呪願の代償 第一章 除霊師 1
「久世先生、これはほんの気持ちですが」
何もない六畳ほどの座敷に、男が三名、女が一名。
正座している先生と呼ばれた黒尽くめの初老の男に、壮年の男が頭を下げ、分厚い封筒を差し出した。先生の隣に正座する、同じく黒尽くめの三十代の男がそれを受け取る。壮年の男の背後で、うつ伏せで横になっている女はぴくりともしない。
「娘に憑いた悪霊は祓われたんでしょうか」
壮年の男、女の父親が心配そうに訊ねた。
一見、喪服にも見える黒スーツを身に纏った除霊師、光一郎が深く頷き、男を安心させるように言う。
「安心なさい。ちゃんと、娘さんに取り憑いていた霊は祓った。もう大丈夫だ」
それを、黒いスーツ姿の男、光一郎の息子の匠は横目で見やる。
父が暴れる娘の背中を叩き、後頭部に右手を当てて、勢いよく手を振り上げる場面を思い出す。たったそれだけで、娘は昏倒し静かになった。汚い言葉で光一郎を罵っていた、醜い表情の娘の顔が一瞬で穏やかになる。その一部始終を、娘の体を羽交い締めにしていた匠は見ていた。
たったそれだけで除霊師の光一郎は先生と呼ばれ、札束の入った分厚い封筒を手に入れる。
匠の目から見ると、それは錬金術のようだった。依頼主曰く、『奇跡の力』を持つ光一郎がちょっとしたパフォーマンスで荒稼ぎするのが羨ましかった。
匠は霊が見えない。見えないから、怖くなかった。
光一郎が何らかの力を持っているのは理解出来る。しかし、それはたいていが信者を作るためのパフォーマンスで、祓えたと依頼主が信じることで成り立っていると、疑っている。
霊が憑いているというのは、九割は思い込みだ。残りの一割は説明が付かない何かだと、幼い頃から光一郎を見てきた匠は思っている。
光一郎の力で除霊することもあれば、他にも竹簡に真言を書いた道具を使うこともある。背中で竹簡をじゃらじゃら鳴らすだけで、何十回もの真言を唱えたことになり、何か特別なことをしてもらったという安堵感で、それまで忘我していた人間が意識を取り戻すのだ。
光一郎が除霊を慌てず騒がず、泰然とした態度でおこなう姿が、依頼主や霊に取り憑かれたと言う人間に安心感を与えて、プラシーボ効果のようなものを齎している。
その道具だけでもいいから欲しかった。
封筒を受け取った匠が部屋から辞する。ふすまを閉め、廊下の隅へ行き、封筒を開けると、一万円札の束が入っていた。少なくとも五十万円はある。
光一郎が除霊の料金を提示することはないが、除霊師としての信頼度が増すごとに封筒は厚みも増した。
封筒から十万円を抜き、胸元の内ポケットに滑り込ませる。光一郎が封筒の金額を改めることはない。ただ黙って匠から封筒を受け取るだけだった。
今年に入り、匠は三年勤めていた訪問販売の会社を辞めた。いつまでも内勤を強いられて、希望の営業部に異動できず、この仕事は自分に合わないという理由で、辞職を提出したのだ。
もちろん妻の里花や、小学校に上がったばかりの一人息子の耀に苦労は掛けられない。
辞職したことで里花が、「これからどうするのだ」とヒステリーを起こしたので、やむを得ず光一郎に除霊の手伝いをさせてくれと頼み込んだのだ。
『親父の跡を継ぎたい。親父だって、家業を辞めるのは本意じゃないだろう?』
一年前、光一郎の家を訪れて匠は頼み込んだ。
光一郎は里花の淹れた茶を飲みながら、リビングのソファに腰掛けて、テーブルを挟んで向かいに座る匠をチラリと見た。
『おまえには無理だ』
それだけ言い放って、湯飲みをテーブルに置いた。
『やってみなけりゃ分からないだろ』
食い下がる匠に、光一郎はため息を吐く。
『そういう問題じゃない。おまえには才能がない。除霊師には向いてないんだ』
『そんなこと言うなよ、親父。俺だって、親父ほどの力がないのは分かってる。でも、耀と里花を養うのに、仕事が必要なんだ』
『仕事なら、普通に会社に勤めればいい。除霊師になる必要などない』
そう言って、光一郎が匠を見据えた。
眼光鋭い視線に、匠は怯む。老いてもなお、その体から発する迫力は衰えていない。萎縮して匠は首をすくめた。
十代の頃、匠が仲間とつるんで噂の廃墟や墓場などで破壊行為を楽しむ度に、帰ってきた匠を光一郎は穏やかながらも叱りつけた。仲間の様子がおかしくなれば、光一郎が後始末をしてくれた。
『おまえは霊が見えないから、そういった存在を恐れてない。それどころか信じてもないだろう。そこからして、向いてない』
『なぁ、聞いてくれよ。俺は親父の仕事を見てきた。世の中には説明の付かない不思議なことがあるのは分かってる。じゃなかったら、手伝おうなんて思わないさ』
匠は殊勝な表情で、光一郎を見た。
『それに、俺には家族がいる。頼れるのは親父だけなんだよ。親父だって、兄貴がいなくて困ってるだろ? 兄貴は親父と同じ力があるのに家を出た。俺は、そんなことしない』
『槙人には槙人の人生がある。あいつには別の人生を歩むように言ってある。それにな、除霊師は他人の業を肩代わりするから、誰よりも一層業が深い。死ねば、堕とした悪霊に地獄に引きずり込まれる運命だ。やめておけ』
匠は、今まで何度も転職している。転職する度に給金が低くなっていく。里花の堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題だ。とにかく金が欲しい。家族を養って余り有る金があれば、人生は安泰だ。
光一郎なら、匠の願いを叶えるだけの力がある。
『頼むよ、親父。今年から耀も小学校に上がる。不況で仕事なんてそうそうない。正社員もなかなか募集してない状況なんだよ。安定した収入が必要なんだ。親父だって、孫に苦労かけたくないだろ? 里花だって困ってる。なぁ、置いてもらえるだけでも助かるんだ。ただで置いてくれなんて言わないよ。俺に出来ることなら、親父の仕事を手伝う。いずれ、景気が良くなったら普通の仕事も見つけるからさ』
そう言って、何度も頭を下げた。
光一郎が腕を組んで考え込んでいる。おもむろに深いため息を吐いた。
『一時的になら、仕方ない。だが、ちゃんと堅気の仕事を探せ。俺の跡を継ごうなんて馬鹿な考えは捨てるんだ、いいな?』
匠は顔を上げ明るい表情を浮かべると、ダイニングにいる里花に顔を向ける。里花は渋い顔つきで立っていた。
『ありがとう、親父。助かった、一生、恩に着るよ』
『恩に着なくていい。本当に早く仕事を探しなさい』
こうやって承諾させるとすぐに、親子共々引っ越してきて、今は同居している。
光一郎が、里花に直接生活費を渡しているようだったが、匠にも報酬が必要だ。懐の十万円は匠が働いて得た金だと思っている。
光一郎が霊能力を持っていて、不思議な力をあるのは、幼い頃から見ていて自然と受け入れていた。しかし、根底では疑ってもいる。地獄だの、悪霊だの、そういったものを匠は見ることも感じることもないからだ。
しかし、こうやって手伝ううちに、それまで光一郎の力を半ば羨ましく、でも自分には力がないから仕方ないと思っていた気持ちがぐらついてくるのを感じていた。
兄の槙人は光一郎に似て霊能力があり、匠には見えない何かが見えている。それなのに、光一郎に従順な槙人は、父に言われたとおり、家業を継がず会社員になった。もったいないことをしていると、匠は思う。もしかすると、いずれ力のからくりを教えてもらうために、槙人が家に戻ってくるかもしれないと危惧している。
その前に、光一郎から力の使い方、からくりを教えてもらおうと、匠は企んでいた。
誰もいないことを確認してから暗い廊下に立ち、右手で空中を掴み、腕を上げて何かを引き出す動作を繰り返す。たったこれだけの動きで、五十万も稼げる。しかも一日に少なくとも三人ほど依頼人がやってくる。三人で百五十万円だ。ぼろ儲けではないかと、匠はほくそ笑んだ。
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