呪願の代償 第四章 井戸 3
夕季といっしょに、軒下に吊り下げた物干し竿に洗濯物を干しながら、涼々はさっき掛かってきた電話の話をした。
すると、夕季が怪訝な顔をする。
「本当に?」
「本当だよ。お婆さんみたいな声で、『腐ってるか』って電話が掛かってきた」
「それ、嘘だろ。だって、うち、電話止められてるじゃん」
そう言われて、涼々はハッとした。このあいだ、『死ぬ電話』を掛けているのは涼々だと言いがかりを付けられたときに、涼々自身が電話を止められてるから不可能だと思っていた。
「電話止められてても、向こうが掛けてきたら出られるの?」
「それも無理」
「えー、じゃあ、なんで電話が掛かってきたんだろう」
不思議そうに涼々は呟いた。
「『死ぬ電話』って、掛かってきた家の子が死ぬって噂の電話だろ?」
夕季の言葉に、涼々は驚いた。
「死んじゃうの?」
この十ヶ月、クラスメイトから無視されてきたので、『死ぬ電話』について、涼々はほとんど知らなかった。
「そうだよ。しかも、腐ったかとかなんとか言われるんだって。死んじゃう子もいるけど、死なない子もいるらしい」
「じゃあ、あの電話はお化けから掛かってきた電話なの?」
「それは分かんないけど」
洗濯物を干し終えて、夕季が玄関側に回った。出入りしていたのは夏生の寝室でもある部屋の掃出し窓からだったので、何をしに行ったのか不思議に思い、涼々も夕季の後ろに付いていった。
夕季が通りの左右を確認して、涼々に声を掛けた。
「パパ、戻りそうにない。今のうちにお金を取りに行こう」
「お金?」
夕季の言葉に涼々は驚いた。
「パパ、たばこのお釣りをしょっちゅうほったらかしにしてるんだ。パパは事故に遭ってから計算が出来なくなってるんだ。知ってた?」
そんなこと、涼々は初めて知った。
「計算が出来ないの?」
「そう。パパはもう涼々より算数も国語も出来ないよ」
「なんで? どうしてなの?」
驚いて、涼々は何度も聞いてしまった。
「パパは頭をものすごく強く打って、脳みそに障害を負ったってママが言ってた。リハビリしたら、体やそういうのは良くなることもあるんだけど、パパは変わっちゃったから、リハビリを全然しなかったんだ」
掃出し窓から部屋に上がり、夕季は洗濯せずにほったらかしたままの、夏生のズボンや服のポケットを探った。
「ほら、五百円もあった」
小銭を集めた夕季が手の中の小銭を涼々に見せた。
「これでお米を分けてもらえるよ」
「誰に?」
また驚いて、涼々は声を上げた。
「町内会長さん」
「回覧板を回してくるおばさん?」
「違う違う、おじさんのほう。物々交換してくれるんだ。これだけあったら卵ももらえるよ」
夕季がにやっと笑った。涼々も卵と聞いて飛び跳ねた。
「やった、卵の雑炊が食べられるね!」
「パパが帰ってくる前に、交換してこよう」
夕季と涼々は、早速もらってきた米二合と卵二個で、雑炊を作り始めた。ガスは止められていたが、昔買った電気コンロがあった。
袋に入れた米と卵を冷蔵庫の奥にしまう。
「また食べられるよ」
「いつも、パパからお金を盗ってたの?」
夕季が真剣な顔つきで言った。
「そうでもしないと、あんたも私も飢え死にするよ。本当はパパは私達にちゃんとした生活をさせないといけないんだ。そのために国からお金をもらってるんだ。でもそれを全部自分のために使ってる。だからこのくらいのことしても誰も怒らない」
夕季の言葉を聞いて、涼々は夏生が勝手に自分達のお金を使っている事実にショックを受けた。
「お金、ないんだと思ってた」
「たくさんあるはず。でも全部、パチンコに使ってる。ずっと前、私があんたに施設の話をしただろ?」
「うん」
涼々は夕季と別れたくなくて嫌だと言った、あの話だ。
「この前来た児童相談所のおばさんに、もしこの話をしたら私達はバラバラになる。パパと暮らさなくて良くなるけど、私達もいっしょに暮らせなくなる。だから、私が中学校を卒業出来るまで我慢しようと思ってるんだ」
夕季が中学校を卒業したら、涼々を夏生の所に置いてけぼりにするのだと思って、涼々は泣き顔になってしまった。
「泣くなって。置いてかないよ。私、高校行かないで働くから、いっしょにこの家から出ような?」
「連れていってくれるの?」
「うん」
「ママは私達がこの家を出ちゃったら、どこに行ったか分かるかな」
すると、夕季の顔が曇った。
「涼々、もうママのことは忘れな。戻ってこないから」
涼々は夕季の言葉に驚いて、思わず大きな声が口から出た。
「どうして? ママはどっかにいるんだよね? 本当に私達のこと捨てちゃったの?」
夕季が首を振る。
「もう、戻ってこないんだ」
夕季の言葉に涼々は傷ついて、泣いてしまった。とめどなく涙が溢れてくる。
「ママは迎えに来るよ。涼々を迎えに来て、いっしょに連れてってくれるんだ」
「泣くなって」
夕季が涼々の頭を撫でて慰めた。
雑炊が出来上がり、夕季と二人で鍋から雑炊をスプーンで掬って食べた。涼々は泣きながら、涙の混じったしょっぱい雑炊を頬張った。
半分も食べないうちに、夕季がお腹いっぱいと言って、残りを涼々にくれた。
夏生は八時を過ぎても戻ってこなかった。
二人は早めに布団に入り、久しぶりにぐっすりと眠った。
涼々は今日も夕季の手伝いをするつもりで張り切って家に帰った。朝まで帰ってこなかった夏生が、寝室でいびきを掻いて寝ている。
今日は洗濯は無理そうだった。
仕方なく、台所と自分達の部屋の掃除をして、学校の宿題をやりながら夕季が帰ってくるのを待つことにした。
しばらく漢字の書き取りに没頭していると、廊下から、電話の着信音が鳴り響いた。
音に驚いた涼々は肩をビクンとさせ、台所に続くドアを見つめた。
電話は料金滞納で止められている。鳴るはずがないと夕季に言われた。それが、今、ハッキリと鳴り響いている。
このまま無視しようと、教科書に目を向けていたが、隣室で寝ていた夏生が怒鳴り始めた。
「うるせぇぞ! うるせぇ! うるせぇ!」
このまま放置していたら、寝室のふすまが開いて、怒り狂った夏生が入ってくる。
涼々は弾かれたように立ち上がって、台所を通り、廊下に出た。
目の前で、電話がけたたましく鳴っている。廊下は夏生のいる寝室に繋がっている。廊下の先のふすまがいつ開いてもおかしくない。
涼々は急いで受話器を取った。耳に当てて、恐る恐る電話の向こうにいる何者かに話しかけた。
「もしもし」
怖いことが起こりませんように
涼々は心の中で唱えながら、沈黙の続く電話の向こうの様子を窺った。こちらが喋らなければ、向こうも無言でいるのだろうか。
ザッザッザザザ
雑音が小さく聞こえる。まるで、ラジオのチューニングがあってないときの音みたいだった。電話の向こうの何者かはラジオでも聞いているのか。
なんとなく、涼々はほっとした。ラジオを聞くようなお化けはいない。いたずら電話なのだ。だったら、電話を切ってしまえばおしまいだ。
そう思って受話器を耳から外そうとした。
『ほどよく腐ったか』
しわがれた声が、受話器を通して聞こえた。
涼々は息を呑んだ。この前の声だ。この電話はやっぱりお化けが掛けてきた電話だったのだ。切ろうと思って、受話器を耳から離した。
耳元で、
腐ったなら行くよ
と、聞こえた。
涼々は叫んで走り出した。電話越しだから、少しだけ大丈夫と思った。でも、しわがれ声は電話越しじゃなかった。すぐそこにいる。
玄関から裸足で飛び出した。電信柱の影に隠れて、じっと借家を外から眺めた。
声は聞こえない。誰も追いかけてこなかった。家の外からでは、お化けがまだいるかどうか分からない。
涼々はそのまま電信柱の足元に蹲って、夕季が帰ってくるのを待った。
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