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御郷島へ渡る舟 第二章 ほかい様 ② #7

 山田は白の背後で安堵のため息をついてから、白に小さな声で礼を言った。

「君飲めないのに無理したら駄目だよ」

 白が目を細めると、声を低めた。

「駄目なものは駄目って言わないと」

 白は相手になんと思われようが気にもとめず、食べたくないものは食ベないと言ってのける、いわゆる心臓に毛が生えているタイプだと思う。

 山田は、自分には無理だ、これでフィールドワークなどできるのだろうか、と実際危惧してはいる。

「手料理やらを食べたり飲んだりしたら、相手の心証が良くなるのは確かだけど、できないときはできないとはっきりと言うのも大事だからね」

「はぁ」

「嫌味にならない程度に本音を話したほうが、物事が好転することもあるしね」

 白の横に座っている野田は、白のように断り切れないのか、顔を赤くしながら、勧められるままにビールを飲んでいる。

「それに何か隠していると、割と見透かされることもあるから」

 山田はドキリとなる。白に勇気を出して、『霊がえる』ことを話しておいて良かった。

 あのとき、山田は勇気を出して告白したのだ。

『あの、先に言っておきたいことがあるんです。僕、死んだ姉の霊が視えるんです。それで……、挙動がおかしかったりして、もしかするといろいろとご迷惑を掛けたりするかもしれないです』

 それでもいいですか? と『採用』と言われたあとに告白した。さすがに、そのときは自殺のことやどんな姿で出るのかは伝えにくかった。

 白は山田の告白を聞いたあと、『わかりました』とだけ答えた。

 何度か、悲鳴を上げたり転んだり、他にもいろいろあったが、白は受け入れてくれた。ただ、好奇心が強いせいか、綿子のことを知りたがることだけが厄介だった。

 山田が過剰に反応するから、それが反対に白を刺激してしまったのだろう。

 けれど、今は山田の秘密の話をしているわけではなくて、白なりに習得した、人と交流するコツを教えてくれているのだ。

 山田は座敷の縁側から見える風景が、だんだんと日が暮れて暗くなっていくのを眺めた。

 座敷の電気の明かりが、庭に差す。庭をうろちょろしていた鶏はもう寝てしまったようだ。

 せっかく室内が温かくぬくもっているのに、窓から冷気が入り込むと、とねが寒いだろうと思い、山田はふすまを閉めに立ち上がった。

 爽果も同じことを考えたようで、ふすまの前で鉢合わせた。

「あの……寒いかなと思って……」

「ありがとう、わたしが閉めておくから」

 爽果はふすまに手を掛けて静かに閉じた。

 うつらうつらしているとねの肩に手を置いて、祖母を起こし、席を立った。

「ちょっと、おばあちゃんを寝かせてくるね」

「うん」

 白を見ると、成継さんと話をしていた。その会話の中で、ほかい様という単語が聞こえ、山田は慌てて二人の元に戻った。

「あの、ほかい様って聞こえたんですけど……」

 山田が声を掛けると、成継が笑顔で「ああ、ちょうど聞かれたから」と答えた。

「ほかい様について話してたんだよ」

 白が山田に教えてくれた。

「実際のところ、ほかい様と言われ出したのがいつかは分からないんですよ。おわたい自体は口伝の部分が大きくて、過去三回、明治に入ってからのおわたいについては、吉宝神社の蔵書に記録されてるんですけどね」

 成継が申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「明治に入ってからは藁舟に人型を乗せておこなったと聞きました。でも、旧来のおわたいは、実際に人を乗せたとか」

「そうなんです。何故それをやめたのかは、どうも当時の政府が前時代的祭祀をやめるように通達したからとか。おそらく、他の地域の似たような祭祀には全て中止するように命じていたと思います」

「確かに、いつも安全におこなわれていたとは言いがたかったのかもしれないですね。ただ、気になるのは、江戸時代以前からおこなわれたおわたいで、うまくいったことがあるのかということです。要するに、乙女を乗せた舟が御郷島に渡って、再び三宅村に戻ってきたか」

 すると、成継が神妙な顔つきになった。

「そこですね。今回、爽果さんを乙女役を立てて、舟に乗せる計画ですが、本当に沖に流されたら、儀式どころではなくなります。あくまで今後のおわたいの儀式は形だけにしようと。漁船で曳船えいせんをしても、沖までは行かず防波堤の陰で待機することにしたんですよ」

「ふむ……。じゃあ、また曳船をして漁港に戻ってくるという手はずなんですね」

「そうです」

 白と成継の会話を聞きながら、昔のように命綱も無しに、生きた人間を沖に流すなんて残酷なことはしてほしくないと思った。もし、爽果に万が一のことがあったら祭りどころではなくなってしまう。

「まぁ、大丈夫でしょう。爽果さんと何度か練習をしたんです。当日は防波堤に仕切りを置いて、向こう側が見えないようにしようということになってます」

「そうなると、御郷島からほかい様を連れて帰られないのでは?」

 白はおわたいをイベント化することで、伝えられてきた重要な要素が抜け落ちてしまうことを危惧しているようだ。

「あくまで形だけですから。それに、ほかい様がなんなのか、実は分かっていないんです。私どもは言い伝えられているとおりにしているだけで」

 おわたいについて、たくさんのピースが欠けている、と山田は思った。そのピースが欠けたまま、三宅村のおわたい振興会の人達は再現しようとしているのだ。

 これでは本当のおわたいではない。照男は知名度が上がれば、無形文化財に申請できると思っているようだが、本当に復興できたらの話だ。

 成継の言っているとおりなら、今後毎年おこなわれるおわたいは、ただの客寄せの為のイベントでしかない。

 そのことに、山田は静かな怒りを覚えた。

 おわたいという民間信仰が連綿と伝えられてきたのには訳があるのだろう。明治にその信仰はいったんねじ曲げられて伝わったわけだが、さらに欲が絡んで、信仰が途絶えようとしている。

 昔の人が信じて繋げてきた儀式は、金儲けの道具ではない。

「ほかい様という名前は、いつから記録に残されているんですか?」

 山田が憤っていると、のんびりとした口調で、白が成継に訊ねた。

「いつから? さぁ? 残っている限りの文献ではかなり昔からそう呼ばれていたとか」

「かなり昔……」

「そうです。うちの神社に奉納された、橘の実。〝橘の宝玉〟ですけど、あれが千年前のものと分かったので……。少なくとも、平安時代からだと思います」

 白が頷きながら、言葉を継いだ。

「平安時代には、すでに遊行者ゆぎょうしゃとして、ほかいびとの存在がありました。ほかいびととは、ほかい様のことじゃありません。言祝ことほぎをおこなう、芸能集団の呼び名ですよ。でも、同じくらいの時代に、ほかい様と名付けられていたなら、少なくとも無関係とは言いがたいですね」

「同じほかいという言葉を使うわけですから、関係があると?」

「乙女と一緒に御郷島から戻ってきた存在が言祝ぎの神なら、ほかい様と言っても差し支えないでしょうけど、おわたいとは実際は全く関係がない可能性もありますよね」

 成継にとって、白の推測は、あまり楽しいものではないようだ。

「じゃあ、照男さんに挨拶に行こうかな」

 成継がビールのコップを持って、立ち上がった。

「またあとで」

 振興会のみんなが、三日後のおわたいの話で盛り上がっている。

 山田は、それをどことなく苦い思いで眺めた。結局、彼らはおわたいの深い部分は知らないのだ。おわたい経験者かどうかで変わるのか、それとも、信仰に敬意を感じないのか。

 とねが口にした『かならっけ』という言葉を思い出す。

「先生、必ず帰すってとねさんが言ってましたよね。戻ってきた乙女をまた帰すという意味なんですかね?」

「行って戻って、また帰す……。行くのはおそらく乙女自身で、戻ってくるのは神と乙女。帰すのは神なのか、乙女なのか……」

 白は、手つかずのまま取り皿に盛った豚の角煮に箸を伸ばした。角煮を頬張って、呑み込んだあと、静かに呟いた。

「とねさんにもっと詳しく話が聞けたら良かったんですけどねぇ……」

 山田も同じような気持ちになる。古い信仰が途絶えてしまう場にちょうど居合わせてしまったような、寂しい気分だった。

 山田が、白の横に座り直したとき、玄関から男の声で「お邪魔しますー」と聞こえてきた。

「はいはーい」

 ようやく座って食事に手を付けていた万智が立ち上がって、玄関に出た。

「これ、差し入れです」

「お父さん、役場の草津さんが来たわよ」

 照男が腰を上げて、座敷から玄関を覗き、「おお、よくきたな。上がってくれ」と声を掛けている。

「こんばんはー」

 作業着姿の四十代に見える痩せた男が座敷に入ってきた。

「せんせ! おわたい振興会の会員が全員揃ったよ」

 照男に呼ばれて、白が立ち上がる。

 山田を白の後ろに付いていき、照男達の邪魔にならない空いた場所に腰を下ろして、会話に耳を澄ませた。

「このひとが民俗学のつくもせんせ。今回のおわたいを見に来てくれた学者はんだ」

 照男が白を見る。

「食べてますか。田舎料理だから、口にあうか分からんが」

「とんでもない。たくさんいただいてます。豚の角煮、とてもうまいですね」

「そうだろそうだろ、家内の角煮は格別だから」

 機嫌よさげに破顔した。

「それにしても、村には爽果さん以外に若い女性はいなかったんですか?」

「いることにはいるが、高校生になりたての中浜の絵里子か、あとは小学生で、まだ小さいからな。爽果でおわたいが成功して、数年も経てば、他の女の子も乙女役を出来るだろうが」

「爽果さん以外に村を出てる女性とかは?」

 白が訊ねた。

「何人かいるが、帰ってこれないみたいでね」

「それで爽果さんを?」

「爽果に頼んだのは、おいの我が儘だよ。俺といっしょに“橘の宝玉”が育つのを楽しみにしてくれてたからな。本当は大学の授業の単位を落としそうだからって言っていたけどな」

 山田はそれでかと合点がいった。単位を落としそうだった講義は、多分、白の講義なのだ。だれかから面白い民間信仰や民話をレポート提出したら、白が単位をくれると聞いたのだろう。

 思惑通り、白の興味を引いて、単位がもらえることになった。さらに、白に父親が会長を務めて復興しようとしている、おわたいのことも知ってもらいたかったのだろう。

 たとえ単位が取れなくても、爽果は父親の期待に応えたいと思って、乙女役を引き受けただろう、と山田は考えた。


#創作大賞2026 #ホラー小説部門

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