灰色地に黒と茶色の模様が入った陶器製のものだった。口に木の蓋が嵌められていて、木の蓋には和紙か何かを貼り付けてある。その貼り付けた紙には黒く変色してよく分からないが、文字が書いてあるように見えた。
「なんて書いてあると思う?」
真弓が興味津々に他の三人に訊ねた。文字は所々にじんでいるだけでなく、ちぎれて読めなくなっている。もし読めるような状態でも、筆文字を解読するのは至難の業かもしれない。
陽菜は食い入るように甕を見つめた。高さはだいたい四十五センチから五十センチ。口径は三十六センチくらい。胴径は四十センチほどだろうと見積もった。中には何が入っているんだろう、と陽菜の好奇心がくすぐられる。それに、民俗学研究部員としても、何か歴史あるものだったらと思うとなおのこと調べてみたいという気持ちになる。
「重たかった?」
陽菜の言葉に直也が答える。
「いや、見た目より軽かった。十キロの米袋くらいかな」
聡も直也の意見に頷く。
「そうだね、そのくらいの重さだった」
「わたしでも持てるかな」
真弓が汚いものを見るように甕を眺めて、「本当に持つの?」と眉を寄せた。
陽菜は両腕で抱えるようにして、土だらけの甕を持ち上げた。
「あ、思ったより軽い」
ゴトンと甕を地面に置いたあと、陽菜が三人に視線を移し、いたずらっ子のように笑う。
唐突に直也が口を開いた。
「この蓋開けてみないか?」
それを聞いた陽菜達は、怖じ気づいたように顔をしかめた。
待ちきれなくなって意見も聞かず、直也が取り憑かれたように木の蓋の縁に貼られた紙を、爪が黒くなるのも構わず破った。湿って腐った紙は簡単に剥がれ落ち、直也が蓋の取っ手を持って力を込めて引っ張った。それほど固く甕の口を塞いでなかったのか、あっけなく蓋は開いた。甕の口から大量の百足が這い出してきて、直也が甕から手を離した。
途端に、いきなり漂ってきた腥い臭いを嗅いで、四人は思わずむせた。
「くっさ、なんだこれ、すげぇくせぇ!」
直也が咳をしながら毒づいた。
鉄さびの生臭いが辺りに漂う。その臭いは明らかに甕の中から臭ってくる。陽菜は太陽光が差し込む甕の中に何かがあることに気付いた。
百足に怯むことなく手を突っ込んで指に当たったものを引き出した。
引き出されたものを見た陽菜以外の三人が、「ひっ」と息を飲んだ。
どう見ても動物の頭蓋骨だった。人間の頭より大きなそれには、無数の鋭い牙が並んでいる。下顎骨は取れて無くなっていた。腐ってどのくらい経ったものなのかわからないほど干からびている。所々、皮がそのまま残っていた。
「何、それ」
真弓が震えながら指差してくる。
「何かの動物の骨、なのかな……?」
陽菜は骨をぐるりと回転させて呟いた。
「他にも何か入ってるよ」
怖じけることなく、頭蓋骨を地面に置いたあと、底をさらって取り出した。どう見ても先に取り出した動物の骨よりも小さく、骨格が猿っぽい。骨はバラバラに甕の中に収まっていた。
「これ、持って帰りたいなぁ……。調べ甲斐がありそう」
陽菜が呟くと、三人は真っ青になり、口々に反対した。
「やめとけ。頭のおかしい奴がしたことかもしれないじゃないか」
「そうよ、陽菜。こんな怖いもの持って帰ったらダメ」
「絶対病気になる」
三人の怖じ気づいた態度を見て、陽菜も少し不安になる。
「じゃあ、どうするの?」
「元に戻そう。埋め直すしかないよな」
直也のひと声で甕を元に戻すことになった。土を念入りにかぶせて、全部なかったことにした。
「もう山を下りようぜ」
「そうだね、なんか疲れた」
真弓と直也がぼやいてる横で、陽菜は聡に話しかける。
「あれ、なんだったと思う?」
「漬物とか浸けてる感じじゃなかったよな。少なくともぬか漬けの甕じゃないのは確か」
そう言いつつも、声がわずかに震えていた。
陽菜はあの甕が何か呪術めいたものに思えた。もしくは何かを封じたもの。でなければ、どうして呪符のようなものを蓋に貼り付けていたのだろう。
結局、本当の目的は果たせず、陽菜以外の幼馴染みは後味悪い様子で山を下りることになった。
陽菜は後ろ髪引かれる思いで、背後を振り返る。なくなってしまった祠と何か関係があるのだろうか。今は幼馴染み達に合わせて帰途についているけれど、明日、もう一度、一人でここに来て甕を調べてみようと決めた。昔、一人で山に入ってはいけないと、耳にたこが出来るほど言い聞かされたけれど、あれは子供一人で山に入る危険性を暗に含んだ言葉だと思っている。確かに平良須山は急斜面が多い。一人で山に入って足を滑らせたらひとたまりもないだろう。だから、互助できるように二人以上で入るようになったのだ。一人で山に入ってはならない……、今はそれもよくある禁忌の一つとしか思っていなかった。
坂道を下りきったところで、陽菜はみんなと別れた。
すっかり辺りは暮れなずんでいるが、まだ夕方にはほど遠い。日光が平良須山に遮られて山裾は暗く沈み、空だけがまだ明るく見える。
門扉を開けて庭越しに縁側を覗くと、父親が換気と掃除のために外したふすまを元に戻していた。
「ただいま」
「おぅ」
父親の反応を見てから、陽菜は玄関から家に上がる。靴をそろえながら、違和感を覚えた。
弥生の靴がない。縁側に靴を置いているのだろうか、と縁側を覗いてみたが弥生はいなかった。いつもならば、真っ先に出迎えてくれるはずなのに。
「お父さん、弥生は?」
父親がふすまを嵌める手を止める。
「庭で遊んでなかったか?」
「いなかったけど……」
「おかしいな、さっきまで庭の辺りにいたと思ったんだがなぁ」
嫌な予感が頭をよぎる。陽菜は玄関に回り、靴を履いて門扉の外に出ると、左右の道を見渡した。桐野家の家に来る道は一本しかない。左の道を行けば饗庭村の中心部に、右の道を行けば畑と平良須山に続いている。山に入ったのだろうか、と坂道を登っていく。が、畑にも林道にも姿はなかった。もしかしたら村中を散策しているかもしれないと思い、小走りで村の中心部へ向かった。
雲で空が覆われて、夕立前の水っぽさのある匂いがしてきた。雨が降る前に弥生を見つけたかった。
あぜ道を抜けて、饗庭村唯一の県道に出た。通り過ぎた田んぼにも弥生の姿はなかった。村民の家を覗いて回り、出くわした村民に「七歳くらいの女の子を見なかったか」と訊ねて回ったが、収穫はなかった。
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